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亀田大毅氏 激動の半生…兄は決闘で相手を“秒殺”「俺は勝ったり負けたり」
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2006年、プロデビューが決まった亀田大毅、左は父・史郎さん
Photo By スポニチ |
網膜剥離による電撃引退から半年。ボクシング亀田3兄弟の次男・大毅氏が激動の半生を振り返る。第1章の「パフォーマンス」に続き、第2章では「プロデビューまで」のエピソードを元2階級制覇王者が自らの言葉で語った。
亀田家のボクシングの基礎は「糸東流」空手。空手を習いながら家ではボクシングのような練習をしていたから、将来的にその道に行くのは当たり前にように考えていた。空手から家に帰ると、親父が待っていて、夕飯も食べずに練習部屋に直行した。覚えの悪い俺が一番練習させられた記憶がある。空手のない日もその部屋で親父と向かい合う、特訓の毎日。小学校の時は巨人ファンでテレビでプロ野球を見たかったけれど、それを見ることができないのが嫌だった。
地元は不良が多かった。俺は、けんかを売られることはなくても、兄はよく売られていた。中学の頃からテレビに取り上げてもらうようになって、周りは気に入らなかったんだと思う。年上、違う学校、高校生まで、みんなが兄に決闘を挑んできた。自転車に乗って遊んでいても、10人ほどの集団に囲まれて、それで公園に行った。そんな中でも常に一対一での勝負だった。ただ、兄のパンチが顔面に入ると一発で倒れるから、ほとんどが秒殺だった。俺は、たまにそのけんかに巻き込まれてたけれど、相手はみんな年上。結果は勝ったり負けたりだった。
3兄弟が初めて世に出たのは、ジムの世界ランカーがメーンを飾る興行があって、ジム側がパフレットに「浪速の亀田3兄弟」と名前を入れたのが契機だった。ジム回りをしていたテレビ局の人も興味を持ってくれて、関西で2分ぐらいの特番をつくってくれた。これが最初の「亀田3兄弟」だった。
俺は17歳になるまでアマチュアで経験を積むつもりだった。けれど16歳になる前、試合内容を見た親父が「大毅はアマチュア向きじゃない」と言って、アマチュアを卒業した。それからは、ヘッドギアを装着してプロのリングでエキシビジョンマッチをした。プロボクサーを相手に拳を交えて場数を踏んだ。元WBA世界フライ級王者・坂田健史さんの前座でもリングに上がったけれど、まさか将来的にこの人と勝負をするなんて思いもしなかった。
17歳の誕生日から数日後にプロテストを受けて、06年2月26日のプロデビュー戦で23秒KO勝ちした。相手は強い選手ではなかったれけど、俺も何の実績もない選手。デビュー戦から数戦は勝つことで自信つけていく試合だった。
[ 2016年4月18日 09:03 ]
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