すこし前に、藤原紀香がやっているブログの名前を知った。
氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ
目に飛びこんできた瞬間に、頭痛がした。「うう…」という感じ。しばらく頭を抱えてしまった。
この頭痛の原因は何なんだろう、と考えていた。
やはり、「氣愛と喜愛」がポイントだと思われる。たぶん、意味があるのだ。絶対にその場の思いつきではなくて、「気合」のそれぞれに別の漢字をあてているところには、紀香の思いが込められている。もし意味を尋ねれば、じっくりと答えてくれるだろう。
「この氣愛というところ、「気」じゃなくて「氣」という文字を使っているでしょう? これには理由があるの、それはね…(略)、それにね、二つ目の「気」が「喜」になっているでしょう? これにも理由があるの、実は私の尊敬する〇〇さんが…(略)、それでね、両方とも、「合」じゃなくて「愛」になっているでしょう? これにも理由があるの、それはね…」
ずっと説明してくれるんだろうなあ、と思う。
たまに、こういうことがある。文字を見た瞬間に、「ああ、きっと深い意味がこめられているんだろうな…」と気づいてしまい、その予感だけで頭痛がするのだ。むせかえるような濃密な意味のにおい。
たいていの親は、我が子の名前に意味をこめるだろう。それはいい。だが、意味というものが絶対に良いものだというならそれは間違いで、なんでもかんでも意味を込めていりゃあ、胃にもたれる。だからこそ、世の中には「ナンセンス」という価値もあるわけである。無意味が人を癒すこともあるのだ。
「うっとうしい」というのは、別に意味を求めていないところに、濃密な意味を予感してしまったときの感情である。ほしくもない意味を押しつけられること。そういう意味で、紀香のこのブログ名は、うっとうしい。頭痛の原因はそこにあるんだろう。
さて、しかし、これはブログ名の前半だけでの感想である。
後半には、「ノリノリノリカ」が控えている。ここには濃密な意味の予感はないだろう。むしろ、単なるアホらしさがある。
無粋を承知で説明させていただくなら、「ノリノリ」というのは機嫌のよい状態を示す擬態語であり、「ノリカ」というのは藤原紀香の下の名前である。よって、ノリノリノリカというのは、藤原紀香がゴキゲンであることを示している。これは、説明されなくともみなさんも分かっているだろうが、低級なダジャレである。
こう考えたとき、藤原紀香のブログ名は、まず前半で濃厚な意味のこめられた「氣愛」と「喜愛」のふたつをお客さまに召し上がっていただき、小休止としてのリズミカルな「♪」をはさんで、「ノリノリノリカ」という急転直下のクソダジャレを召し上がっていただく形になっている。
これは構成の妙と言えるのかもしれない。
もし後半にも濃厚な意味が込められていたなら、完全にトゥーマッチだろう。ステーキの後にカツ丼を食わされるようなものだ。そこはやはり、軽めのデザートでも出してくれ、ということである。そして実際に、ノリノリノリカが登場する。前半で濃厚な意味を味わった後は、スカスカのくだらないダジャレを食べることになるわけだ。
これは、なかなか考えられているんではないか。
まさか、こんな結論になるとは思わなかったが、もしかしたら、このブログ名は素晴らしいのかもしれない。書き始めた時点での私は、「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ」を、頭痛のする最悪のネーミングだと思い込んでいた。しかし今、けっこう良いのかもしれないと思いはじめている。前半だけでも、後半だけでも、駄目だっただろう。組み合わせの妙が言葉を救っているのだ。
「氣愛と喜愛」はドレスアップした紀香であり、「ノリノリノリカ」は関西出身のお調子者である紀香だろう。名付けというものが対象の本質をえぐりだす行為であるならば、たった14字のうちに、この言葉は藤原紀香という女の表と裏を見事に凝縮させているのだ。
氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ
これは一個の言葉の結晶である。
ちなみに、その下には、こう書いてあった。
NORIKA's sensation
やはり、うっとうしい気もする。またすこし頭痛がした。