http://matome.naver.jp/odai/2138234943895874901/2138245141276597903
※画像は平成16年新潟県中越地震時
「救援物資は被災地を襲う第二の災害である」
これはアメリカの防災関係者で使われ始めた言葉だそうです。
消防防災科学センターの
こちらを参考にして、過去の災害で救援物資について「困った」事例をまとめます。
1964年新潟地震
- 中古衣料品が体育館の天井まで届く程積みあげらる
- やっとの事で配分→翌日他の集荷所へ行く→またそこにも山積みの中古衣料品
- 地震では火事に焼けたのは極く一部→今すぐ衣類を必要とするのは少ない
- とにかく梱包の数の多いのには処理に手を焼いた
1983年日本海中部地震
- 衣類のほとんどがいったん着用したもので規格がそろっていない
- 火災などと違って、震災では家財が残っており、衣類などに困っている人が少ない
- 被災者へ直接配分することは困難
- バザーを開催し、売上金を義援金として寄付
1993年北海道南西沖地震
- 被災地の奥尻町に救援物資が殺到
- 保管するために町は1億2千万円をかけてわざわざ倉庫を作らざるを得なかった
- 仕分け等で大変な労力を必要とした
- 個人からの救援物資はできるだけ受け付けず、義援金としての援助をお願いすべき
- 企業からの救援物資の提供リストをもらい、必要なときに必要物資を提供していただけるシステムづくりが必要では
- 衣類については七割方ほとんど使うことができなかった
- 札幌まで持っていって仕分けに9千万ほどかかった
- 中には食料品と一緒に送ってくるものもある→においがついてどうしようもない
1995年阪神・淡路大震災
- 無料化ゆうパックによって、全国の個人・市民団体から様々な品が義援物資として送られる
- 個人からの物資は梱包をし直して配布しなければならず多くの人手が必要となった
- 全体として、ゆうパックは61万個にも及んだ
- 分類作業については約600人体制で行った
- 約43万個について一つ一つ開封し、品目毎の仕分けが必要となった
- 被災者は中古の衣料は受け取らないため、西宮市では、どうしても使用できない義援物資等を処分するのに、2,800万円の費用を投じた
2004年新潟県中越地震
- 地震発生の夜半から、全国からの救援物資が続々と届くようになった
- 昼夜を問わず、市役所前にトラックが着くたびに荷降ろし作業に取り掛かった
- 職員は一睡もせずにこの作業を続けた
- 地震発生後3日目、早朝から救援物資を載せたトラックが続々と市役所に到着した
- 市役所周辺の道路は荷降ろしを待つトラックで大渋滞
- 市庁舎2階の市民ホールは積み上げられた物資で満杯
- 通路や階段などにも積み上げられた
- 庁舎前の庭や空きスペースも埋めつくされ、仕分け作業はおろか職員の通行にも支障をきたすまでになってきた
後記
被災者を憂い、「何か自分でもできることはないか」と考えた末の救援物資送付であることがうかがえます。その気持ちは、きっと被災者にとっては有り難いものでしょう。しかし、問題は「有り難くないものが送られてくる」ことなのですよね。
被災=衣類に困る
というのも先入観でしかなく、結果的に中古衣料品で山積みになった現地で仕分けに四苦八苦するというのが現状です。必要のないものを処分するために大半の労力を割くくらいなら、その分を被災者のためになるような仕事へ分配したほうが良い。考えるまでもありません。
このような皮肉なケースに陥らないためにも、救援物資を送る側も「現地では何が足りないのか、何を送れば助けになるか」を考える必要がありそうです。
義援金が手っ取り早く支援できる方法です。これならば救済にも復旧にも充てられますし、間違いなく被災者の救援に寄与できる。
「お金なんて現実的な」と思うかも知れません。ですが、送られてきて使い道がなく、保管場所にすら苦慮する中古衣料品や千羽鶴よりも、お金の方がずっと被災者のためになりますよ。
だって、被災している現地は「現実的な問題に直面」しているのですから。気持ちを形にするというのは、ケースバイケースでなければいけません。
ありがたいのでしょうけれどもね、気持ちは...