インターネット黎明期の申し子として華々しく登場したアマゾン・ドットコム。その日本語サイトがオープンしたのは2000年11月のことである。Amazon.co.jpは当時170万点の和書・洋書を揃えたオンライン書店として登場し、その後音楽CDやDVD、ゲームソフト、キッチン用品、家電製品、おもちゃ、スポーツなど10カテゴリーまでサービスを拡大。3年連続で営業利益黒字を達成するなど、その勢いは止まるところを知らない。
この快進撃を演出した立役者が、香港生まれのカナダ人、ジャスパー・チャン氏である。チャン氏は、Amazon.co.jpのサービス開始後まもなくアマゾン ジャパンの代表取締役社長に就任。その優れた手腕と分析力により、日本における今日のインターネットビジネスの興隆を先導した。香港のキャセイパシフィック航空からカナダのプロクター・アンド・ギャンブル・インク(以下P&G)を経て、アマゾン ジャパンへ。
チャン氏をチャレンジに駆り立てたきっかけの一つは、97年の「香港の中国返還」の影響であった。母国の政治的大変動に巻き込まれながらも、リスクをチャンスに変えて飛躍したチャン氏。その終始一貫して変わらぬポジティブ・マインドこそが、氏のキャリアを支えてきたことはいうまでもない。
政情不安に揺れる香港を離れ新天地カナダへ
86年香港大学卒業後、キャセイパシフィック航空に入社。工学系出身にもかかわらず航空会社を選んだのは、「論理的分析力を活かして、幅広い事業を展開する大企業で自分を磨きたい」との思いからだった。
入社後はエアライン・プランニング・オフィサーとして、チャーター便の手配から航空機の購入、10年後のビジネスの需要予測までを担当。だが1年後、香港を取り巻く政治的状況が大きく変化した。87年、改革推進派の中国共産党主席・胡耀邦が突然失脚。この事態は中国返還を10年後に控えた香港にも激震をもたらし、香港市民は雪崩を打って海外に移住した。
そんな中、チャン氏もまた、カナダで新しい生活をスタートしたのである。平常時ならいざ知らず、政情不安に揺れる母国を後にしての再出発は、よほどの覚悟が必要だったにちがいない。だが、若きチャン氏にとっては苦にならなかったようだ。
「市場の小さい香港ではチャンスは限られている。その点、より大きな市場を抱えたカナダでキャリアを始めることは、非常にエキサイティングなチャレンジだと感じましたね」
87年、オンタリオ州にあるヨーク大学ビジネススクールに入学。半年後にP&Gに入社し、大学院に通いながらファイナンス・アナリストとして働き始めた。
「それまで財務の経験はなかったのですが、自分の分析力を活かす意味でも、ここからスタートするのが適切ではないかと考えたのです。充実した社員教育で知られるP&Gに就職できたのは本当に幸運でしたね」とチャン氏。以後、彼は10年以上の歳月をこの会社で過ごすことになる。
90年にはMBAを取得している。新天地のカナダでの生活から得られた見返りには予想以上のものがあったようだ。
「多様な文化が混淆するカナダでビジネス・トレーニングが積めたのは幸運でしたね。何より大きかったのは、自助と独立の精神を学んだことです。北米には『自分の運命は自らの努力で切り拓く』という文化的土壌がある。そのカルチャーを実地に学んだことが、カナダで得た最も価値ある経験だったと思うのです」
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