建物のいたるところがさびつき、まわりには木々が生え、ひとりの男性が立っている。写真に写っている建物は工場なのだが、この工場を知っているひとはいるだろうか?
写真だけでわかったひとはインドのことをきっとよく知っているひとだろう。ここでヒントをひとつ。
1984年にインドで大事故が起きた工場といえば、察しがつくひとがいるかもしれない。
この工場はインド中西部にあるボパール(ボーパール)化学工場だ。『ボパールの悲劇』もしくは『ボパール化学工場事故』ならば聞いたことがあるかもしれない。
この事故は死者3万人を超え、事故の後遺症にかかったひとは20万人以上だといわれている。2016年現在、呼吸障害、しつこい咳、角膜の潰瘍、若者の白内障、皮膚の炎症、鬱状態といった症状を住民は抱えている。
いったいなぜこのような事故が起きたのか?3万人の死者が出た原因はなんだったのか?
- 作者: ドミニクラピエール,ハビエルモロ,Dominique Lapierre,Javier Moro,長谷泰
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2002/12
- メディア: 単行本
- クリック: 21回
- この商品を含むブログを見る
- 作者: ドミニクラピエール,ハビエルモロ,Dominique Lapierre,Javier Moro,長谷泰
- 出版社/メーカー: 河出書房新シャ
- 発売日: 2002/12
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
ボーパール午前零時五分を読んだ。上・下巻にわかれていて、どちらも250ページほどのボリュームだ。実際の事故の描写については下巻の後半から描かれているから、事故当時の様子を知りたいひとは下巻の120ページから読み進めるといいだろう。
事故の描写以外なにが書かれているかというと、事故が起きた当時の背景やボパールとい町について、さらには事故を起こしたユニオン・カーバイド社の歴史などである。
ところで、事故を起こしたユニオン・カーバイド社とはどのような会社なのだろうか。
二十世紀のこの第二半期では、およそ四十か国で系列会社は百三十社、生産地は約五百カ所、従業員は十二万人を数え、アメリカの工業力の最たる精華のひとつになろうとしていた。1976年には、総売上650万ドルと発表されることになる。(中略)
アメリカの主婦が買い物をすれば、十人中八人はユニオン・カーバイドの青と白の菱形印の商標があるプラスティック製の手さげをさげている。そのロゴは、何百万本というプラスティック製の瓶にも、また食料品の包装材料、写真用フィルム、そのほか多くの日用品にも登場する。
地球人口の半分による国際電話での会話は、メイド・バイ・カーバイドのカバーで保護された海底ケーブルを通ってゆく。自動車の二台に一台の割合で用いられる不凍液、六割がたの電池と美容整形外科で用いるシリコンのスティック、五本中一本のタイヤに使われているゴム、蚊と蝿除けスプレーの大部分、そして人造ダイヤモンドさえも、このマンモス企業の工場でつくられていた。その企業の株はウォール・ストリートでもいちばんの安全株のひとつだった。
グローバルに展開し、アメリカでを代表する化学企業だったユニオン・カーバイド社(現在はとある企業の子会社となっている。)支社はインドにもあり、古くからインドを支えてきた。カーバイドの電灯でインドの村々に明かりが灯り、毎年工場でつくられる5億個の電池のおかげで、ユニオン・カーバイド社の名はインド中に知れ渡っていた。
そんな企業がなぜこのような大事故を引き起こしたのか?まずは当時のインドの情勢について知る必要がある。
国民の多くが農業に従事
当時はもちろんインターネットなんぞは発達しておらず、インドを支えていたのは農業だった。インドは世界有数の穀物生産国であり、コメ、小麦の生産量は中国に次いで世界第2位である。さらにコメ輸出量では、2012、2013年と世界第1位である。
農業といえば、古代から人間は非常に悩ましい敵と闘ってきた。
そう...害虫だ。
「りんごの木につく糸紡ぎ蛾」「松の木につく行列毛虫」「ぶどうの木につく黄金アブラムシ」「小麦の坑夫蝿(こうふばえ)」「桃の木の東洋葉捲蛾(はまきが)」「レンズ豆の夜蛾」「かぶの葉蜂」...こんなかわいい呼称のその虫たちが、それほど有害な悪者であることなど、どうして想像できようか。(中略)
そうした寄生生物のいくつかは下顎で植物を噛み砕き、あるものはなめてから、舌を包む被包を使って汁を吸い、またあるものは刃状のもので刺してから液を吸い込む。(中略)密な葉むらがそうしてにわかに白っぽい斑点だらけになり、そこに針の頭ほどの大きさの害虫がうようよといる。丈夫でたくましい植物が、手の施しようのない立ち枯れを引き起こす、褐色がかかった粉末状のいぼのようなもので突然おおわれる。またほかの昆虫は葉のつけ根までのびるトンネルを掘って、植物を全滅させる。
これはインドだけの話に限らない。全世界共通の課題だ。古代エジプトのイナゴの襲来、19世紀末にフランスのぶどう畑を壊滅させたネアブラムシ、フィロクセラの流行、あるいはまた、主要な食料資源のじゃがいもを台なしにして、アイルランド国民を飢餓状態にしたコロラドハイム...
人間はあの手この手をつくし、害虫から作物を守る方法を考えてきた。そのなかから生まれたひとつが殺虫剤だ。しかし、インドでは殺虫剤が原因で害虫が死ぬのではなく、人が死ぬ現象が起きていた。
多くの農民が撒布効果を高めるために、さまざまな種類の製品をほとんどいつも素手で掻きまぜている。成分を確かめようと、その混合物の味見をしさえする者もいる。(中略)
ラクナウ地方では、殺虫剤を取りあつかう労働者の半分が、重い心理障害や記憶障害、視覚障害に苦しんでいることは気づかれていた。農民たちは情報にうといまま、製造者の指定した分量を二倍、三倍にふやして製品効果を高めたいと思っている。そうしたむだ遣いが彼らの多くを破産に導く出費、さらには自殺に追いやった。
インドは600の言語とそれぞれ異なる方言を話す人々が三億人もいるといわれている。かれらの半分は殺虫剤のラベルに書かれた字を読むことができない。結果、注意事項を読まずに使用することになり、病気を引き起こしたり、ときには死に至ることもあった。
そんなインドの情勢にカーバイド社がひとつの製品の開発に取り組み、見事成功させた。その製品の名前は『セヴィン』
害虫を追い払うことができる魔法の粉であり、住民が安全に使用できる殺虫剤だ。しかし、セヴィンにはある隠された欠陥があった...
魔法の粉に隠された副作用
たしかにセヴィンは従来の殺虫剤とはちがい、毒性がまったくなく飼育している動物にも人体にも影響を及ばさない。害虫のみ一掃できる革命的な製品であった。だが、ひとつだけ重大な欠陥があった。それはイソシアンメチルという非常に危険な薬品を取り扱うことだ。
このイソシアンメチルという薬品の管理がむずかしく、危険を伴うものであった。事故後、調査したドイツ人の科学者のひとりはこう言った。「貴社(カーバイド社)の技師たちは気が狂ってるのだ。彼らがあなたの工場の真っただなかに置こうとしているのは爆発寸前の原子爆弾なんだ」と。しかし、カーバイド社はその危険性をインド政府や工場の近くに住む住民に説明することなく、ボパールに工場設立を踏み切った。
次々と解除されていく安全装置
セヴィンを開発したものの、当初の見込みとはちがい売れ行きは悪かった。ひどい気候条件と、ずっと低コストで安い競争品の殺虫剤が市場に現れたことが販売不振に繋がったのだ。カーバイド社はなんとか立て直しを図ろうとしたが、うまくはいかなかった。
起死回生の案もなく、工場予算をカットせざるをえなくなった。しかし、このコストカットこそが20万人を巻き込んだ事故に発展した大きな要因だ。
人員が削除され、給料も右肩下がり。ベテランの優秀な従業員は皆次々に去っていった。そんなことから労働の質の低下が起こり、多数のスペシャリストが訓練をうけていない仕事に割りふられた。工場設立当初こそ、安全面に気をくばっていたが、いまやその影すらない。工場内ではマスクをしなければならなかったが、だれもマスクをつけようとはしていなかった。
さらにはイソシアンメチルを貯蔵してあったタンクに取りつけられていた3つの安全装置もコストカットのためひとつも稼働しなくなった。このうちひとつでも動いていたら、これほどの被害がでなかっただろうと言われている。こうして、コストカットによって、一歩一歩大事故への階段をのぼっていったのだ。
20万人を巻き込んだ史上最悪の化学事故の真相、本書を読んであなたの目で確認するといい。