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NYT記事の翻訳と反論

 投稿者:的場光昭メール  投稿日:2014年11月 5日(水)07時02分19秒
  通報 返信・引用
  ニューヨークタイムズ紙10月29日掲載記事に対する反論

ニューヨークタイムズ東京支局長、マーティン ファクラー様
 私(的場光昭)は、貴方が書かれた本年一〇月二九日付けの記事について以下のように反論します。


Pressure in Japan to Forget Sins of War
戦争の罪を忘れさせようとする日本国内の圧力

Martin Fackler
マーティン ファクラー

SARUFUTSU, Japan ? More than a half-century has passed since the postmaster in this seaside hamlet on the frigid, northern tip of Japan pulled aside a young man and shared a secret. Somewhere in the village, the old man confided, was a lost graveyard hiding Korean bones.
【日本、猿払発】
 日本北端にある海辺の寒村の郵便局長が、若者にある秘密をそっと打ち明けてから半世紀以上がたつ。彼が若者に打ち明けた秘密とはこの村のどこかに朝鮮人の骨を隠して埋めた墓地があるはずだ、ということであった。

It took years for Koichi Mizuguchi to grasp the significance of that utterance, and decades more to pry the grim truth from his tight-lipped neighbors: At least 80 Korean laborers died of abuse and malnutrition here as they built an airfield at the behest of the Japanese military during World War II. Eventually, Mr. Mizuguchi helped find the graves, and he and other residents began building a six-foot stone memorial at the site.
水口孝一氏にとってその発言の重要性を把握するのに年月を要し、その隣人の固く結ばれた口から冷酷な事実を聞き出すには何十年も要した。第二次大戦中日本陸軍の命令によって飛行場建設に携わった少なくとも八〇名の朝鮮人労働者が虐待と栄養失調で死んだ。水口氏は埋葬地発見に努め、彼と他の住民が現場に六フィートの慰霊碑建立を始めた。
*反論 慰霊碑建立の中心となっているのは〝強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム〟である。そして同フォーラムの共同代表は蔡鴻哲(チェホンチョル)と殿平善彦と紹介されている。蔡鴻哲氏は朝鮮総連道本部副委員長、殿平善彦氏は深川一乗寺住職ながら寺の掲示板に共産党のポスターを貼ったことのある共産党シンパの真宗僧である。「彼と他の住民」などとして、背後の組織を敢えて伏せている。

A decade ago, a village trying to preserve the memory of its wartime sins might have gone unnoticed in Japan. But Sarufutsu’s tiny village hall was inundated late last year with menacing phone calls denouncing residents as traitors. The campaign, orchestrated on the Internet, also called for a boycott of the village’s scallop industry. Shaken, the mayor ordered a halt to construction of the monument.
 十年前なら戦争犯罪の記憶をとどめようとしている小さな村は日本では顧みられていなかっただろう。しかし、猿払村の小さな村役場に昨年末、売国奴と非難する威嚇電話が殺到した。その運動はインターネット上で組織され、村の基幹産業であるホタテ産業の不買を呼びかけるサイトまで現れた。狼狽した村長は慰霊碑建立の中止を命じた。
*反論 当時の村長である巽昭氏に11月4日朝、翻訳文をFAXしたところ、午後になって巽氏ご自身から電話をいただいた。彼は電話を脅迫とも思っていなかったし、電話に屈して慰霊碑の除幕式に参加しなかったわけではない、とはっきり言っていた。そして、ニューヨークタイムズは取材中、何とか村長である自分が、右翼の脅しに屈服したように話を向けようとしたが、そうした事実がないとキッパリ話したにもかかわらず、このような記事を書かれてしまったことに呆れているということであった。なお私が翻訳文を送る少し前に封書で記事の翻訳文をニューヨークタイムズ紙から送られていたという。

Coming to terms with its militarist past has never been easy for Japan, which tried to set aside the issues raised by the war as it rebuilt itself into the peaceful, prosperous nation it is today. But pressure to erase the darker episodes of its wartime history has intensified recently with the rise of a small, aggressive online movement seeking to intimidate those like Mr. Mizuguchi who believe the country must never forget.
 軍国主義の過去と折り合いをつけることは、平和を再建し繁栄した国家である今日の日本にとって簡単なことではなく、戦争によって引き起こされたこの問題は置き去りにされた。しかし戦時中の暗い出来事を消し去ろうという圧力は最近になって少数ながらも強まって、この問題を国家は忘れてはならないと主張する水口氏のような人に対して、攻撃的な脅迫をしかける。
*反論 日本の敗戦に伴う対外的責務は、国交回復時における当該国との条約によってすべて解決済みである。〝朝鮮人強制連行〟そしてここから派生した〝従軍慰安婦強制連行〟はすべて捏造である。慰安婦についてはすでに朝日新聞がその捏造を認めている。
 北海道新聞は〝朝鮮人強制連行〟について興味深い特集をおこなっていた。それは先の〝強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム〟が注目した、北海道沼田町の炭鉱に強制連行され死亡したとされる呉一相(オイルサン、一九四四年五月十六日肺炎で死亡、享年三十九歳)についての記事である。当初北海道新聞は平成二十五年八月十六日朝刊において、「戦時徴用か 沼田に遺骨」の見出しの下に、同フォーラムの共同代表蔡鴻哲氏の「昭和炭鉱には44年ごろ、多数の強制連行・強制労働の朝鮮人がおり、呉さんもその一人と考えられる」というコメントをのせていた。私がこの記事について、朝鮮半島で強制性を伴う徴用が行われたのは一九四四年九月以降であり、呉氏は該当しないことを指摘し、その後、北海道新聞が紹介した、同フォーラムが行った美瑛町の発掘調査および慰霊祭について、発掘された人骨や墓穴がニセ物であった事実、さらには蔡鴻哲なる人物が朝鮮総連道本部副委員長であることの問題性を、公開質問状で質したところ、以後の報道では「徴用」「強制連行」の言葉は使用せず「動員」という表現になった。また同フォーラムの蔡鴻哲氏については朝鮮総連道本部副委員長の肩書きを抜いて報道するようになった。
 今年になって北海道新聞は、呉一相氏の遺骨に関して、平成二十六年十月七日朝刊から四回にわたって「遺骨は何をかたるか」というシリーズを組んだ。
 同記事が明らかにした事実を以下箇条書きにする。
① 彼は一九三九年干ばつ飢饉に見舞われた慶尚北道で募集に応じた。
② 呉氏と妻子の一家六人はパラオに移住した。
③ 二年後の一九四一年には横浜へ移り、ここで長男が生まれている。
④ その後、呉氏は家族を半島へ帰して、単身で空知管内沼田町の明治鉱業昭和鉱業所(昭和炭鉱)へ移動する。
⑤ 韓国の政府機関に残る昭和炭鉱の給料明細によると、月八〇円~一四〇円が支給されている(総支給額で内地日本人がもらう給与とほぼ同等、当時の巡査の給与が十五円)。
⑥ 一九四四年五月十六日肺炎で死亡。
 呉氏は強制連行どころか飢饉に見舞われた慶尚北道から、家族を養うために募集に応じ、パラオへ移動し妻と五人の家族にとって十分な生活費を蓄え横浜に移って長男が生まれ、さらに給与の良い炭鉱へ働きに出て、残念ながら肺炎に倒れたことを、一連の記事は明らかにしている。また記事や他の文献では募集に応募できる者は日本語が話せることや真面目な性格などが要求され、誰でも採用されるというものではなかった。
 ところが、この同じ事例(慶尚北道の募集)について、朝鮮大学校教師朴慶植が著わした『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)で確認すると、「一九三九年の連行は石炭山、金属山、土建業などに許可され、九月中旬から一〇月下旬にかけて事業主の代理人が南朝鮮の七道の地域(京幾道、忠清南北道、全羅南北道、慶尚南北道)に出張し、割当人員の狩りたてにつとめた」となっている。さらに同書に掲載されている「表4 朝鮮人徴用労働者強制連行状況」によると、呉氏は一九四〇年に南洋へ「強制連行」された八一四人のうちの一人ということになる。同書は朝鮮人強制連行という言葉をでっち上げた悪名高い本であり、その後この言葉は反日勢力やマスコミに踏襲され、中国人強制連行や吉田清治と朝日新聞の合作である「慰安婦狩り」や「従軍慰安婦強制連行」という言葉すら生むに至っている。朴慶植が教師をしていた朝鮮大学校は拉致をはじめとするさまざまな対日工作機関であるということは、御貴殿もご存知であろう。
 ここまで書けば、頭脳明晰の誉れが高い御貴殿のことであり、敢えてことあげすることもないことであろうが、〝朝鮮人強制連行〟宣伝は北朝鮮によって行われた日韓離間工作の一つなのである。日本の統治によって大規模な水力発電所や鉱工業が発達して豊かであった現在の北朝鮮には「募集」に応じる人員も、また必要もなかった。これに対して貧しい農村地帯であり、しかも干ばつに見舞われた現在の韓国では多くの人々が日本内地への出稼ぎを希望していた。なぜ、北朝鮮工作機関の朝鮮大学校教員がこのような捏造本を書いて、募集に応じた韓国人を日本帝国主義の犠牲者に仕立て上げなければならなかったのか、を考えていただきたい。そして強制連行や従軍慰安婦強制連行で熱心に政府を糾弾していた国内勢力が、共産党や旧社会党系の人々であり、招かれて中共の人民解放軍や北朝鮮軍の観閲式に出席しながら、日本の自衛隊を違憲といって攻撃してきた人々であることを思い出してほしい。御貴殿はまだお若いのでご存知ないかもしれないが、現在の社民党や多くの古参民主党議員の出身母体である社会党の浅沼稲次郎党首などは、中国で「米帝は日中共通の敵である」と公言した人物ですらあったのだ。
 私の父や叔父たちも先の戦争に参加し、実際に戦闘を経験していたが、彼らは日本国のために戦ったことに密かな矜りをもっていたし、周囲のものたちも彼らに対して尊敬の念を示していた。「戦争中の暗い出来事」こそは戦勝国である貴国のGHQ民間情報教育局(CIE)編集の「真相箱」というラジオ放送をはじめとしたwar guilt information program (戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)の一環であり、GHQに潜入していたE.Hノーマンらコミンテルンのスパイの策動によって優遇され大学教授をはじめ様々な公職に付いた共産主義者たちによって作り上げられたものである。なおノーマンがソ連のスパイであったことは、イギリスの諜報機関の機密文書の公開によって証明されている(産経新聞平成二十六年七月二十七日記事参照)。

Known collectively as the Net Right, these loosely organized cyberactivists were once dismissed as radicals on the far margins of the Japanese political landscape. But they have gained outsize influence with the rise of Prime Minister Shinzo Abe’s conservative government, which shares their goal of ending negative portrayals of Japan’s history, and with the acquiescence of a society too uninterested or scared to speak out.
ネトウヨ(ネット右翼)と総称され、ゆるく結びついているネット上の活動家は、その過激さによってかつて日本の政治風景のはるか辺縁に位置していた。しかし安倍晋三総理という保守政権誕生の影響を得て、日本史の否定的叙述を終わらせる目的を共有し、あまりにも無関心、そして発言することに怯え黙認する社会に力を得ている。
*反論 戦後先にあげた占領政策によって、特に教育とマスコミは著しく歪められた。特に文化人といわれる人々にあっては朝日新聞に高く評価されることがその地位を保持する重要な条件となってしまい、日本の言論空間は極端に狭められたものとなっていった。つまり朝日新聞が書く記事に反論することはとりもなおさず、言論人としての職を失うことにすらなってしまったのである。こうした動きは地方紙へも波及し、日本の言論は一部の保守思想家を除いて極端に偏向したものとなってしまったのである。御貴殿が指摘するように「発言することに怯え黙認する社会」は朝日を中心とする左翼メディアに寄生する言論人たちが作ろうとしたものであって、実際の生活者たちの多くは教職員組合やマスコミが扇動するあやまった歴史観や価値観とは一線を画して、常識的に家庭内で子供たちを躾てきたのである。度重なる災害に対する被災者やこれを支援する日本人の、秩序・勇気・使命感といった姿勢をみれば、そのことは一目瞭然であろう。韓国のフェリー遭難で明らかになった、韓国人に欠除する秩序・勇気・使命感が日本人に備わっていることを憎んでやまない朝日新聞は、ついに東京電力の吉田証言に対する捏造記事まで書くにいたったのである。
父祖の勇気と誠実を信じ、反日的マスコミの跋扈に眉を顰め沈黙を守ってきた多くの日本人に、今ようやく自らの心情を明らかにする場が与えられたということであり、御貴殿の見解は本末転倒というべきものである。

“I don’t blame the mayor for giving in,” said Mr. Mizuguchi, 79, an architect who guided a visitor to the site of the old airfield using a hand-drawn map. “I blame the rest of Japan for not speaking out to support us.”
 「私は村長が屈服したことを咎めません」と水口氏(七九歳、建築家)は手書きの地図をもとに飛行場跡に訪問者を案内した。「私は我々を支援するために発言しないその他の日本の人びとを咎める」。
 *反論 巽昭元村長の名誉のために繰り返すが、公有地に許可なく構築物を建てる違法行為を許さなかっただけであるとして、度重なる誘導にもかかわらず、本人は一度も屈服とは言っていないとのことであった。もし水口氏が本当にこのような発言をしたとすればの話ではあるが、そもそも韓国や北朝鮮の工作機関の手先になって違法構築物を立てておきながら、盗人たけだけしいとはまさにこのことであろう。

Scholars say the Net Right has no more than a few thousand active members, many of them from Japan’s growing ranks of contract workers who have been unable to find coveted lifetime jobs. But these extremists have benefited from a broader upwelling of frustration among young Japanese over their nation’s long economic and political stagnation.
 研究者は次のように指摘する。ネット右翼の活動的メンバーはわずかに千人程度でしかない。多くは望むべき生涯の仕事を見いだせない、日本で増え続ける契約社員階級だ。しかしこの過激派は、長期にわたる経済的、政治的停滞に不満を噴出させている日本の若者から力を得ている。
*反論 私の知る限り、いまこうしたブログを熱心に見ている人には定年退職者や会社経営者、さらには医師や弁護士、一般家庭の主婦、公務員など実に幅広い社会層に受け入れられている。朝日新聞に寄生するようなサヨク研究者は朝日新聞同様に、いわば〝井の中の蛙、大海を知らず〟で自分の周りで起こっている社会的変化に気づかないのだろう。

The activists blame a crippling lack of national pride, arguing that Japan’s self-confidence has been sapped by 70 years of unfair portrayals as the villain in the war by the United States and others who ignore their own wartime crimes, including the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki.
こうした活動家たちは、広島や長崎に原爆を投下したことなど、みずからあの戦争で犯した罪には目をつむる米国やそのほかの国々によって 日本の自信は七〇年にわたる悪役という不公正な歴史解釈によって蝕まれ続け、日本の国家としての誇りはひどく傷つけられたと非難する。
 *反論 東京大空襲や原爆投下は非戦闘員を大量殺戮するという戦争犯罪そのものであった。その戦争犯罪を糊塗するために米国は同盟国を装いながら、一方で中国や朝鮮半島勢力と強調して執拗に日本を非難し、日本人の矜りを傷つけてきたという側面は確かにある。

“We are tired of Japan being constantly told to apologize,” said Kazuya Kyomoto, 26, a popular blogger among conservative youth who condemned monuments like the one in Sarufutsu for promoting a “masochistic” view of Japanese history. He said just a few overzealous extremists used intimidation tactics.
日本の自虐史観を促進するような、たとえば猿払の慰霊碑などを批判的に見ている保守的若者の間で人気のブログKZUYA Channelを公開している京本和也氏(二六歳)は、「我々は日本が常に謝罪するように言われているのに倦んでいる」という。あまりに熱心な過激派が威嚇戦術を用いたと彼はいう。

Mr. Kyomoto and others said their resentment was fueled in part by intensifying disputes over history and territory with China and South Korea, two victims of Japan’s early-20th-century empire-building that now seem to be eclipsing it economically. “The Net Right gives voice to Japan’s worries about its own decline,” said Shojiro Sakaguchi, a scholar at Hitotsubashi University in Tokyo.
京本氏や他の人々はいう。彼らの憤りは、高まる歴史論争と、二〇世紀前半日本帝国建設の犠牲になり、今や経済的に日本を凌駕しようとするまでに発展しているようにみえる中国や韓国との間の領土問題とに焚き付けられている。これについて一橋大学の阪口正二郎教授は「ネット右翼は、国家の衰退に対する日本国民の懸念の表れだ」という。
*反論 中国の経済発展はもはや砂上の楼閣であり、韓国経済も危殆に瀕していることを知らぬ「ネット右翼」はいない。阪口氏がこう言ったというのであれば仕方がないが、謬見というほかあるまい。

The extremists, who organize on ultranationalist websites and sometimes target ethnic Koreans in Japan with racist hate speech, hold more sway than before in part because of the collapse of Japan’s left-leaning political opposition, which is in disarray after a resounding election defeat two years ago and an unsuccessful stint in power.
 ウェブサイトの国粋主義者であるこうした過激派は、時には在日朝鮮人を標的に人種差別的ヘイトスピーチをしたり、さらには、二年前の選挙の敗北とこの期間の党運営の失敗によって混乱状態にある日本の左派政党によって、さらに影響力を増している。

Mr. Abe’s government has been criticized for being slow to distance itself from the Net Right. Last month, a photograph surfaced of Eriko Yamatani, the cabinet member in charge of national law enforcement, with a prominent member of the biggest online extremist group, the Zaitokukai, but the government has remained largely silent on the issue.
 安倍内閣はなかなかネット右翼と距離を置かないと批判され続けてきた。先月には山谷えり子国家公安委員長が在特会幹部と一緒に写真撮影していた問題が浮上したが、政府はこの問題について沈黙したままだ。

Mr. Sakaguchi and other experts say one result has been a shift in Japanese political culture that has emboldened the ultranationalists to target even acts of historical contrition that Japanese society previously embraced.
 日本の政治的変化(安倍政権誕生と左派野党の衰退)の結果として、日本社会が以前から抱きしめていた歴史的悔恨を標的にした国粋主義者を勇気づけていると、阪口氏等の専門家はいう。

In July, for example, the government of Gunma Prefecture, north of Tokyo, decided to remove a decade-old monument to Korean forced laborers from a public park after angry phone calls and protests. A similar campaign led the city of Nagasaki, long a bastion of antiwar sentiment, to delay approval of a cenotaph to Korean laborers who perished in the 1945 atomic bombing. The monument was supposed to be unveiled in April.
例えば、今年七月、東京の北にある群馬県は、怒りの電話や手紙を受けて、建立後十年を経た、朝鮮人強制労働の記念碑を公園から撤去することを決定した。同様の運動は、長く反戦思想の砦だった長崎でも行われ、一九四五年の原爆による朝鮮人犠牲者の記念碑建立認可を遅らせた。記念碑は四月に除幕式を迎えることになっていた。
*反論 これはネット右翼の脅迫によって、撤去させられるのではなく、公園に建てられた記念碑を政治目的に使用してはならぬという規約違反を続けたための撤去命令であった。

“Since Mr. Abe became prime minister, everything has become so emotional and reactionary,” said Yasuhito Maeda, 90, a former deputy mayor of Sarufutsu who wrote a book published two decades ago that detailed the use of forced laborers from Korea and Japanese convicts to build the wartime Asajino airfield here. “When I looked into Asajino, not even conservatives disputed that coercion had been used.”
 「安倍氏が総理大臣になって以来、すべてが感情的で反動的になっている」と前田保仁(九〇歳)元猿払村助役はいう。彼は、戦時中、浅茅野飛行場建設に動員された朝鮮人強制労働者や日本の囚人について詳述した一冊の本を二〇年前に出版している。「私が浅茅野を調べたころ、保守派ですら強制労働を否定しなかった」、と彼はいう。
*反論 何度も繰り返すが、強制性を伴う徴用が朝鮮半島に実施されたのは、浅茅野飛行場が完成した後のことである。

Officials in this village of 2,400 on the island of Hokkaido said that no more than 100 people were behind the calls that tied up their phone lines. But Akira Tatsumi, the mayor at the time, said accusations of treason ? in part stemming from the fact that the village accepted money from the South Korean government to build the monument ? had finally led him to give in.
“This isn’t a fight that one small village can wage alone,” Mr. Tatsumi said.
 北海道にある人口二四〇〇人の村の発表では、百人程度が連携して電話をしてきたという。当時村長であった巽昭氏は、村が韓国政府から慰霊碑建立資金をうけたという事実に由来する反逆という非難は、ついに彼を屈服させたという。
「この問題は、一つの小さな村が単独で戦えるものではない」と巽氏は語った。
*反論 この問題について私は村の担当職員と直接電話で話をしたが、職員は浅茅野墓地の所在地すら知らなかったし、こうした動きがあることも知らなかった。韓国側は村に資金を提供したと発表したが、巽昭元村長に直接聞いたところ、慰霊碑建立に村は一切かかわっていなかったという。一部の村人がそう言ったのであって、まったく事実に反するとのことであった。また、インタービューに際して、何とか自分から屈服という言葉を引き出そうと繰り返し誘いをかけられたが、自分は屈服という言葉を使っていないし、電凸と戦うということも言っていない。むしろ韓国や朝鮮総連を巻き込んだこうした動きに対して、一村としての対応が難しいと述べたということであった。

Few, if any, of the activists used their real names on the websites that organized the phone calls. But one, Mitsuaki Matoba, agreed to be interviewed by email, describing himself as a 60-year-old doctor in Hokkaido. He defended the Net Right’s pressure tactics, saying it was the only way to make themselves heard over mainstream media outlets that repeat falsehoods about Japan’s wartime actions.
電凸をおこなった活動家たちはウェブサイト上ではほとんど実名を使用していない。しかし、北海道の医師である的場光昭(六〇歳)は電子メールでのインターヴューに応じた。彼はネット右翼の戦術を以下のように擁護した。日本の戦時中の行動に関する虚偽を繰り返す主要メディアに、彼らの主張を聞いてもらうための唯一の方法だという。
*反論 私に関する限り「電凸を行った活動家」という表現は当たらない。何より実際に現場へ足を運んで確認したうえで、問題点を村の担当者にFAXで送付し、情報提供に関する謝意まで受けているのである。今回の巽昭元村長も十分そのことは理解しておられた。
私が電凸を擁護したという理解はさらに当たらない。御貴殿の私に対する質問〝そういった皆さんは、なぜ「電凸」という行為をされるのでしょうか。民主主義社会は、相反する意見と、健全なディベートを尊重するのではないでしょうか?〟に対して私は貴国のWalter Lippmannの著した Public Opinion(1922)、邦訳 『世論』(岩波文庫)に書かれているステレオタイプ思考の弊害をあげて、結論として「電凸はステレオタイプ思考に陥ったマスコミが本来の機能を果たさなくなったことに焦燥を覚える庶民の声なのかもしれません。こうした行為はないにこしたことはありませんが、逆にこうした行為が表に出てくる社会はマスコミがその本来あるべき機能を失いつつある社会なのかもしれません。御社をはじめ各報道機関にあってはステレオタイプ思考から脱却して、世論に迎合することなく真実を伝える報道姿勢を強く望むものです」と、しっかりと、ないに越したことはないと書き、むしろマスコミの報道姿勢を批判したものである。
このたびの貴紙の記事には、私がお伝えしたあれだけの事実を前にしても、貴殿がいまだに「ステレオタイプ思考から脱却して」いないことがよく現れている。「ステレオタイプ思考からの脱却」は私の忠告ではない。貴国の大先輩が著したマスコミ人のバイブルとまで評価されているPublic Opinionに記されている忠告であることに心されたい。

Like those who called Sarufutsu’s village hall, he objected to the term “forced laborers” to describe the Koreans. “To say they were ‘coerced’ is a fabrication,” he wrote. “If Koreans were involved in the construction of the airfield, they came of their own free will.”
 猿払村役場に電凸した人々のように、彼は朝鮮人を「強制労働」と記載することに反対した。朝鮮人が強制的に飛行場建設に動員されたというのは捏造であり、彼らは自由意志で来たのだ、と彼はいう。
*反論 私を電凸右翼と同列にして、私が主張する史実への信頼性を損ねる意図が見える文章である。「猿払村役場に電凸した人々のように、」は削除してもらいたい。

Mainstream historians say that as many as 700,000 Koreans were rounded up and forced to work in wartime Japan. Mr. Maeda said there was little doubt the Koreans buried in Sarufutsu were among them, noting that villagers have described hundreds of Koreans being held in windowless, prisonlike barracks. Many of the Koreans tried to escape, he added, and were captured and beaten.
主だった歴史家たちは、戦時中七十万の朝鮮人が狩り集められ強制労働させられたと指摘する。前田氏は 猿払に埋められた朝鮮人について、村人の記録には何百人もの朝鮮人が窓のない刑務所のような部屋に入れられた。多くの朝鮮人は逃げようとしたが捕まって打たれた。
*反論 外務省は昭和三十四年七月、在日朝鮮人の実態について調査した結果を発表している。それによると、第二次大戦前の昭和十四年末、日本内地に居住していた朝鮮人は百万人だったが、二十年の終戦直前には二百万人に増えている。増えた百万人のうち、七十万人は朝鮮半島から日本内地に職を求めて来た渡航者と出生による自然増加で、残り三十万人の大部分は鉱工業や土木工事などの募集に応じて自主的に契約した人たちで、強制性を伴う国民徴用令による戦時徴用者、彼らがいうところの強制連行はごく少数(三五〇一六名)だったことが明らかになっている。
朝日新聞ご用達の学者たちの意見を鵜呑みにすると、このような大恥を記事に書いてしまうのである。
また、「朝鮮人が狩り集められ」という表現は、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』の記載を踏襲するものであることから、こうした歴史家たちが依拠する歴史観がどういうものであるかが知れようというものである。

After its defeat, the Japanese Army hastily burned records to eliminate evidence of war crimes. But Mr. Maeda said a document found in a village safe listed the names of 82 Korean workers, all in their 20s and 30s, who died during construction of the airfield. Most perished from typhus and other diseases that indicate poor sanitation, malnutrition and harsh work conditions.
敗戦後、日本陸軍は急いで戦争犯罪の証拠を消すために記録を燃やした。しかし、前田氏は、飛行場建設中に亡くなった二〇から三〇歳代の八十二人の名簿を村の金庫から発見したという。ほとんどがチフスや不衛生や低栄養そして過酷な労働からくるところの病気で死んだ。
*反論 こうした朝鮮人労働者の募集は、政府が許可し、民間企業によって行われたため各地の民間企業には当時の資料がよく保存されている。特に朝鮮人労働者について、政府が実態を隠そうとした事実はない。

Mr. Mizuguchi, the architect who first heard about the Koreans from the village postmaster, helped organize three excavations of the grave site from 2006 to 2010. Hundreds of Japanese and South Korean researchers and volunteers participated, finding 38 sets of remains.
村の郵便局長から最初に朝鮮人について聞いた建築家の水口氏は、日本人と朝鮮人の研究者およびボランティアが参加する、二〇〇六年から二〇一〇年の間に、三回にわたる墓地敷地の発掘調査を手助けし、三十八体分の遺骨を発見した。
*反論 公開されている彼らの調査報告をみると、発掘された遺骨の歯にタバコのヤニが付いている、重労働で背骨が不自然に曲がっているなど不自然なものである。法医学者の見解によれば埋葬され、年月を経た歯は白色または淡いピンクであり、タバコのヤニが残ることはないという。まして、当時タバコは貴重品である。「強制労働」させられた朝鮮人がなぜ煙管を持ち歯にヤニが付くほどタバコを吸っていたのか、不思議だと思わないのか。さらに、成人男性の背骨が二年程度の重労働で不自然に曲がることはない。これはおそらく老人、しかも女性の背骨であろう。
また当時は薪で荼毘に付す火葬であり、焼きあがらず砕いて骨箱に入れることができない、長管骨や骨盤、背骨などは火葬場にまとめておいて、ある程度たまると火葬場の敷地に穴を掘って埋めて供養するということが行われていた。私の記憶でも昭和四十年ころまで北海道愛別町中愛別の火葬場で赤錆びたドラム缶に骨盤や大腿骨、肩甲骨に付いたままの上腕骨が入っているのを見たことがある。同様のことは比布町、中富良野町、芦別市の住民からも聞き取り確認している。またこうした骨は火葬に用いた薪の灰と一緒に埋められるため、灰のアルカリ成分に守られて地中に溶出することなく保存される。したがって彼らの行為は発掘ではなく、墓荒らしといっても過言ではないし、そこで発見された人骨は朝鮮人のものとは断定できない。

On a recent visit to the site, now a bucolic vista of dairy farms, he said he had not given up on building the monument.
“These outsiders are trying to intimidate us into closing our eyes again,” he said, standing next to excavated graves covered with blue plastic tarps. “We cannot let them prevent us from finding closure.”
 最近訪問した際に、酪農業の牧歌的な見晴らしのなかで、彼は慰霊碑建立を決して諦めないと語った。
 彼は掘り出して撤去させられ、ブルーシートに覆われた慰霊碑のそばに立って、「外部者が我々を威嚇して我々を諦めさせようとしても、彼らは我々の運動が終わるのを見届けることはできないだろう」と語った。
*反論 今回の一連の騒動を仕掛けた組織こそが、韓国政府機関である「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者支援委員会」であり朝鮮総連などの外部者である。巽昭元村長をはじめ多の村民は、村にこうした政治的問題を持ち込んでほしくないと願っているのである。

 以上、御貴殿の記事に関して、些かの考察と反論を書きました。
 一度、記事にされたことを訂正するのは、御貴殿としてもはなはだプライドが傷つくことと存じ上げますが、私はむしろ誤った記事を書いたことが分かった時には、これを直ちに訂正することこそ、マスコミ人としての矜持というものだろいうと考えております。
 また、直接的に訂正されなくとも、かつて北海道新聞が私の指摘を受けて徐々にその論調や用語を変えたように、御貴殿が今般私の指摘した内容に留意されて参考になさりながら、関連記事をお書きになることを切望するものであります。
 末尾になりましたが、御社のご発展と御貴殿の益々の御大成をお祈り申し上げ、擱筆いたします。
平成二十六年十一月五日
北海道旭川市 的場 光昭
 
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