12/27(土)ガーナ滞在8日目
思いもかけずスリリングだったベナン行のあとでは、ガーナの棺桶工房のすべてが懐かしく思える。
わたしたちがいない間、ペインターに入れてもらった棺桶広告も完璧な仕上がりだ。ポテトチップスをモチーフとした棺桶に、生きものイベントやクマムシのロゴデザインが入ったことによって説明しづらさのレベルがまたひとつ上がった感がある。しかし、装飾棺桶は故人の生きた証を表すもの。よくわからない生き方が、よくわからない棺桶に正確に反映されていると言える。
わたしたちは、棺桶パーティの買い出しに市場に向かった。普通は棺桶を作る前に、お酒を捧げるドリンク・セレモニーをするのだそうだ。
数日前「セレモニーって言うけど、何が必要なの?」とアジェテイに訊くと、キラリと目を光らせ「まず、ヤギ一頭。それに浄めのお酒、あとビールはたくさん要るかな……」と並べ立てはじめた。あやしい。工房の裏の長屋には年末らしいソワソワしたムードが漂い、親戚らしき人や子供たちが連日出入りしている。わたしを親戚一同でのクリスマスディナー、またはおせち料理の金主にしようという魂胆がひしひしと伝わってくる。
外国ではありがちだが、お金を持ってる人が持ってない人に大盤振る舞いするのは当たり前、という気風はガーナでも強い。ちょっと仲良くなると「その時計、くれないかな?」とか「今日はまだ水もおやつもおごってくれてないじゃん!」と言われる。断っても「そっかー」という感じなので重くはないし、逆に彼らが道端で買ったおやつやスナックパインをおごってくれることもある。良くも悪くも、心の垣根が低い感じがする。
棺桶パーティについては予想外の出費なので、コーディネーターのショコラさんはいろいろと気を遣ってくれたが、わたしもヤギを食べてみたい。工房側に食材を調達してもらうと予算がコントロールできなさそうなので、何かと頼りになるアルバートさんに市場に連れて行ってもらうことにした。
アボゴロシ(大きな木)という名前の市場に来た。アルバートさんに言われるがまま、トマト、玉ねぎ、赤とうがらし、トマト缶、米15キロ、コンソメキューブ、油、にんにく、何種類かのスパイスを買う。さらに、アペテシエというヤシから作る強いお酒も1ガロン。
そして、最後にヤギ市場へ。埃っぽい広場に、茶色、白、黒、ぶちのヤギたちが数百頭ひしめいている。
アルバートさんがヤギ売りのおじさんに声をかけると、おじさんは白黒のぶちの雄ヤギを選び出し、水を飲ませはじめた。サチコさんが「末期の水だ……」と呟く。
クリスマスなので、ヤギが値上がりしているらしい。250セディ(約8500円)を払う。予算は全部で1万円くらいと聞いていたが、全然足りない感じだ。
「うう、お金が飛んでいく……ヤギなら工房にも2匹いるのにな~」
「でも、工房のヤギをつぶすって言われたら嫌じゃないですか? メレ子さん……」
「あっ、すごく納得しました」
「食べるなら、顔見知りのヤギより知らないヤギのほうがいいですよね」
ここに来る前にも「チキンのほうがおいしいし安いのでは?」とアルバートさんに抵抗を試みたのだが、アルバートさんも「いや、お祝いといえばヤギだ」と頑として譲らない。クリスマスの七面鳥のようなものらしい。
四肢を縛られてトランクに入れられたヤギが、車の揺れに合わせて「ンメ~」と悲しい鳴き声を上げる。そのたびに、わたしたちは「あ~」「う~」と罪悪感で呻いた。
12/28(日)ガーナ滞在9日目
朝9時に棺桶工房に行くと、昨日引き渡した白黒ヤギはまだ生きていた。元からいる2匹の茶色いヤギとも馴染んでいる。しかし、白黒ヤギの命はあと数時間なのだ。
「そのサンダル、いいわね」と、いつも工房の前で食品を売っている15歳くらいの少女が声をかけてくる。今日は棺桶パーティなので、わたしは多少おしゃれをしようと思い、アート・センター(民芸品を扱う観光客向けのおみやげ市場)で買ったビーズのサンダルを履いていた。馴れ馴れしすぎるくらいのガーナ人の中で、ひときわ無口で愛想のない感じの子だったので、実は目ざとくニューアイテムをチェックしていたことに驚いた。「いくらしたの?」と訊かれて「140セディ」と言うと、彼女は「ないわ~!」と天を仰いだ。
アルバートさんが、ビール1ケースとカセブリッジを買ってきてくれた。カセブリッジは、ちょっとだけ使う浄めの酒らしい。
そこにビッグ・ママが登場した。工房のオーナー・CDさんの奥さんで、ふだんは工房の庭で近所の奥さんたちを集めてケンケ(トウモロコシの粉を練って発酵させたガーナの常食)を作って売っている。彼女が棺桶パーティのご馳走を作ってくれるようだ。アットホームな感じの工房だが、いわゆる「まかない」は見たことがない。日中は暑いので朝夕の2食で済ませる人も多いらしく、軽食の販売が充実していることもあってあまり自炊しないのかもしれない。ここはガーナの都市部だから、農村部に行けばまた違うのだろう。
ビッグ・ママはアルバートさんの采配した食料品を見て、「これじゃぜんぜん足りない! ペッパーは緑のも要るし、あとニワトリを2羽……」と言い出した。結局チキンも要るんかい。追加物資はサチコさんとアルバートさんとママが近く買ってきてくれるというので、わたしはヤギをつぶすところを注視することにした。
器用なスティーブンは、ヤギ祭りの準備でもよく働く。その辺に落ちていたコンクリブロックでかまどを作り、火をおこし、地面に浅い穴を掘った。アジェテイとスキンボーンが手足を縛った白黒ヤギを引っ張ってきて、木の台に横据えにする。刃渡り20センチくらいのナイフを手に、ドキドキしているわたしを振り返り、アジェテイが英語で何か言った。
「これはみんなに薦めるわけじゃないけれど、……やってみる?」
「えっ?! わたしが殺すの?」と焦っていると、ショコラさんが「メレ子さん、アジェテイは『ヤギの血を素足に浴びるか?』って訊いてます。祝福の儀式だそうです」と通訳してくれた。ありがたく受けることにする。
【注意】この後、ヤギの血がかかった裸足の写真が出てきます。流血に関する表現が苦手な方は、閲覧を避けてください。
アート・センターで買ったサンダルを脱いで、パンツのすそをたくし上げる。足裏に、太陽で熱された地面がほんのり温かい。職人たちが3人がかりで白黒ヤギを押さえつけ、カセブリッジを飲ませる。アジェテイが大きく反らしたヤギの首に刃を当てて力強く2往復ほどさせると、生温かい血がたらたらと足にかかった。漫画や映画のように、血飛沫が飛び散ることもない。ヤギは何度か痙攣したが、血といっしょに身体から生命が出て行くのに、十数秒しかかからなかった。わたしは、左足と右足の甲を順番に出して、血を浴びた。
万が一、首を切る役に指名されたとしても、殺すのは嫌だとは言えなかったと思う(わたしのために死ぬヤギだし)。だが、アジェテイの手つきが迷いなくとても鮮やかだったので、切ったのが自分でなくてよかったと思った。わたしでは、確実にヤギの苦しみが長引いていただろう。
工房の隅でバケツに水を汲んでもらって足を洗いながら、予想よりショックを受けているなあ、と思った。セレモニーといってもほとんど儀式らしいところはなかったが、血の温かさが足の甲に残っている。ベナンの市場の精霊に捧げられるヤギも、こんな感じで死ぬのだろうか。わたしの酔狂のためにヤギが死んで、本当にいいのだろうか。
サチコさんたちが市場から戻ってきた。青とうがらし、ガーデンエッグという黄色いナスのような野菜、タマネギ、ニワトリ2羽、スパイス、キャッサバなどを抱えている。アジェテイ中心のヤギ処理班と、ビッグ・ママ中心の調理班に分かれ、一気にご馳走の準備が進みはじめた。
ヤギは直火で丸焼きにし、毛が焼けたらナイフで表面を削ぐ。切断した頭と足先は、火の中に入れたままだ。お腹を開けて内臓を出し、肉をばらす。ミノやハチノスを水洗いし、長い小腸も伸ばしながらしごいて中身を地面に掘った穴に捨て、くるくる巻いて縛った。肉といっしょに煮込みにするらしい。焼き捨てるのかと思っていた頭と足先も、水洗いして焦げたところを削っている。文字通り、余すところなく食べるつもりのようで、お金を出したわたしも嬉しい。
スティーブンの弟分の少年・ニコラスも、ニワトリを絞めるといって中庭の隅に持って行った。今度は足に血をかけられることもなく横で見ていたが、やっぱり手早いし、手慣れている。彼らにとってはこの作業は「生きものの命をいただく」とことさら強調するような特別なものではなく、ちょっと大がかりなご馳走の準備作業に過ぎないようだ。
パーティの準備が進む中、カネ・クウェイ工房のオーナーであるCDさんにインタビューをさせてもらうことになった。最初に装飾棺桶を作ったカネ・クウェイの孫にあたる彼に、装飾棺桶の歴史について聞きたかったのだが、CDさんは忙しい人で、今日まで時間がもらえなかった。ガーナ人はみんな電話が大好きだが、CDさんはいつも四六時中電話をしながら歩き回っていて、工房にいないことも多い。
――あなたの祖父、カネ・クウェイさんについて教えてください。
「カネ・クウェイの父、アジェア・クウェイの兄が大工だったので、祖父は最初そこの工房で働いていた。その後独立してアクラに工房を開き、テシに移ったのが1951年。場所はここの近くで、今は弟子のエローの工房があるところだ」
――カネ・クウェイさんが最初に作った装飾棺桶は?
「魚の棺桶だ。テシの町の漁師のためのもので、リーダーのような存在だったので家族も立派な棺桶にしたいと希望して、魚の形の棺桶を作った。
二番目に作ったのは、飛行機型の棺桶だ。ある女性が亡くなったときに、その人は飛行機に乗ったことがなかったので、飛行機の棺桶を作ったんだ。三つ目は、母方の親戚の男性にカカオの棺を作ってやった。その後、だんだん装飾棺桶が広がって行ったんだ」
――あれ? わたしたちがここに来る前に調べてきた話では、カネ・クウェイさんが自分の祖母のために作った飛行機の棺桶が最初だということだったんですが……そもそも、最初の漁師さんは何で変わった棺桶を作ろうと思ったんでしょうね?
「遺族がそう望んだからじゃないかな? 棺桶について知りたいなら、『Going into Darkness: Fantastic Coffins from Africa』という本がフランスで出てるよ」
CDさんがもっとカネ・クウェイの独創性や装飾棺桶のオリジンを主張するものだと思っていたので、わたしたちは少し拍子抜けした。カネ・クウェイの直系工房としてもっと目立ってもよさそうなところ、海外向けの需要は別の弟子のパー・ジョーの工房がほぼ一手に担っている。この商売っ気のなさが、その一因かもしれない。しかし、商売っ気がないだけにこの話には信憑性があるようにも思える。
――CDさんは、ずっと棺桶工房の仕事をしているんですか?
「小学生のころから手伝っていて、30年近く働いていたんだけど、1996年にイタリアのボローニャに1年間出稼ぎに行ったよ。帰国後にカネ・クウェイが亡くなったので、そこから工房の仕事にいっそう本腰を入れるようになったんだ」
――この工房では棺桶だけを作っているんですか? 年間いくつぐらい?
「今は棺桶だけだな。月に10件くらいオーダーがあるよ。海外からのオーダーは10~20個単位で来るから、年に何個かははっきり言えないけれど」
――クリスマス休暇で帰省している人もいるみたいですが、職人は何人いるんでしょう。
「息子のアジェテイは職人で給料をもらっているけれど、カカオ、スキンボーン、スティーブンら6人の弟子は無給の見習いだよ。カカオとスキンボーンはテシ出身なんだけど、この辺の子はなかなか働かなくてね……、あとは外部のペインターや彫刻家が4人くらいいるよ」
――現在、装飾棺桶の工房はいくつあるんでしょう。
「カネ・クウェイ、パー・ジョー、ニー、ティティ、パオリー、エロー、テイ、テテの8つかな。そろそろいいかな?」
――待って、最後にひとつだけ! 今日のヤギのセレモニーは、昔からの習慣ですか?
「いや、棺桶を作る人がみんなあそこまでやるわけじゃないよ。普通は50セディと、職人にアペテシエを振る舞うくらい。アジェテイがメレコの足にヤギの血をかけた? それは何かを習得した人に対するお祝いだね。普通は見本と似たような棺桶を注文するだけでデザインまではしないけど、メレコは自分でデザインした棺桶を手に入れたわけだから。工房の隅に、洗剤の容器の形の棺桶があるだろう。あれを作ったのはフランスから来た美術専攻の学生だったけど、彼女が帰るときにもヤギをつぶしたんだ」
あっ、やっぱりヤギは必須じゃなかったんだな、この野郎、とわたしは思ったが、ヤギはすでにわたしの人生の貴重なひとこまとなっていたので、文句は言わなかった。クリスマスも作業してくれた無給の弟子たちに、おいしいものを食べさせてあげたいし。
近くのアートギャラリーにおみやげの買出しに行ってから工房に戻ってくると、スパイスのいい匂いが立ちこめている。ヤギ用の辛い味付けのスープと、ニワトリ用のトマトソースがそれぞれ煮えていた。湯がいたキャッサバとプランテーンを機械で半搗きにして、さらに臼で搗いて餅状のフフを作る。ニワトリはスパイスたっぷりで揚げて、トマトソースと合わせるらしい。米も大量に炒めてから鍋で炊いている。普段から食べ物を売る商売をしているだけあり、どう見てもプロの域の料理だ。
工房に戻ってくると、スパイスのいい匂いが立ちこめている。ヤギ用の辛い味付けのスープと、ニワトリ用のトマトソースがそれぞれ煮えていた。湯がいたキャッサバとプランテーンを機械で半搗きにして、さらに臼で搗いて餅状のフフを作る。ニワトリはスパイスたっぷりで揚げて、トマトソースと合わせるらしい。米も大量に炒めてから鍋で炊いている。普段から食べ物を売る商売をしているだけあって、どう見てもプロの域の料理だ。
ビッグ・ママが、ヤギ入りのライトスープとフフをよそってくれた。かぶりついてみるとほとんど臭みもない。スパイスをどっさり入れて煮こんでいるからだろう。ついたままの皮は、プルプルしていて豚足みたいな味わいがある。数時間の解体と調理を経て、あの白黒ヤギは今「生きもの」から「おいしいもの」へ完璧に遷移していた。搗きたてのフフも、ほんのり甘みがあって最高だ。
ヤギ汁ができたのを潮時に、ビールを開ける。集まってきた職人や弟子たちを見ると、何人かがここに来たときに差し入れした手ぬぐいを身につけてくれていた。普段は見ない若者は、アジェテイが「今日はパーティだぜ」と言って呼んだ親戚らしい。
ビッグ・ママが、洗面器に入れたヤギ汁を運んできた。お月様のように巨大なフフも入っている。彼らがヤギとフフを堪能しているのを見て、わたしも「たんとお食べ……」という気持ちになった。









