13歳から15歳。心身ともに著(いちじる)しい勢いで成長する貴重な2年という歳月を、その「悪魔」は少女から奪い去った――。鬼畜の如き男の名は寺内樺風(かぶ)(23)。彼はいかにして彼女の逃亡意欲を削いだのか。間取り2Kのアパートで少女に仕掛けられた心理作戦を読み解く。
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千葉市内にある寺内の「監禁アパート」の同じフロアに住む30代の女性は、2月上旬に見た彼の姿が印象深く、今でも忘れられないと言う。
「夜11時半頃、私がアパートに帰ると、彼がわざわざ外の廊下に出て携帯電話で話していたんです。寒いし、部屋の中で話せばいいのに変な人だなと思いました」
部屋に監禁した少女がいたことはまず間違いない。なぜ、寺内は「支配」していたはずの少女から隠れるように、外で電話をしていたのか。ここにこそ、彼の支配の「巧みさと限界」が表れているのだった――。
悲劇は繰り返されるという。
「稀代の監禁男」として世間を震撼させ、2000年に逮捕された新潟少女監禁事件の佐藤宣行(のぶゆき)は、昨春、人知れず刑期を終えていた。
だが、閉塞感が漂い、「何か」が狂い始めているように感じられてならないこの社会は、我ら庶民が平和に暮らすことを許さず、新たな「モンスター」を生み出した。佐藤と入れ替わるようにして「ニュー監禁男」が出現したのである。
寺内樺風。14年3月から2年にわたって、埼玉県朝霞市に住んでいた中学1年生(行方不明になった当時)の少女を監禁。先月27日になって、ようやく彼女はJR東中野駅の公衆電話から自宅に電話を掛けることに成功し、寺内の魔の手から脱出することができた。翌28日、寺内の身柄は確保され、未成年者誘拐の容疑で逮捕。「ニュー監禁事件」は終結を見たのだった。
しかし、これで一件落着とはいかなかった。今回の事件には、まだ大きな「謎」が残されているからだ。どうして少女はもっと早く逃げることができなかったのか――。それは、「佐藤事件」と比べるとより鮮明になってくる。
同事件の場合、佐藤は自宅2階の一室に少女を押し込め、時に彼女に対して暴力を振るい、手足を粘着テープで縛るなどの身体的拘束も行った上で「完全屈服」させていた。文字通り監禁していたのだ。
一方、「寺内事件」の場合は事情がやや異なる。
社会部記者が解説する。
「今年の2月に中野のマンションに引っ越すまで、寺内と少女は千葉のアパートで『2人暮らし』をしていましたが、少女は完全に部屋に閉じ込められていたわけではありませんでした」
例えば、「監禁」という言葉のイメージからはなかなか想像し難いが、
「監禁2年間の後半には2人で外出することもあり、また、現役の千葉大生だった寺内がキャンパスに通う間は、少女がひとりアパートで過ごしていた。寺内の父親が防犯設備の販売店を経営していたこともあり、アパートの玄関に外からしか開けられない鍵が施(ほどこ)されていたとはいえ、佐藤事件と比較してみると、身体的拘束がなされていた形跡もなく、少女にはある程度の『自由』があったと言えます」(同)
となると、やはり先の「謎」が気になるところである。改めて監禁の実態を検証してみる必要があろう。
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