石積み職人集団「穴太衆」の末裔が語る「熊本城」修復にかかる課題とは!?
城づくりの名人、加藤清正が17世紀初めに建築した熊本城は今回の痛手から修復できるのか? 第十五代穴太衆頭の粟田純徳社長に、ニュース映像などから、石垣の修復とその難しさを類推してもらった。
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「下の方が緩やかで、上部は垂直に近くなる“武者返し”。あの勾配を再び出すのは相当、難しいでしょう。また、崩れてしまっては、積んであった石の元の配置が分からない。……石ごとに刻印があり番号が分かる場合もあるけれど、すべては無理でしょう」
清正自慢の「武者返し」が、再建では高いハードルとなるようだ。バラバラに崩れてしまった石は、過去の写真や映像などを手掛かりに、積み直すらしい。3月19日に放送されたNHK「ブラタモリ」の熊本編なども貴重なヒントになるとか。とはいえ、石垣の全ての部分の写真や映像はあるのだろうか? ほかにも課題はある。
「上に建物が載っている石垣は、重機を使えないため、崩れた個所や、傾きを少しずつ直していかねばならない。石垣以外の部分が二次被害を受けないように配慮しながらの難工事となります」(粟田社長)
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