2016-04-19

オタクの中にキャラクターへの思いやりに欠けていると感じる扱いをする人たちが一定数いて、それが特に周囲から咎められていないというのが、諸所の問題の引き金になってると思う。

キャラクターをすぐにポルノとして描いて公開したり、このキャラが好きと言って、二次エロ絵を貼ったりする人もいる。

こういう行為って、キャラクターポルノとして消費しているとしか見られない、見られてもしょうがない行いだと思う。

それはつまりキャラクターに対して人格を認めてからキャラクターを愛しているという感じを受けない。

オタクの人たちには、それはオタクカルチャーにおける正しい愛の形だという風に捉えている節がある人も見かける。

でも、それってやっぱり欺瞞だと思う。

アニメ漫画キャラクター文化っていうのは、人間の似姿としての存在を愛でていく営みなのだから、そこには現実人格現実人格を愛するようなやり方の相似が適用されていて然るべきだと思う。程度の差はあるかもしれないけれど。

から、そういったオタクの人たちの行為問題にするときに、、各個人が現実においてどれだけ他の存在を慈しめるか、その方法にどれだけ思慮があるかとか、性というもの社会人格との折り合いや線引きをどのようにつけるのかつけないのかとか、個々人がどれだけそれらについて真摯に考えていられるかという、そういったことに波及するのは自然な流れだと思う。

これを人格批判と捉えて、非実在から単純にポルノとして消費してOK、そういう意見こそ逆に現実混同している、という展開がよく見られるけれど、これも極端な飛躍だと思う。

そういった捉え方は、オタクカルチャー社会の模写を一切やめるか、ポルノとして消費する人たちが一切社会と関わらないという前提がないと機能しない。それは現実的ではないし、もっとなだらかなグラデーションを描いて現実創作物世界は繋がっている。

からオタクの人たちはもう少しポルノの扱いに慎重になるべきだと思うし、自分は既に慎重になっていると思う人は周囲のそういった部分が緩いオタクの人たちに対して、それは良くないという感覚をしっかり伝えて対処すべきだと思う。

仮にオタクカルチャー実態ポルノしかないとしたとしても、きちんとポルノとしての振る舞いを身につけないといけないというのは同じことなのだし。

そうやっていかないと、オタクカルチャー社会的文脈で力を発揮できないし、それは長期的にはオタク環境にとってマイナスになっていくと思う。

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