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黒部進さんを俳優へと導いた山本嘉次郎監督“鶴の一声”

 この鶴の一声で、東宝演技研究所で学ぶことが許され、修了後、東宝の社員になれたんです。山本さんは戦前は文芸作品や娯楽、戦争映画で鳴らし、戦後も娯楽・文芸作品をたくさん手掛けられた名監督。東宝の重役が反対する中、黒沢明監督を助監督として採用したり、三船敏郎さんを抜擢するなど独特の嗅覚をお持ちだった。

 もし山本さんの一言がなかったら、僕は間違いなく東宝には入れなかったし、ずっと靴磨きのままだったかもしれない。今頃どうしていたやら……。

 演技研究所ではみっちりと芝居やダンス、発声など基礎の基礎から教わりました。演技論や役者の心構えを担当されてた山本さんも教壇に立っていました。お話がうまくて、授業がとても面白かったですね。

 食事もよくごちそうになったけど、不思議と芝居のことは話さない。所長だけに、他の講師のやり方に口を挟まないようにしていたのかもしれません。そんなところがいかにも山本さんらしい。

 残念なのは、デビューした63年は山本さんが娯楽映画を手掛けていた頃で、僕は文芸系だから結局、一度も映画をご一緒していないこと。一度でいいから、山本さんの下で芝居をして恩返しをしたかった。今でもそう思っています。

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