こんにちは、ジュリー下戸です。
巷で良く聞くワードのひとつに、「コンプレックスを逆手に取って長所にしちゃおう」というポジティブ思考理論がありますね。胸が小さいのを逆手にとってタイトなお洋服をいやらしくなく着こなしたり、目つきが悪いのを生かしたクールビューティーなメイクをしたり、みたいなやつ。
わたしはずっと、太く濃い眉毛がコンプレックスでした。太眉はなかなか世間に受け入れられず、アニメで太眉が出ればだいたいブスだし、田舎娘の象徴のようにゲジ眉が描かれ、少女漫画の登場人物の眉毛ときたら、髪の毛1本みたいなのが顔にのっているだけ。ディズニープリンセスグッズを分け合うとき、いつもジャスミンが残されました。
ですから、太眉ブームがきたと知ったとき、「ようやく時代に受け入れられた」と思いました。
ただそのブームも、太眉界の女神こと石原さとみがやたらと美しくなり「石原さとみがかわいくなったのは太眉をやめたからだ」という流れが生まれてからというもの、下火になってきたように感じます。
しかし今のわたしは、自分が太眉であることを極端に恨んだり、憎んだりするのをやめることができたので、もう眉毛のことで心を痛める心配はなくなりました。もう細眉ブームが来ようと眉毛脱毛が流行ろうと、わたしは自分の眉毛を引っさげて街を闊歩してやるわ。
さて、わたしは自分の眉毛をコンプレックスに感じてから逆に愛することができるまでに、15年かかりました。その経過を追ってみましょう。「自分のコンプレックスを認めるなんて絶対無理だしなんならしぬ」と思っているかつてのわたしのような人のヒントになればうれしいです。
コンプレックスに目覚めた小学校時代
4つ下の弟がいます。わたしが10歳になる年に、弟が小学校へ入学してきました。弟は野球チームに所属したり、バレーボールのクラブに入ったりと、しょっぱなから交友関係を広げまくるタイプの少年で、結果自宅には連日チームメイトがゲームをしに遊びに来るようになりました。
ある日、弟が家族との食事中に、とんでもないことを言いました。
「〇〇(弟のチームメイトの1人)が、『お前の兄貴かっこいいな』って言ってた」
反論の余地なし。わたしは無修正の太眉に加え、水泳大会の練習で真っ黒に日焼けをし、髪は金田一少年のように乱暴にまとめて、水色が好きな、スカートなんか全然履かない子でした。別に望んで太眉にしたわけではなかったけれど、わたしの「ボーイッシュ信仰」に拍車をかけた要因ではありました。
愛読していた雑誌「ちゃお」で連載していたこの作品の主人公・七海は、ワイルドな性格と粗野な立ち振る舞い、そして黒々とした太眉の持ち主。全然女の子らしくない彼女に自分を重ね合わせていました。コミックスを美容室に持って行って「こんな感じにしたい」と言って切ってもらったことも。(同じちゃおで言ったら、富所和子さん「ライバルはキュートboy」の空也のカノジョ・彩ちゃんも太眉。こちらは美女として描かれているけど。90年代後半だったから、ちょっとバブルの残り香があったのかも)
でも、この一件で確かに、わたしの眉毛に対するコンプレックスが確立されたのでした。
「眉毛濃いキャラ」で定着した中学校時代
中学校に上がって水泳部に所属したわたしは、部内を中心に「眉毛が濃い人」というキャラ付けをされるようになります。前髪を全部帽子の中へしまいこんでしまって、クッションのないゴーグルをぎゅっと目に食い込ませていると、いやでも眉毛が強調されました。そして、水から上がると眉毛が下に下がって張り付いて「おじいちゃんみたい」と笑われました。
笑われるたび、「しょうがないじゃない!」とキレたようにして笑いを誘っていたわたしでしたが、心では泣いていました。この頃から、眉毛を整えるようになっていましたが、まぶたに生えている明らかに余分な毛を剃り、眉間で繋がらないよう気を配る程度で、思い切ったことはできませんでした。存在感が大きすぎて、手をつけるのが怖かったのです。
この頃、友達がわたしの似顔絵を描くと、だいたいエスカレートしてひどいことになりました。両津勘吉みたいなまゆげに、顔中に極端な量のそばかすと、バカみたいな太さのたらこ唇を描かれました。今思い出したら「イジメじゃないの...」と思うことも、眉毛いじりの中には数多くありました。眉毛暗黒期。自分の顔に対して、希望なんてひとっつもありませんでした。
眉毛全剃りをキメた高校時代
「高校デビュー」という言葉があります。わたしにとってそれは「眉毛キャラからの脱却」を意味していました。ちょうど「古着ファッション」が流行り出したころで、眉毛を全部剃り落したり、眉頭だけちょっと残したりするような不自然な眉毛がティーンの間で増え始めていたので、まさに剃るならこのタイミングだったのです。
結果、晴れて眉毛の呪縛からは逃れることができたのですが、家で猛反発を受けることになりました。特に母が「全然似合わない」「顔に合ってない」「おかしい」等ブーイング(というかバッシング)を容赦なく浴びせてきました。今思えば母が正しいんだけど、やっと学校で眉毛キャラを抜け出すことができたのでわたしは満足だったのです。だから本当に、ほっといてほしかった......
この頃、年に一回の文学コンテストのようなものに3年間応募をしていたのですが、高校3年のときにとうとう「まゆげ」というタイトルのエッセイを書きました。そのエッセイは高校の文集に掲載もされ(そんな文集を読むような生徒はほとんどいませんでした)、今となっては笑い話。でも、わたしは告発文のような気持ちで書いていました。
概略としては「今を時めくJKであるあたしの近頃の悩みはね、"眉毛"。太眉をばかにされるのは嫌だと思って眉毛を剃ったら、今度は家族に批判されるようになったわ。剃らなきゃ学校で笑われるのよ。あたしは人に笑われたくない、だから今日も眉毛を剃るの。この太い眉毛がチャームポイントだなんて言われても、そんなの、まっぴらゴメンよ。いつかはそう思える時がくるのかもしれないけど、少なくともそれは今ではないわ。でも、眉毛があたしのアイデンティティだなんて、言いたくないわよ」というもの。
こうしてわたしは、コンプレックスを打破した。「長所に変える」のではなく、力技で封じ込めるようにして。
髪色に合わせて眉マスカラを駆使した大学時代
大学生になって田舎から上京し、面白いようにTOKYO.HARAJUKU.KAWAIIに感化されていたわたしは、髪を染めました。ブリーチもしました。わたしの髪色は、ミルクが足りなかったミルクティーのような色をしていました。そうなると、青々とした眉毛ではいけません。もちろん、生やしたままの黒い眉毛なんてもってのほかです。せっかく髪を染めたのに、眉毛のせいでずっとあか抜けないまま。困り果てました。
そこで出会ったのが「眉マスカラ」!とりあえずある程度眉毛を生やし、その毛に塗っておけば、まるでもとから眉毛がその色だったかのように見えるという文明の利器です。当時のわたしはAMOちゃんになりたかったので、眉毛はある程度幅を持たせて生やし、一番明るいベージュに塗っていました。
眉毛が太くても、色が明るければあか抜けて見えるのだと知り、わたしは自分の眉毛と向かい合う必要が出てきました。目鼻立ちも、唇もハッキリとした顔に、眉毛だけないというのはやっぱりおかしいのかもしれない。この時になって初めて、高校生のわたしに母が浴びせたブーイングが正しかったのだと知るのでした。
第三者からの「似合うよ」という言葉
社会人になっても、数年は学生時代を引きずってか、髪は茶色く染めて眉マスカラを塗っておく生活が続きました。それが25歳の誕生日を越えたあたりで「イメチェンしたいな」と思うようになりました。25歳というキリの良さがそうさせたのかもしれません。鎖骨まで伸びた髪を、思い切ってベリーショートにしました。髪の色は黒く、前髪は眉毛より上でしたので、眉毛の逃げ場がなくなりました。
ひょっとしたらと思い、眉毛をしっかり生やしてみました。そうしたら、すこぶる評判が良い。「髪と顔が合ってる」「すごくいい」「どうして今までそうしなかったの」等、嘘みたいな賛辞が待っていました。その、対して近しい関係ではない人からの「顔立ちと合ってる。とても似合うよ」という言葉。そのたった一言で、わたしは自分の眉毛が好きになれました。15年かかりました。眉毛を気にし始めてから、自信を持てるまでに、15年。目の覚めるような瞬間でした。
"たったそれだけのこと"
それにしても人間、あれだけうんうん悩んで時には泣いて、告発エッセイまで書いて、ティーンエイジで剃る抜く染めるのオンパレードをこなしておきながら、たった一言の「似合っている」で解決なんてするものなのでしょうか。高校までのわたしが聞いたら、絶対信じない。ありえない、そんなヤワな悩みじゃない、と憤怒するに違いありません。でも、実際のところ、それでアッサリとコンプレックスは解消されてしまったのです。それどころか「これくらい濃くなきゃわたしじゃない」くらいまで思えてしまっている。高校のときにまっぴらだと言っていた「眉毛がアイデンティティ」、これが現実のものになっている。なぜ?
これは、「あくまでわたしのケースは」ということでご理解いただきたいのですが。
わたしの場合、心から自分の眉毛が嫌いだったというわけではなかったのです。いや、確かに忌み嫌ってはいたのですが、どうやら「眉毛そのもの」ではなく「眉毛を笑われる状況」が嫌だったようなのです。これは同じようで、全く別の意味を持ちます。だって、笑われなかったら眉毛はそのままでも良かったわけですから。わたしはずっと、自分の眉毛が笑われるコミュニティに属しており、複数から眉毛に対する否定的な声をかけられ続けてきました。それはそれは惨めなものです。
眉毛を消したり隠したりごまかしたりして眉毛戦線を離脱した数年を経、眉毛を晒そうという気になったのは、所属するコミュニティが変わったことにより冒険する勇気が出てきたからでした。社会に出てから、人の容姿をあーだこーだと言ってくるような人がいなくなった。ひょっとしたらもう笑われないかもしれない、という気持ちが芽生えたのです。笑われなくなったら、もうこっちのものです。
イメチェンした後の人にボロクソ言う人はそう居ません、勇気のいることですから。最初のタイミングでもらえたポジティブな意見は、長年悩んでいたぶん、永遠に支えになります。それからも時々「じゅりさん眉毛濃すぎない?」と言われることがあっても、「毛深いから手が付けられないんですよ」と、冗談もあっけらかんと言える。もう、全然傷ついたりしません。
コンプレックスを長所に変える方法
結局、「コンプレックスを長所に変える方法」なんて、あるのかしら。
精神論になってしまいますが、長所にしよう!と躍起になるよりも「コンプレックスを自分で愛せるようになること」、これに尽きる気がします。わたしのようにコンプレックスをあえて強調するようなイメージチェンジを図るとか、コンプレックスを指摘されないコミュニティに属するなどして、ポジティブな言葉をかけられたり全く気にされなくしたりすれば、自然と「これはこれで自分らしいな」と思えるのでは。
※いまのわたし。眉毛は自分の毛だけ、ノーメイク。
自信を持っていればいずれ「その眉毛イイね、わたし好きよ」という人も現れます。そんな声がかかったら、もうこれは立派な長所と呼んでもいいんじゃない!??と、わたしは思うのです。
自分の好きなところがひとつ増えたら、きっと楽しいですね!
ジュリー下戸でした。ありがとうございました。