挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
赤い皇帝の愛したソビエト 作者:スターリン
3/13

全ての始まり1 幼少時代

幼少の頃からいろいろと足掻こうとしています
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国南部 ヴォルガ川西岸

スターリングラード市

ママイの丘

独裁者専用の別荘

とある1室のベッドの上




 ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン改めヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ
この名前はソビエト社会主義共和国連邦に生きる人間、
いや、
この地球に住む人間であるなら誰もが知っていて当然な名前である。
ちなみにスターリンとは「鋼鉄の人」という意味のペンネームで、本姓がジュガシヴィリである。
彼の名前は一見すれば東欧らしいスラブ系の名前の様な感じだが、
実際の彼に純粋なスラブ系民族の血が入っているとは言えず、むしろグルジア人であると断言すべき人間であった。
これはどういう事かというと、
父親の「ヴィッサリオン・ジュガシヴィリ」は農奴出身の家の息子でどこの民族の血が流れているか分からないが出身地から判断してグルジア人の靴職人と下層の人間であり、
母親の「ケテワン(露語エカテリーナ)・ゲラーゼ」は同じく農奴出身と夫婦揃ってグルジア系ロシア人で下層階級という存在であったからだ。
他にもスターリンの出身地がグルジア西部のゴリ(グルジア語で丘)市で生まれたことも原因の1つだ。
両親から見れば3男であったが二人の兄は幼児で死没している為、
実質的には1番目の長男として育てられた。

1878年に彼はグルジア西部のゴリで生まれた。
彼の生まれ故郷であるグルジア・ゴリは帝国でもド田舎の地域で独立の気風も高かったので、
反乱などもたびたび起きて騒々しく暴力的と治安の悪い地域であった。
父ヴィサリオンは地元でも評判の職人だったがアルコール依存症を患い、
しばしば妻や子供に暴力を振るった。
家計は次第に傾いていき、幼少期だけで9回も転居を繰り返した。
7歳の時には天然痘に罹患する不幸にも遭い、助かったものの皮膚に目立つ痘痕を残した。
また12歳の時までに2度に亘って馬車に撥ねられて大怪我を負い、後遺症で左腕の機能に障害を抱えそうになるなど、
不幸の連続とも言うべき人生であった。
特に2度目の事故のときは彼の命に関わるぐらいの重大な事故であった。
何故ならその時彼は丘の上で轢かれた後に丘の下の小川まで転落したのだ。

彼が家に搬送されてきた時、
それはもう家中が大騒ぎとなった。
何せ運ばれてきた息子は意識不明となっており、全身に酷い打撲を負っていたからだ。
それを見たいつもは飲んだくれているはずの父親も凄いあわてた様子で医者を呼ぼうとしたり轢いた者を殴りに行こうとしたり、
熱心なグルジア正教の信者である母親はグルジア正教の聖者である亜使徒光照者あしとこうしょうしゃ聖ニノに涙ぐみながら祈りを捧げ、
息子の回復を祈りながら介抱するなど珍しく夫婦が揃って息子の心配をしたのだ。
その甲斐もあってかスターリン少年は丸1日意識不明となっただけで、
翌日には意識も戻りまた家の手伝い等をするぐらいにまで体調も戻ったが、
とある変化が事故の後に訪れていた。

それは

やけに大人しい性格に変わっていたことだ。


事故に遭う前の彼は良く表現すれば元気のある良い子で、
人目を気にする癖があるが物事に集中しやすい子供。
悪い表現をすれば何時までも昔の恨みを忘れず、
外見を気にする狡賢そうな子供であったのだが、
事故の後の彼はやけに物分りの良い子で空気の読める子供になり、
人目を気にせずに興味の赴くままに行動する子供へと変化したのだ。
更に大きな変化が見受けられたのは、彼が謎の知識を身につけていたことだ。
彼は靴職人の父にいろいろと靴について意見を出して色々と靴を改良させ、
父に新しいデザインの靴を販売させたのだ。
最初は父親も自分の息子の意見を馬鹿馬鹿しいと相手にしなかったが、
彼が理論的にちゃんと無学な彼にも分かりやすく説明して説得したので次第に納得してきて、
最終的には彼の意見を全面的に靴の製作に取り入れたのだ。
その結果、
彼の息子を取り入れた新デザインの靴は周りに瞬く間に評判となり、
更に今までに無い機能性(防水加工や通気性の確保etc)を靴にプラスしてあったので、
父親の製作した靴は瞬く間に素晴らしい従来の常識を打ち破る靴として売れ、
家にはかなりの金が収入として貧しい家に入ってくる事になった。
そのおかげで家も大分まともな環境になっていき、
彼の父親も大分自分の製作した靴が息子のアイデアを下に製作したとはいえかなり売れ行きが好調なのでストレスを次第に発散して、
酒に入り浸ることも無くなったので暴力を振るう機会も減ったので、
段々と家族の中も修復されていったのだ。



 その後、彼は10歳になるとグルジア正教会が運営する神学校へ進学し、
そこではロシア帝国の公用語であるロシア語が強制されていて彼にとって不利になると思われたが、
彼は入学当初から日常会話程度のロシア語を話すことが出来たので、
他のロシア人以外の民族出身の生徒達のリーダー格に最年少でたちまち成りあがったのだ。
当然他の生徒(純粋なロシア人の生徒や上級生ら)に目を付けられていちゃもんを吹っかけられることもあったが、
巧みな弁論と歴戦の兵士の様な格闘術(後日先生の追及でシステマと空手と合気道を混ぜた戦い方をしたまでと答える)で打ちのめし、
1年もすれば新学校の生徒の中で彼に歯向かう者が居なくなるぐらいであった。
何しろ彼はある時は教師と堂々とキリスト教と科学の関係など如何にも学者らしい内容のテーマについて論じ合い、
またある時はロシア人以外の民族の生徒(アルメニア人やユダヤ人、ウクライナ人にカザフスタン人etc)に対して無償でロシア語の文法や数学などを伝授して、
彼らの勉学の習得に支援したり、
ある時には近年インテリ層や労働者など下層階級に流行する社会主義運動についての意見書を学校新聞に書き、
社会主義とそれの進化系の共産主義の特色と欠点について細かく記載して、
この思想を絶対視することだけは駄目だと批判するなど神学校のときから彼はその類まれなる才能を発表した。

後に大戦後の1951年7月にアンネ・フランクというユダヤ系のドイツ人女性の新聞記者からその神学校時代の新聞のエピソードについて尋ねられたとき、

「宗教や思想というのはとある一定個人に対する信頼もそうですがとても恐ろしいことなのです。
{宗教はアヘンである}とかの有名なマルクスは著書に書きましたが、
あれは最近の活動家の考えるような宗教は人にとって麻薬の様な害であるということを言っているのではなく、
アヘンの様に人々の心に安らぎを齎すものであるという事を書いてると思うのです。
人は決して1人では生きてゆくことが出来ない存在です。
ましてやこのソ連の様な広大な国土を持つ国では、恐ろしくもとても神秘的な大地や自然、
そして災害の前に個人というのがとても小さな存在に思えるのです。
そう、まるでドラゴンの群れを前にした蟻の様にね。
そんな環境においては人は神という絶対を求めるものなのです。
この世で唯一何時何時も絶対に変わらないものをね。
このロシアでの皇帝崇拝や社会主義思想などもそうですが、
世界に数多くある宗教のあり方とはそうした唯一絶対な存在である神という存在に出来るだけ接触しようと努力することで、
己の不安な心を安定させる精神安定剤のような薬の役割を果たすのが宗教の存在意義だと私は思います。
そしてそれは個人ごとの自由であって人に押し付けるものではないと思うことと、
それを絶対視して狂信することの無いように生きることが重要だと思います。
何か思想や宗教を絶対視してそれを他人に押し付けた時、
その人はいつの間にか己の信じる正義を実行しようとして、それを信じようとしない他人や世界に対して異端者や悪魔の手先といったレッテルを張り、
粛清という名の悪行を重ねる悪魔という悪の存在に変わり果てるのです。
なので思想や宗教を絶対視することは駄目であると私は強く思います。

18世紀に活躍した偉大な思想家ヴォルテールの言葉にもあるじゃないですか。
{私は君の言うことに反対だ。
だが、君がそれを言う権利は命をかけて守る。}
まさにこの言葉が私の言いたい事を言っているのです。
この世の中には人間の考え付いたもので絶対的に正しいものなんて絶対に存在しないのです。
そのことを私は神学校でキリスト教を学んでいるうちに悟ったのです。
なので若い貴女も決して何かを唯一絶対視して、それを深く信じ込んではいけませんよ。」

と述べて、
感動した彼女がこの尋ねたときの話を新聞などマスメディアに発表して、
たちまち世界中で大きな反響を招いたことは言うまでも無いだろう。


閑話休題


 さて、
ここで聡明な読者の皆さんは疑問をいくつか抱いたと思う。
その中でも特に皆さんが抱いたのはこれだろう。

「明らかにこの都市の少年にしては色々と熟知していて、
尚且つ精神的にも色々と成熟していないか?
しかも何故グルジア人の彼が未来の技術や日本の武術など知っているんだ?」



本来の彼は被支配民族の出身でしかも色々と体に不調をきたして厳しい環境で育ち、
神学校でも色々と苦労と屈辱を味わったりしてきたので、
極度の劣等感に人間不信の固まりとなっている筈だった。
だがこの現状はどうだろうか?
そのような要素は一片も見受けられないでは無いか。
その答えは・・・・・・・・・・・・


「はーーーっ、
まったく未来の独裁者様に憑依とか誰得なんだしマジで。
もう直ぐ就職活動に励む奴をこいつに憑依させたのは一体何処の馬鹿の仕業何だか。
まったく今までの人生を何だと思っているのやら。あーっもう、我が家に帰ってギャルゲーやエロゲーがしたいよー。」


元大学4年生のオタクな日本人男性が憑依しているからだ。

彼は元の日本人であるときの名前を「田中広樹」という普通のオタクであった。
大学はG-MARCHクラスとそこそこの学力を誇り一応は順調な人生を歩むかと思われたが、
彼の中学時代からのとある趣味が原因で色々と留年の危機を迎えたりすることもあった。
それは一体何かというと、


二次元への没頭である。


それも普通の二次元作品のものから18禁のかなりアウトなものまで、
二次元に俗するありとあらゆるものに彼の興味関心、精神、思想、財布の中身といったありとあらゆる彼という人間を構成するものがほとんど向けられていたのだ。
彼がはじめて二次元に興味を持ったのは小学生高学年のころである。
彼がとあるブロック崩しの流れを引き継ぐゲーム(ぷ○ぷ○)をプレイしていたときに、
そのシリーズの主人公の僕っ子の女のアルルなんとかさんに興味を持ったのが始まりである。
彼はかわいい少し年上の女の子が自分の事を僕と言い張るのを見て興奮を覚え、
それから二次元の女の子に強く興味を持つようになったのだ。
中学生になってからはライトノベルや同人誌、戦車や銃火器のようなミリタリー等にはまりだして、
そのころから夏コミに参加するようになった。
そして高校生になるころにはもうエロゲーやギャルゲーに手を出すようになり、
それらを買う軍資金を稼ぐためにアルバイトに励んだりして、青春時代を勉学とバイト、
そして二次元で潰してしまったのだ。
大学生になってもその生活は変わらず、
サークルは漫画研究部に入部して同人誌制作活動を始めて夏・冬の東京国際展示場でコミケで売ったり、
青春18切符を利用していろいろなアニメの聖地めぐりをサークル仲間と一緒にして暇な時間にバイトと、
大学生活に入ってもその生活は高校のときと余り変化は無かった。


 だが、
その生活も4年生に入ると終わりを迎えることになる。
それは社会人である人なら誰でも体験したことだ。
それは卒論と就活である。
彼は大学では西洋史学専攻を希望したので西洋史に関する卒業論文の執筆が義務付けられたし、
このご時勢であるから大学を卒業したらどこか企業に就職するか大学院に進学するしかなかった。
しかし、彼に余り就活する気はなかった。
何故なら彼は西洋史を勉強している内にとある興味を抱いたからだ。
それは何かというと

共産趣味

である。

無論これは共産主義を信奉するのではなく、
共産主義っぽい考えや発言をしたり、
インターナショナルやモスクワ防衛軍の歌を聴いたり歌ったりと、
歴史の彼方に消えた旧ソ連を懐かしんで旧ソ連に関するものを中心に共産主義関連のものを何でも愛好し、
それらを趣味にする人の事を言う。
皆さんの身近にいないだろうか?
何か失敗したり相手を怒らすような行動や言動をとると「粛清だ!!」と言う人や、
何かとことあるごとに企業と政府の癒着や企業の横暴に物事を考える陰謀論者、
そして上智大学の学生であり、
声優でもある上坂すみれのように旧ソ連・ロシアが好きな人をここでは指す。
彼は見事この共産主義に染まってしまい、もともとのミリタリー好きの趣味と重なるところがあったので、
彼はすっかり旧ソ連・ロシア関係に興味を持つようになったのだ。

そしてそんな彼が旧ソ連について学ぶうちに一番悩むようになったのは、
かつての第二次世界大戦時においてソ連を率いた「赤い皇帝」とも言われるヨシフ・スターリンという独裁者の全てだ。
彼はロシア革命以降誕生したソビエト連邦でレーニンが存命中のうちはあまりパッとしない人間であり、
権力闘争時にも最初のうちは影響力が少なかったのだが、
他の最高幹部が内部闘争を続けているうちに密かに共産党の実権を人知れず握っていき、
次々と最高幹部による内部逃走で利益があると思った派閥にあくまで公正的な立場の者として近づいて彼らの支援をし、
勝利の暁にはその分け前をちゃっかり頂いたり、
その味方であったはずの最高幹部を謀略に掛けて権力の座から落としたりと、
謀略の限りを尽くしながら身分の低い者達に気配りをして人気を集めて遂には書記長の座まで上り詰めた男である。
それでいて権力を握った後は五ヵ年計画という農業国であったソ連を重工業国に変化させるために、
工業化政策の指示の元で国営農場ソフホーズのような農場の集団化コルホーズを進めて、
アルメニア人虐殺やユダヤ人のホロコースト、
ポル・ポト派による虐殺やルワンダ虐殺等と並ぶ20世紀の最大の悲劇の一つである、
ウクライナのホロドモールのような大量の人間が餓死する人口飢饉のような惨劇を引き起こし、
更に1937年以降から大粛清と呼ばれる幹部政治家や赤軍(当時のソ連軍の呼称)の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで及んだ大規模な政治的抑圧に走るなど、
とにかく国にとって害にしかならない政策を実行したのだ。

特に大粛清の一環である赤軍粛清においては5人の元帥の内3人、
国防担当の人民委員代理11人全員、
最高軍事会議のメンバー80人の内75人、
軍管区司令官全員と陸軍司令官15人の内113人、
軍団司令官85人の内57人、
師団司令官195人の内110人、
准将クラスの将校の半数と全将校の四分の一ないし二分の一が「粛清」され、
大佐以上の高級将校の65%が粛清された計算になる。
また政治委員(共産党から赤軍監視のために派遣されている党員、所謂政治将校)も最低2万人以上が殺害され、
また赤軍軍人で共産党員だった者は30万人いたが、そのうち半数の15万人が1938年代に命を落としたのだ。

当然赤軍の作戦指揮能力と士気などは大いに低下して、
それを知った諸外国はスターリンが気でも狂ったかと同じ感想を思うぐらいであった。
その粛清は彼が一応権力を握った1920年代に、
スターリンの粛清や集団化を支持したスターリン派とも言うべき共産党幹部たちも次々と粛清されていった。
その結果ソ連の国内は相互監視と密告に支配された。
国民は恐怖や猜疑心に脅える悪夢のような日々を送るはめになり、
「ロシア人の亭主が家族と安心して話せるのは、夜布団の中で丸くなって妻子と一緒の時だけ」とさえ言われる状況になった。
この大粛清による死亡者の総数には他にも農業集団化に伴う「富農」追放や、
飢饉によって死亡した人数を合わせた推計によって、
最大約700万人に達する可能性があるぐらいだ。
そのような大惨事を引き起こしたのでフィンランドとの戦争では赤軍は戦術的大敗北が頻発したり、
第二次世界大戦中の独ソ戦においては初期に一度にキエフで100万人の捕虜を出すなど惨敗して大損害を出したが、
最終的には約2000万人の死傷者を出しながらも独ソ戦に勝利し、
戦後の冷戦でアメリカと退治する東側陣営の盟主に躍り出たのだから凄いと田中は思ったのだ。
独裁政治の元で大量に殺してきた人数としては、毛沢東の次に多い第2位の実績を持つ。

彼は思った。
どうしたらここまで大量虐殺が実行できるのだろうか?
その粛清による殺戮を実行するのに恐怖を抱いたりとかはしなかったのだろうか?
このような事を思い、スターリンを中心にソ連の歴史を調べたのだ。
そんな彼は夏休み前の卒論中間発表会前にとある市役所への就職が決まり、
卒論中間発表会の発表も上手くいったのでそれを祝うべく、
発表会後に宴会を居酒屋チェーン店で友人達とやり、
沢山酒を飲んで泥酔した状況となったので何とか友人に借りているアパートの自室まで送ってもらい、
ベッドに倒れこんでそのまま寝て気づいたら、
この現状であったのだ。
過去の偉人である、
ヨシフ・スターリンに憑依しているという事実が。




 (あっありのままに今の現状について話すぞ!
卒論の中間発表と公務員試験の二次合格を祝して、
仲間内で居酒屋チェーン店(ブラック企業のところではない。ホワイトツリーなお店)で酒を飲んでいたんだ。
そしてかなり酔いが回って千鳥足状態にまで泥酔したから、
友達2人に抱えられながら借りているアパートの自室まで何とか戻り、
そのままベットに倒れこんだはずだ・・・・・・・・・・)

自分の名前はもうご存知だと思うが、
一応自己紹介しようと思う。
名前は田中広樹たなかこうきといって22歳の史学部の現役学生だ。
酔っ払った状態でベットに倒れこんで寝ゲロの危険性があるのにそのまま寝てしまい、
気がつくと次の日の朝ではなく赤い皇帝に憑依していた。
これって何の冗談だよ!と思うのは誰がどう考えても仕方が無いことだと思う。
何せ憑依した人物が人物であるからだ。
何せ今の自分は将来的に約4000万人近くの人間を革命や戦争で殺し、
戦後はこのソ連をリアルチート国家である米帝と世界を2つに分ける国に築き上げた人物だからだ。
そして日本人なら8月の長崎への原爆投下と同時に行った満州と樺太半島など北方領土と言われる所へ侵攻し、
シベリア抑留や中国残留孤児など多くの悲劇や朝鮮戦争や北方領土問題の様な今でも未解決の問題を多く残した男であるからだ。
これで何も動揺しない人がいれば是非とも自分と変わって欲しいと思う。

(けどまぁ、
ボヘミアの美大落第生のちょび髭伍長閣下に憑依するのと比べればまだ少し心の持ちようが良いかな。
何せ彼に憑依したら敗戦にうちしがれるドイツ国民の救済と暴走の制御、
特にナチズムによるユダヤ人へのホロコーストなどを注意しながら連合国と渡り合わなきゃいけないからな・・・・・・・・・・・・・・
頼れる同盟国はかの有名なヘタリアと中欧の中小国と、
アメリカやソ連と対等に戦うには全く頼りない連中ばっかだからな。
それを考えるとまだこっちの勝者である方がマシかもしれないな。)

自分はどうやら意識が戻るまでに寝ていたベッドの上でうんうんとうなされながらそんなことをつらつらと思っていた。

何せ一応将来負けて今に至るまで人類史上最悪の犯罪者扱いされる独裁者に憑依するよりも、
勝者として色々と今に至るまで讃えられる独裁者に憑依した事を考えると、
何だか不思議と希望が静かにふつふつと体に湧いてくるのが感じた。
まぁこれは心の持ちようというものなんだろう。
誰だって将来負け組みが決定されている人生を送るよりも、
勝ち組が決定されている人生を送るほうが断然素敵だ。

しかしさっきから体の節々がズキズキと痛むというか、
体中の関節や筋肉やら骨などが打撲のような痛みを訴えてあまり寝れない。
どうやら自分いやスターリン少年は何か大きな事故に遭って重傷を負った様だ。
顔を動かして視線を下に向けると全身に巻きつけられた包帯が見えるので、
これは彼の少年時代に実際にあった馬車に轢かれる事故の後に憑依したのではないかと思う。
多分2回ある内の1回目だろう。
じゃなければここまで体が幼くて大きな怪我を負う必要は無い。


(多分その事故でスターリン少年の意識というか魂がこの体から離れてしまい、
代わりに未来の人間それも泥酔した日本人の学生である自分の意識がこの空になった容器を乗っ取ったのだろうな。
そう考えるしか納得できそうに無いな。
でも如何して自分が憑依したんだ?
こういうのは車に轢かれそうになった子供や猫を助けて轢かれた奴らが成るべきじゃないか?
もう直ぐ卒論の執筆が始まって書き終えたら提出して無事に大学卒業、
そして地元の市役所で働くという無難な人生が待っているはずだったのに・・・・・・・・・・・)

自分はズキズキと痛むこの体の痛みを耐えながらそのような事を考え、
今の自分の置かれている状況についてベッドに横たわりながら思いを巡らせていた。
何で自分がこの様な目に遭わなければならないのか、
家族や未来の自分は今頃一体どのような状態なのか、
様々な疑問が頭の中に湧き上がって纏まった考えが出来なかった。
あまりの唐突さと理不尽さに思わず涙がこぼれそうになるのを感じ取った。
何せここは過去の世界で今の自分は色々と将来は悪名高き独裁者となる存在。
それも今は全く知らない外国の貧困層の家庭の息子。
一応異世界に飛ばされるよりかは幾分マシなのだが、
それでも自分は現在進行形で味わっているこの現状について嘆く事をやめることは無理だった。
皆さんも考えてみて欲しい。
今までの環境から一変して命の危険がある環境へと無理やり強制的に連れ込まれたのだ。
嘆いても罰は当たらないと思う。
むしろ哀れんだり同情されるべきだと思う。

その後しばらく1人で考え込んでいるとドアが開き、
様子を見に来たらしい父親と母親らしき大人の男女2人がそぉーっと部屋にやって来た。
如何にも粗忽そうなスラブ系やアジア系の顔をした男と、
やせ細ってはいるが目だけはぎょろりと輝いている女だ。
多分この2人が彼の記憶から推測するにスターリンの父親と母親なのだろう。
2人は自分が首を上げて自分たちの方へと見ていることに気づき、
ビックリしたような大声をあげたと思ったら次の瞬間には抱きしめてきた。
どうやら2人は自分達の息子が死ぬ可能性を、かなり2人は覚悟していたようだ。
実際に詳しく事故の経緯について尋ねてみると、
そんな事を思っても仕方の無いと思えるぐらいの大怪我をこの体は負っていた。
全身打撲による意識不明と傷口の化膿、それによる左手を中心とした手足の間接のしびれ、
この様な大怪我を負っていたのだから子供なら死ぬ可能性は十分にある。
そしてどうやら自分は行商の馬車に轢き逃げされたようだ。
自分をここまで運んできた同じ地区に住むおじさんがそう証言してくれた。


(轢き逃げされたのかよ俺は!!
現代日本なら警察に通報すれば直ぐ捕まりそうだが、
ここは1世紀も前のロシア帝国、
それもグルジア地域というロシアの抱える辺境の領土の中でも最も辺境な土地だ。
そして何よりロシアという国は色々と政府から公的機関にまで汚職が広がっていて、
特に警官は安月給の癖に装備は2流だから普通に賄賂など要求してくるぐらいモラルが低下しているらしいからな。
こんな辺境の土地に仮にいたとしてもかなりの金を払わない限り捜査しないだろうな。
むしろその賄賂で貰った金をそのまま溜め込んで捜査の振りをするかもしれないな。
更なる捜査資金が欲しいとか言って余計に寄越すよう言ってくるかもしれない。)

ベッドに体を仰向けにした状態で、
自分はそのように最初は怒りを覚えていたが直ぐに客観的に考えていた。
幾ら憑依している身とはいえ、誰だって轢き逃げされたら怒りを覚えて当然だと思う。
けど警察に通報する事を思えばその怒りも収まった。
何せこの時代の警察は今の警察と違って公正的な警官などはいないのである。
人種差別による偏見に基づいて無実の黒人を逮捕したり、
前科があるからと言って無理やり容疑者に拷問をしたりと、
世界各国の警察は現代から見れば権力乱用しまくりやりたい放題であるのだ。
特にこのロシアの治安組織の中でも下層に位置する警察の腐敗は酷く、
ロシアマフィアと手を組んでマフィアの仕事を見逃したり賄賂を受け取ったり、
一般市民にいちゃもんをつけ賄賂を要求するなど悪徳警官のイメージそのものな諸行を繰り返していたのだ。
そしてこんな辺境の地に警官がいることなどなく、
いたとしてもまともに捜査してくれないことは明らかだった。
なので今の自分にできるのはただ1つ、大人しくベットに横たわって怪我の回復に努めることだ。
よって俺は轢き逃げに対する怒りを抑え、ベットで眠り続けることにした。

その後自分はしばらくベットで回復に努めて、
やがて1ヶ月も経過するとベッドから起き上がれるようにまで回復し、
それを見た両親に直ぐに家の家業を手伝わされた。
鬼畜だと思う方も居ると思うが、
この時代の辺境の貧乏農家の子供なんてそんなものだ。
日本も昔の農村では学校に赤ちゃんを背負って登校してくる女の子がいるぐらいだから、
ほとんど治った子供を安静させようなんて心は貧乏農家には無いのだ。
一応は理論上納得は出来るのだがどうしても現代日本人として生きてきた者としては、
もう少し配慮というか子供である自分の事をもう少し心配して欲しかった。
いろいろと思うところはあるものの母の手伝いで農作業の手伝いや、
父親の靴製作の手伝いや修理などを行なっている内に色々と改良できる点を発見した。

特に靴製作に関していろいろと使えそうな案が思い浮かんだのだ。
未来の通気性の良いトレッキングシューズやサラリーマン向けのローファーのデザイン等を父親に伝え、彼に今までの靴を越える靴を製作するよう誘導したのだ。
最初は父も
「一人前の職人でも無いお前が口出しするんじゃない、すっこんでろ!!」
と怒鳴って、
まともに相手にしてくれなかったが、
論理的ながらも熱心にヨイショと持ち上げながら説明してみたところ、
次第に製作過程に取り入れるようになっていき、
回復してから2ヵ月後には、
本物ほどではないが従来の靴よりかは幾分マシな機能性を誇る靴が完成した。
元々この時代の靴がどうにも自分の足に合わないと思ったので、
父を利用して自分好みの靴を作ろうと私欲に基づいたこの動きが、予想だにしない結果を生むことになるとは俺もまだ予測できなかった。
この機能性を増した靴は当初は面白がってみるだけのお客しか来なかったが、
次第に購入してくるものが増えて父の仕事も3倍ぐらい受注が増加するようになった。
どうやら購入した客からの口コミでこの靴の機能性の素晴らしさが広まったようだ。

そのおかけで注文がどんどんと持ち込まれてきたので父の仕事は忙しくなり、
遂には今まで単独でやっていた仕事を弟子を雇い、合わせて10人体制で靴の製作から修理まで行なうようになった。
そんな感じで9人も弟子を抱えるほどの経済力を我が家は身につけることが出来たので、
父は弟子が多く抱えることになったので酒を飲用して酔うのをやめて、仕事に専念するようになったので酔っ払って自分と母親に暴力を振るわなくなった。
なので母親との関係も次第に良好になっていき、夜中に毎度毎度喧嘩することは少なくなってきた。
息子の自分に対しても暴力を振るうことはきっぱりと無くなり、逆に靴に関していろいろとアドバイスを尋ねるぐらいであった。
史実の父は貧乏の所為かよく酒に酔っては母とスターリンに暴力を振るったそうだが、
この世界ではある程度仕事が入って家に安定した収入が入ったのと、
ある程度自分の仕事ぶりに感動して弟子が出来たことこの2つが彼の小さなプライドを満足させるのには十分なのだろう。
母親も自分の夫が飲んだくれの男から立派な靴職人へと変わっていくので大変満足そうだ。
少し不満があるとすれば彼は食事の時間も忙しそうにしている事ぐらいだ。
まぁ常に飲んだくれて泥酔しているか自分を殴ってくるかのどちらかしない夫よりは、
こちらのほうが大分マシだからだ。
自分もまるで駄目な典型的な駄目人間な父よりも今の仕事熱心な父のほうが好きだ。
誰だって自分に同意を示してくれるはずだ。




 そんなこんなで少し歴史の改変をしてしまった自分は10歳になると、
史実どおりにグルジア正教会が運営する初等学校に行くことが両親の命令で決まった。
何でもその普通とは違う才能を生かして学問を学ぶことで世界の事を良く知ってもらいたいらしい。
お前の才能はこんな辺境の地で一生を終える器では無いとまで言われてしまった。
地味に自分の目の涙腺が緩んで零れ落ちるのと、
ぐっと何か厚い感動が心の奥底から湧いてくるのを感じた。
偽りの息子の自分だがやはり家族であるのを実感できた。
もう体が自然と反応して感動に打ち震えながら涙を零しているのが客観的な頭脳で分かる。

もちろん不安なところはある。
史実の彼は初等学校で公用語のロシア語を強制されたことで色々と苦労しながらも、
勉学に励んで優等生の評判を得るにまで至って、
その成果によってグルジア正教会からの推薦を受けて神学校で聖職者として育てられたが、
神学校でもグルジア系ロシア人は被支配民族ゆえに差別を受け、
ロシア語の使用を強制されてここでもまた色々と苦労することとなった。
神学校でも彼は優秀な生徒であったが、
当時ロシア国内で流行していた社会主義運動のマルクス主義に傾倒した事で神学に対する疑問を抱き始めて、
1899年には学費司祭叙任を目前にしながら授業料不足を理由に神学校を退校している。
多分自分が思うに学校で色々とグルジア人ゆえに馬鹿にされたり、体の不調をからかわれたりして色々と鬱憤やストレスが溜まっていたところでマルクス主義に出会ってしまい、
それに没頭するあまり聖職者として生きるのが馬鹿馬鹿しくなったのだろう。
何せ社会主義や共産主義といった左翼思想はかなりの魅力がある。
史実イギリスの偉人『ウィンストン・チャーチル』もこう言っているではないか。

「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。
20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」 

この言葉がまさに左翼思想の魅力と欠点を物語っているといっても過言では無いだろう。
皆さんもご存知かと思われるが左翼思想の代名詞であり、
世界史にも大きな影響を与えた、カール・マルクスの「資本論」。
この本で彼は当時の資本主義の限界とそれに伴う資本家と労働者の関係のマイナス点について言及し、
科学的に正しい未来の世界を築こうとする共産主義について述べている。
そしてそれに基づく左翼運動の目的や意義はこの思想を実際に現実世界の政府の活動に反映し、
従来の一部の人間と大多数の人間によって生まれる色々な不平等社会を無くし、
真に全ての人間が平等に生きることが可能な完全なる社会を実現化させようとしたのだ。
この思想は先進国といわれる資本主義の盛んな列強諸国で流行し、
特に日々の生活に苦しむ労働者や農民など下層階級の人や、
経済学者や学生などインテリジェンス層の人々のような既存の社会に不満を色々と持つ者、
博愛主義・人道主義的な考えを持つ名士の人々に大いに持て囃されて、
後の20世紀から今に至るまでの様々な文化や思想、国家の政体から政策などありとあらゆる所に影響を及ぼした。
特に既存の社会に不満を抱く者らにとっては、
平等を謳う左翼思想はまさに目から鱗が落ちたような衝撃を覚えただろう。 

史実のスターリンも今の自分の環境を変えることが出来そうなマルクス主義を知ったときには、
彼もまさに目から鱗が落ちたような衝撃を覚えただろう。
元々英雄崇拝的な側面がある彼は、
イヴァン雷帝をロシアの礎を気づいた皇帝として捉えていたようで、
自らの師として最も尊敬しており、
自分もそのような偉大な人物としてこのロシアを導きたいという英雄願望が合ったようで、
彼の書斎には多くの書籍が陳列されているがその中でもイヴァン雷帝に関する書物は特に大事に保管されていて、
有名なロシア人の映画監督「セルゲイ・エイゼンシュテイン」にイヴァン雷帝の生涯を描かせた映画の製作を命じたぐらいだ。
共産主義者で帝政を否定する身が、
絶対的専制君主を好意的に描く映画の製作を命じたところからどれぐらい彼を尊敬しているのかが分かるだろう。
そんな彼はこのマルクス主義による共産主義に基づいた統治によって、
このソ連を導く第二の偉大なるイヴァン雷帝になりたかったようだ。



 とまぁそんな史実の彼の話はさておき、
この初等学校に入学する話は自分にとってもかなりお得な話であった。
一応自分こと田中はロシア語を日常会話程度には話せるが、
史実どおりに共産党に入る道を選ぶことになるとどうしても他人を説得する、
または相手の理論を論破する必要性が出てくる。
そのためには如何しても日常会話以上のロシア語と文法を学ぶ必要性がある。
更にグルジア正教会の横のつながりを利用して、他のグルジア正教会関連の建物を利用できるかもしれないからだ。
教会が所有する建物や関係する建物は、かなり書物を保管していることが多いので知識を得るのに大変便利な存在であった。
初等学校に入れば教会が保有する昔からの書物が読めるかもしれないので、
元史学科としての血が騒ぐのを抑え切れなかった。

一応自分の今のところ打ち立てているプランは、
初等学校から神学校までは史実どおりに進学して、
その後は史実と違い司祭の資格を得るまで学校に在籍し続けて勉学に励み、
資格を取れてから学校を辞めて共産党に入党しようとプランを打ち立てている。
無難なプランだが少し共産党に入党できるかどうか心配だ。
史実どおりに行けば入党できる確率も上がるだろうが、
少なくとも気象台で安月給でこき使われながら働くのは少し抵抗がある。
他にも一応司祭の資格を持つことになるので、
第1次世界大戦時に従軍司祭として戦線に連行される可能性があるのだ。
史実でもロマノフ王家はたびたび前線に赴いて、兵士の慰安や視察に勤めた。
特に長女と次女が兵士を看護するエピソードは有名であろう。
意外とロマノフ王家の人々は気さくというか優しい心を持った人が多いのだ。
なので自分も司祭の資格を取れば、
間違いなく前線に連れて行かれるのではないのかと思っている。
ロシア人の信仰深さを知っているがゆえにそれは丸っきりありえないとは言いきれなかった。
この時代のロシア帝国陸軍はフランス陸軍と同様に精神主義が蔓延る軍隊であり、かの有名な世界史でもかなり偉大な軍人として有名な『アレクサンドル・スヴォーロフ』の発言にはこのような格言がある。

「弾丸は嘘をつく。銃剣は正直だ」

という迷言?すらある国であった。
これは当時のライフルの性能の悪さと徴集兵の錬度が低いことが原因で、
発射された弾の命中率が悪いことからこう述べたのだろう。
なので英国陸軍や大日本帝国陸軍よりも銃剣突撃を殊更重視して、
戦闘の度に実行して毎回多くの死傷者を出したのだ。
だが、
この銃剣突撃はこの時代では犠牲は大きいが確実に効果のある戦法の1つであり、その際に突撃時の恐怖を紛らわすのに従軍司祭の祈りは、
保守的で信仰心の厚く無学な農民を中心とした兵士達の士気を高めるのに有効であったのだ。
なので軍が司祭の資格を持つ人間を見過ごすなど思えなかったのだ。


「だが、ある意味これはチャンスかもしれないな。
史実のトハチェフスキーは捕虜になっているときにフランスのドゴール将軍と知り合ったし、
何より前線に視察や慰安できたロマノフ皇室の方々に司祭なら堂々と近づくことができるからチャンスじゃないか。」

あまりの好都合さに思わず自分は顔に笑みが浮かぶのを抑え切れなかった。
史実では縦深作戦論で有名な赤いナポレオンこと「ミハイル・トゥハチェフスキー」将軍が、
同盟軍の捕虜となっているときに同じく捕虜になっていたドゴール将軍と知り合ったというエピソードを思い出した自分は、
これを上手く利用すれば後の著名人たちに堂々と近づけるのではないかと思っていた。
何せ従軍司祭が尋ねてくるのだ。
何も不審な点は見当たらないので警戒されずに近づくことが可能だ。
上手く彼らと何かしらの伝手を結べないかと自分は思い、
更にもしかしたら皇帝一家にも近づきやすいのではないのかと考えを更に深めた。
上手く皇帝一家に近づくことができれば伝手ができて何かと便利だし、
おまけに自分の事を色々と売ることが出来て、
彼らを革命の手から守る際にいろいろとその伝手を利用して有意義に使えるかと思うからだ。
彼らを助ければメリットとして、

・諸外国の共産党に対するマイナスイメージを王室存続のおかげで低下させることが出来る。

・史実でも色々と問題になった消えたロマノフ皇室の財産を、ソ連の財政やインフラ整備など色んな局面に役立てていくことが可能となる。

・赤軍の正当性をプラスしながら白軍を王家の敵として正当性を失わせて戦意を低下させ、
こちらに降伏しやすくしたり内部分裂を引き起こす可能性を高めることが出来る。

この様に様々な大きいメリットが存在するのだ。

だがもちろんデメリットも大きい。

・如何にして皇帝一家の助命をレーニンやトロツキーなど他の共産党幹部に説明して納得させるかが問題だ。仲間になるだろうモロトフやヴォローシフも賛同してくれなさそうだ。
彼ら幹部以外にも下の党員の連中の説得も必要だ。
共産党党員の連中はそこら辺のカルト教団よりも性質の悪い犯罪者や狂信者のような人間ばっかりが集まるから、
彼らを上手く対処しなければ革命の美名の名の下に、
せっかく助けた彼らを幹部に無断で害したり自分に危害を加えてくる恐れがある。

・どのタイミングで救助にいけばよいのか分からない。
早すぎても駄目だし遅すぎても駄目なので、適切なタイミングを見計らって接触する必要がある。

・そもそも彼らの救出に迎えてるだけの大勢を引き入れるだけの権勢、
助命を最高幹部らに訴えて貫き通すだけの権力を握っている必要がある。
単独の力では間違いなく無理であるため、カリーニンなど史実共産党でも数少ない穏健派の人の力を借りる必要があるかもしれない。


この様にいろいろと重要なデメリットもあるのでこのプランはかなり厳しいものになりそうだ。
何せ思想的に絶対相容れない相手のトップの一団を助け出そうとするのだ。
史実の歴史で例えるならば、
スターリンがベルリン攻防戦でヒトラーを救出しようと命じるようなものだ。

かなり困難なプランになりそうなのが予測できた。
だが自分はその困難な壁が立ち塞がっても諦めずに最後までがんばり続けようと決心した。
全ては怪我が治ってベットから立ち上がったときから思っていたことだ。
死んではいないが2度目の人生、全力でやりたい事をやって生きてみようと。
そう思ったのだ。
もしかしたらちゃんと史実を越える功績を世に残して死んだら、元の平成の世に返れるかもしれない可能性が僅かにあるからだ。
なお、その根拠は大抵のファンタジー小説や歴史改変小説からの発想だ。
こう何て言えば良いのか分からないけど、
今の自分には何故か出来るという何の根拠も無いが自信に満ち溢れていた。
なので自分はその誰もが救われる未来を実現するために両親の命令に従い、
グルジア正教会運営下の初等学校に入学することを決めた。
10歳の春の季節の事であった。




 「あのころの自分は怖いもの知らずというか、かなり若さに溢れていたな・・・・・・・・・・」

過去への回想から元の現実へと意識を戻し、
ベッドの上で年を取った老人となったスターリンは、
少し遠い目をしながらそう呟いた。
彼は自分の寝室に自分以外誰も近づけずに1人にするよう周りに命じており、
たった1人でこの別荘の1部屋を占拠して寝室で寝ていた。
別に眠いわけではなく人生最後の時を迎えようとしているので、
少し1人で今までの己の人生について考える時間が欲しかったので1人っきりになっているのだ。
この部屋の周囲には医師と警護の兵士、それに政治家や報道陣が静かに待機しており、
何か事が起きた場合には直ぐにこの部屋に駆けつけられるようになっている。
そんな厳重な警護体制の中、
彼は静かなこの部屋で自分の過去の事を回想して今までの人生を振り返り、
若いころの希望溢れる自分を思い出して思わずニヤリと笑ってしまった。
自分にもあんな熱く情熱と夢に向けて燃えていた時代があったのだと懐かしく思った。


「あの頃の自分は若さというか夢に満ち溢れていたよなー。
何も根拠無い妙な自信に満ちて色々と今から思うとかなりやんちゃなことをしたな・・・・・・
これが若さゆえの過ちと言わんばかりにかなり色々とやっちゃった記憶があるんだが。」

彼はフフフと鼻で過去の無鉄砲な自分の学校生活を思い返して笑うと、
その学生時代の記憶に意識を飛ばして再び回想を再開した。



回想
1888年 グルジア地方



 1888年の春にスターリンこと自分は、
史実どおりにグルジア正教会運営下の初等学校に無事予定通り入学した。
初等学校とはいっても10歳からの入学なので、
同級生らも日本の小学4年生の様に少しは落ち着きがある。
少なくとも精神的には日本の小学校1年生の7歳よりも成熟している筈なので、
例えば読書している人間に気づいたらその周りで騒ごうとはしないだろう。
それは自分にとってもかなり好都合であった。
それぐらい精神的に成熟しているならあまり幼稚な話をしなくても済むし、
自分の行動を何か理由がなければ下手に邪魔する者もいないだろうと思った。
何よりここは初等学校とはいえ正教会の運営する学校だ。
そういった子供に対するマナーやルールの遵守に人一倍気を払っており、
自分の勉学を邪魔するような同級生を見かけたらびしばしと叱りつけてくれるだろうし、
自分が勉学に励んだり本を読む事を決して邪魔立てすることは無いだろうし、
むしろとても素晴らしいことだと奨励するだろう。
辺境の地ゆえに地元に碌な書物がなくて悩んでいた自分にとって、
まさにこの初等学校は純粋に勉学に励みたい己の理想の学校であった。



「しかしまぁ地域が地域だから全てが基礎まで木材で出来た木造立ての校舎なのか。」

入学式のある初日の日に、
木で出来た廊下の上でポツンと突っ立ったまま自分はそう呟いて、
これから色々と勉学に励むこの初等学校の校舎を始めてみた感想を呟いた。
どこかこの校舎に心の故郷である日本の要素を見出して、
少し懐かしく思う気持ちが心に湧いてきた。
帝国の東部沿海地方の北部、
オホーツク海に面するハバロフスク地方に主に生息するカラマツの木で作れた校舎と床、柱と天井から何から何までカラマツの木で出来ているという、
如何にも日本の木造立て校舎に通じる要素のある校舎であった。
これで校門前に二宮金次郎の銅像が建立されていたら、
まさに日本の田舎の学校と説明しても丸っきり違和感が無いだろう。
それぐらい日本とあまり変わらない造りなので、
自分は数分後に入学式の準備のために廊下に来た上級生に声を掛けられるまで、
1人でボーっと呆けたように立っていたそうだ。

少し恥ずかしいアクシデントはあったもののその後は何とか入学式に無事に参加して、
無駄に長くてしかもロシア帝国万歳な要素たっぷりの校長の話を聞いた後、
これから長年一緒に同級生たちと学ぶ教室の案内や一緒に過ごす寄宿舎など初等学校での生活に必要な建物の案内を、
見た目40代の血色の悪そうなオッサンな先生に慣れた様子だがめんどくさそうに案内してもらい、
その後一旦昼食を取るために食堂に自分を含めた今年の新入生一同は集められた。



 この時少し自分はうきうきわくわくとしていた。
何せ今まで自分が食べてきた料理は、
グルジアだがロシアの一部なので両方の要素が混じった料理を食べることになるのだが、
どれもこれもロシア料理で自分がかつて日本の大学生であったときから知っていたものはシチー(キャベツをベースとした野菜スープ)と蕎麦の実を利用したカーシャ(お粥)、
それにくそ固いライ麦パンぐらいで、
あと季節限定でオクローシカ(冷製スープ)も加えると4つぐらいとかなりさびしい食卓で、
しかも農家の食事ゆえに味付けが精々塩ぐらいと現代人の自分からすればかなり薄味で、
あまり楽しめる食事ではなかった。
なので初等学校の食事は農民の家の食事より幾分かマシだろうと期待で胸が膨らんでいたのだ。

如何しても自分はビーフストロガノフ
(牛肉の細切りにマッシュルームとオニオンを加えたハッシュドビーフの様な料理)やフォルシュマーク(刻みニシンの前菜、あるいは刻みニシンにマッシュポテト・玉葱のみじん切りを加えたパイの一種)といったロシア料理でも著名な魚料理や肉料理を食いたいと思うのだが、
その機会は一応経済状況がマシになったとはいえ下層階級に位置する我が家には中々訪れず、
そもそもまだビーフストロガノフが広まっていなかったので肉料理といったらシャシリク(ロシア風BBQ)しかなく、
これはこれでおいしいのだがそれしかないので自分は食に飢えていたのだ。
だが、
その一方で冷静な理性が訴えてくるのもあって不安でもあった。
その訴えてくる内容というのが

「宗教団体の管理運営する学校だから、質素倹約な食事しか出ないと思う」

という内容だった。
この訴えは馬鹿に出来ない内容で、一理あると自分はこの理性の訴えにも耳を傾けてその場合のケースを考えた。

日本の禅宗の寺院の精進料理の様に、
基本的に宗教関係の人間が食べる食事というのは基本的には質素な料理であるのが基本だ。
特にキリスト教の修道院では自給自足の生活が基本なので、
修道士達は自分で畑を耕して農作物を収穫して生活していた。
クッキーが生まれたのも修道院が保存食の一食として製作した元祖であるという話もある。
とまぁそんな感じで元々質素倹約に生きる事を目標にする修道院のような生活をキリスト教は教義に掲げているので、
そのような宗教団体の一派が運営する学校の食事が、
幾ら子供の通う初等学校とはいえあまり栄養ありそうな食事を出すとは限らなかった。
むしろ子供の頃からの贅沢は敵だとして修道院の様な質素な食事を出してくる可能性があった。
そう考えると自分の心はずーんと落ち込むのが分かった。
理由は言うまでもなく修道院の料理のような学校の給食を思い浮かべたからだ。
今までの食事と何も変化が無く、
逆に悪化するかもしれないと思うと憂鬱な気分になるのも無理は無いだろう。

でも他の地方や田舎出身の同級生らは殊更に期待に胸を膨らませて、
目を爛々とまるでクリスマスプレゼントを待ち望む子供の様に輝かせて食堂に向かっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その目だけで他の地方の庶民の食卓事情が知れ渡るものだ。

詳しく彼らに話を聞いてみたところ、
グルジア周辺ではここら一帯から西はルーマニア、東はウイグル地方まで食されているチョルバ(色々な食材を煮込むスープ。日本食で例えるなら味噌汁と鍋料理が合体したような日常食)がメインらしい。
自分もタルハナ・チョルバス{貧しい家庭のスープ}という材料に穀粉とヨーグルト、
そして豆とトウガラシを利用したものをシチーが食卓に出た翌日などに食べたことはあるが、
あれを毎日それだけ食うのは現代人の味覚を持つ自分にとってはかなり厳しいものがあった。
皆さんも毎日そうめんと野菜ジュースだけで1年中生活してみて欲しい。
自分がいかにこの辺りの料理に飽きているのかがわかると思う。
けど、彼らはほとんどの食事がチョルバとパンぐらいしか無いらしい。
それもあまり食材の入っていない代物らしく、毎日食べることが出来るだけで幸せらしい。
なので彼らは毎日食事が出されて、
更にバリエーションも実家のよりも豊富な料理が食べれるとして楽しみにしているそうだ。
そんなあまりにも素朴で小さな期待に、
自分は何か胸にこみ上げるものを抑えるので精一杯だった。

(自分が書記長となった暁には、
ソ連の国民を絶対に飢えさせないようにするぞ!!)

そう熱く自分は心の中で決心したのであった。
少なくとも冷戦時代のソ連のアネグトートのように、マッチを買うのに飛行機で隣町へ向かったり、
テレビ食事で腹を満たす(画面に映った食事の光景で腹を満たす、つまり現実では何も食えない)などという事態が起きないような社会を創る事を固く誓った。

そんな事を思いながら専制に案内されて向かった食堂は、
至って普通の大きさの良くある食堂のイメージそのままであった。
大きな別荘の食堂の様な広さで、
真ん中の壁の前に日本の有名な童謡で平井堅が歌ってヒットしたこともある「大きな古時計 」に出てきそうな大きな時計が置いてある。
その時計の前に木で出来た縦長のテーブルが幾つも所狭しと並んでおいてあり、
背もたれの無いベンチみたいな木製の椅子が置いてある。
そしてその縦長のテーブルの上に大きな篭が置いてあり、
その中にはライ麦パンと思われるパンとジャガイモがこもれんばかりに山盛りに盛られている。
そして何やら奥のほうに大きな鍋が置かれており、
近くにその入れ物らしきお皿とスプーンが見える事からどうやらスープ系の料理もあるようだ。
だが、
自分の望むメインディッシュらしき皿は見当たらず、雰囲気的にこれで料理は終了と言わんばかりの空気を感じた。
何か他に無いのかと藁にも縋るような目で周囲を見渡したがそれらしい皿は見えず、諦めかけたその時であった。
皿が多く載ったテーブルを先生らしき人物が運んできたのは。
その皿の上にはサラート・オリヴィエ(ロシア風鳥胸肉を使用したポテトサラダ)が盛られていたが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



まっまぁ、予測は出来ていたさ。
奇跡なんてものは願うときには決して叶わないということを。
この世に神様なんていないと改めて確信した!!!      
もうガリラヤ湖を歩いて渡ったキ○ス○神の子というマジシャンの男を信じるのをやめようじゃないか!!!!!!
フ・・・・・・・フッ・・・・・・・フッアッッハァッハーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!



えーごほん。

少し取り乱してしまい、申し訳ない。



どうやらこれで今日の昼食の食事メニューは全て出揃ったようだ。
まぁ、まだお昼なのでまだ夕食という希望が残っている。
そう自分に言い聞かせながら先生が生徒に座るよう指示を出すので、
教師の指示に従い椅子に他の生徒たちと目を合わせて着席した。
自分は大人しく着席したまま膝に手を置いて待機していたのだが、
他の生徒の中には身を乗り出して料理を手前の皿に盛ろうとして者もいた。

その時であった。


「手を出すな!!
まだ食事の挨拶すらしていないのだぞ!!!」

パシン!!

「つッーーーー!!」


自分たちを引率してきた先程のさえない顔をした教師の男が、
いきなりいつの間にか手に持っていた一本鞭で、その食事を取ろうとしていた生徒達の手をかなりの勢いでぱしんと振り下ろして叩いたのだ。
叩かれた生徒は痛みに叫び声や泣き声も挙げる事ができずに手を押さえて蹲っている。
歯を必死に食いしばって叩かれた箇所を他の手で摩っているのでその痛みを察することが出来る。
空気が一瞬にして早く食事を開始する楽しい雰囲気がシリアスな重い空気に変わり、嫌なギスギスした雰囲気が生徒達の間に漂い始めた。
確かに食事前の挨拶をせずに料理に彼が手を出したのは悪いことだが、
そんな人が死ぬ可能性もある一本鞭で叩くほどなのだろうか?
自分はあまりの過激な制裁に心に恐怖が湧き上がるのを押さえ切れなかった。

何せ自分の今まで暮らしていたゴリの街でも子供のしつけに鞭を使う親は少なく、大抵の親は拳骨やびんたで子供を叱っていた。
今の日本社会が見れば「体罰」として大問題となるが、この時代は言葉でしかりつけるよりも叩く制裁をするほうが多かった。
これは例え貴族や王族でも免れず、
皆平等に当時の子供はしつけで殴られたり叩かれたりしていたのだ。
鞭を使うのは例えば奴隷階級の者や犯罪者に対して使うことが多く、
自分が今まで生きてきた人生10年の中で、
そんな勝手に料理に手を出そうとしたぐらいの軽い罪で制裁に鞭を使う人間は一度も見たことがなかった。
しかも衝撃が逃げやすいばら鞭ではなく、
本気で体を傷つける事を目的とした拷問や刑罰用の一本鞭だ。
下手したら叩かれたものが死んでしまうような威力を出せる代物だ。
もう恐怖で心と頭が一杯だ。
一体何なのだ!?
ここは!!!



「いいですか??
貴方達新入生の諸君は、社会に出てもおかしくない人間として鍛えられるためにこの学校に入学したのですよ?
君達の親御さんからも立派な大人になるようびしばし躾けてくださいと頼まれているのです。
なのでここで今までの緩んだ生活が送れると思ったら大間違いですよ?」

問題の教師がなにやらしたり顔でこの食堂にいる自分も含めた新入生一同に対して、
自分たちの耳に聞こえるぐらいのボリュームで自分たちがこの学校に入学した意味について述べている。彼の言葉を聴いて何やらショックを受けている同級生の姿が見えたが、
自分はやけにその言葉に同意できる部分があったのでやっぱりねと冷ややかな表情で彼を見ていた。


「貴方達は家畜に例えるなら純潔な犬の赤ん坊です。
自分の感情と利益でしか物事や世の中を考えることしか出来ない糞の様な子供です。
そんな貴方達が社会に出ても立派に評価されて貴族や王族に飼われるような血統犬の様に育て上げるのが我々の仕事です。
分かりましたか?
ここでは貴方達は我々教職員に絶対服従なのです。我々が親であり貴方達は子供なのです。
我々の手によって始めて貴方達は立派な人間になることができるのです。
ご理解できましたかなー?」

目を怪しく輝かせながら教師の男は明らかに上から目線で話して、自分達新入生の立場について説明してくる。
とても厭らしく意地の悪そうな声で話してくるので、
自然と苛立ちというか敵意がむくむくと湧いてくるのを自分は感じた。


(こいつ、まじで後で夜の時間に他の連中と共同でピー!ピー!してやろうか?
ちょうどこの学校の周囲には埋めるのに良さそうな林が多く存在している。)


心の中でそのような悪魔の誘惑が聞こえてくるが、
何とかその誘惑を抑えて周りを見渡してみると、
皆も自分と同じように教師を睨みつけるように見ている者や、涙を零しそうなのかウルウルとした目で見ているものもいる。

そんな生徒の放つ雰囲気に気づいていないのか、教師は相変わらず話を続けている。
何かこの学校自慢とグルジア正教会がどれ程民衆の事を気に掛けているのかとグルジア正教会を賛美するばっかりの話が続くので、
自分は日本人であったときから身に着けたスキルを今こそ解き放つべきだと思い、解き放った。

それはごく単純に、
ただ目を開けたまま眠ることである。

具体的に言うならば意識を別の所へと飛ばすと説明したほうが良いかと思う。
学生なら誰でも身に着けられるスキルだと思う。
そのスキルを使って自分は話が終わるまで睡眠を取ることにし、睡眠を始め用としたその時であった。


「~~~~とまぁこういった次第であるので、皆さんは十分注意してこの学校生活を送ってくださいねぇ。
ではでは、そろそろ昼食を取りましょうか。
その前に皆さんにこれから毎回食事前にするお祈りの手本をお見せしましょう。
これも評価対象に入るので、静かにしっかりと見て覚えてくださいね。」

ちょうど運よく話が終わったところで、
先生が何やらお祈りの言葉を述べて神に感謝の言葉を捧げ始める。
その間、自分達新入生一同は先生の言ったとおりに静かにして、
先生のお祈りを仕草から言葉まで目と耳を総動員して脳みそに記憶させる。
自分も彼らと同じようにいけ好かない先生の動作と言葉を記憶している最中、

(この学校でおれはちゃんと神学校にまで進学できるほど、在籍し続けることが出来るのだろうか?)

と不安な思いを抱きながら記憶していた。

こうして自分の1日の半分は終わった。
しかし、この午前だけでもかなり疲労していた自分に午後の出来事はかなりきつかった。
続きはとりあえず昼食を食べてから話そう。

それでは、ダスビダーニャ(さようなら)
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ