このとおり、共産党の書記局長さんが、川内原発即時停止を突然言い出して反感を買っている。
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【震災の政治利用】日本共産党・小池晃さん、何の脈絡もなく突然「川内原発」の停止を申し入れwww
1 : サッカーボールキック(愛媛県)@\(^o^)/:2016/04/17(日) 01:42:25.06 ID:X09dsYAs0.net[1/26]
「川内原発の運転停止求めた」 共産・小池氏
■小池晃・共産党書記局長
川内原発が稼働していることについて、住民からもかなり不安の声が寄せられている。九州横断的に今回の地震が拡大している。
もう1点は新幹線、高速道路が使えなくなっている。川内原発の事故時の避難計画の中には、新幹線や高速道路の使用も含まれているので、そういう問題が生じているのではないか。
電力が逼迫(ひっぱく)しているわけではありませんから、いま、(川内原発を)停止をしても電力需要という点では支障はないはずだから、
これは不測の事態に備えるべきだということで、川内原発について運転の停止を求めるということを申しました(政府への申し入れの後、首相官邸で記者団に)
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記事が記載していないのか、よくわからないけれども、やはり川内原発も地震が多い日本に建てられており、直下型地震が襲わないという証明にはならない。
”本震”とされるM7.3の地震があった場合、断層直下だけでなく、いろんなところの、地上2,3階、いや平屋の建物さえもが崩壊している。
ましてや、炉のために背が高くなっている原発なんて、どんな挙動をするかわからない。
中身がプールになっているのだから、揺れ方によっては水も大きく飛び散るだろうし、その分冷却だって難しくなる。
そして、この記事を見ても、川内原発付近には断層が3つもあるらしい。
いや、いま写真が出てこないけれども、”前震”で、どうやら断層直下と思われる建物は、想定される断層との距離は数キロ離れていた。
そりゃそうである。
”断層”と地質学者がいくら定義したところで、土地のどこが激しく揺れるかなんてわからない。
大阪大学時代、確か宇宙物理学の教授が、
「そもそも地震予知なんて、紙を破るときに、その紙がいつどこで破けるかを予測するようなもので、不可能だ」
と力説していたのを覚えている。
誰かが、地震は断層下で起こり、その断層の真上にある建物だけが被害を蒙ることに、「学問上」してしまったがために、そうなっているのだ。
たとえば、東日本大震災は、非常に広い範囲でプレートがズレた。
これを、”震源”として1ヶ所を特定することは不可能で、それこそ”震源域”としておおざっぱに「このあたりは危ない=日本全体すべて危ない」と捉えるべきであるのに、日本はどうしてか、プレート境界であるか、或いは断層上にあるかどうか、だけが問題視されてしまう。
検索したら、気象庁は比較的公平に地震発生のしくみを記載しているのではないかと思う。
その中でも、この図は衝撃的である。
私は、ドイツ亡命生活時に、ドイツの建物は地震がない前提で作ってあるが、プレート上にあったって地震が起こる可能性があるだろう、と思って来た。
いま改めて見ても、プレート境界上になくても、四川省なんてすごく地震が多いし、プレート上にあったってアフリカでは地溝ができていいる。
・・・てか、アフリカ大陸のプレートはいま2つに別れようとしているのではないか?
それと、プレート境界でも、大して地震が起こっていない場所もあれば、日本近くのように激しく地震が起こっている場所がある。
これはプレートが別れようとしているか、近づこうとしているかの差だと思うが、不幸なことに日本近くでは全てのプレートが近づこうとしている。
そして、東日本大震災で、最大震度7を栗原市が記録したことを考えると、日本に地震から安全な場所なんてひとつもない。
ここまで考えたら、日本共産党がいま突然言い出すのではなくて、これまでも声を大にして原発停止を言っていた者が、福島第一原発事故を持ってしても止められなかった原発に関して、これを機会に止めよう!と言い出す運動ならばあり得ると思う。
原発絶対阻止の活動をしている組織には、”NAZEN”があるが、なかでもNAZEN群馬の新聞が秀逸である。
私は全て賛同すると、いま判断するわけにはいかないが、それだけ情報が新しいし、人々に考えられる提起をしている。
それこそが素晴らしいし、マスコミが本来為すべきことはこういうことなんだと思わされる。
もちろん、NAZENは公平な立場ではないから、報道機関たりえない、という言い分もあるだろう。
けど、それってなにかおかしいか?
”公平な立場”にあるものって本当にあるのか?
私は身をもって感じたけれども、裁判所でさえ、体裁だけ一見公平にみせかけて、現政権に与する判断をしているにもかかわらず?
報道機関の人たち、ジャーナリストの人たちも、”公平な報道、公正な報道”なんてかなぐり捨てて、「自分はこういう主張である」と言い張って、人々から単なる情報として引用されるだけではなく、人々(とりわけ極右や政府)から暴行や逮捕を受けてさえも、ガチで相対して欲しいと考える。
そういう意味では、私も弱小ながらも自分はジャーナリズムのひとつであると思っているし。
ジャーナリズムのひとつとして、大き過ぎるからこそ、ジャーナリズムを自負する阿修羅が(実態は”赤かぶ”を名乗る者の引用ブログでしかない)恣意的に私の書き込みを禁止し、ジャーナリズムを自負する今井一(実態は日本共産党)が、私のtwitterのアカウントを禁止し、私の集会での発言に制限を加えてきたのである。
日本共産党は、日本政府に向かって、「原発止めろ!」というパフォーマンスをしているが、日本政府は止めないだろう。
そして、日本共産党は、『日本政府に向かって、「原発止めろ!」というパフォーマンスをしました!』といって成果報告をして終わり、なのだ。
どうして日本共産党がこうも堕してしまったのか?
私は、日本共産党について、杉浦はる子&日出夫とか辻誠一、山添拓などが入党していること、書記長がそれなりにカリスマ的な不破から、丁稚にしか見えない志位に代わったくらいしか、大して知っていない。
けれども、日本共産党がこうなってしまった理由は、なんとなく想像がつく。
もともと、人間は労働組合を作って戦ってきた。
けれども同時に、人間は新しいものをどんどん作り出す。それとともに、他の面では環境問題やエネルギー問題などを抱えるようになる。
そして、新しい課題が当然のように出てきて、新しい技術を作り出す。
これは、資本主義が台頭しなくとも、仮に共産主義でも、動物の進化の過程でどうしても発生する問題である。
そうすると、自然のすべてが理解できていない、イチ労働者が、ふと、
「自分が労働すること自体、実は間違っているのではないか?」
と思うようになる。
鉄道労働者なんて、(言っちゃ悪いけれども)環境に最も負荷をかけないシステムだから、そんな疑問を持たないかも知れないけれども、ゼネコン労働者なんて当然のように持つだろう。
そして、それをいちばん感じるのが、原発労働者とか、兵隊(自衛官)とか、警察官とかなのである。
そうすると、社会全体をマクロ的に見たときに、「こういう労働、仕事は要らないよね」という結論に達することって往々にしてあるはずなのだが、それを認めて社会を変えようとすると、「こういう労働、仕事は要らないよね」と言われた側の人々を組織化できないがために、「こういう労働、仕事は要らないよね」と言うことを一切放棄してしまっているのである。
だって、「こういう労働、仕事は要らないよね」と、自分の仕事を否定されて、じゃあ違う仕事に就こうという人がどれだけいるか?
やっぱ抵抗してしまうだろう?
いや、労働者の権利として抵抗はしてもいいのであるが、社会のありかたとして、コレはやはりやめねばならない、と、全員で議論して結論づける方向ってあるはずなのである。
「こういう労働、仕事は要らないよね」と言うことを放棄したら、その先には、いま為されていることはすべて必要、ということになり、その先には、日本政府を否定することができなくなり、けっきょく革命自体を否定することになるのである。
ウラを返せば、革命を成すということは、「こういう労働、仕事は要らないよね。」と言い合える社会を作る、ということにもなる。
これはハッキリ言って難しい。
私は、こんなことを書いていて、暗殺される恐怖を常に持っている。
第一次世界大戦に孤軍奮闘、反対して暗殺された人に、カール・リープクネヒトという人がいたそうだ。
私も、日本政府から殺される運命にあるのかも知れない、とは思う。
なるべくそうならないように、ココにこうしていろんな考えを記載しているのであるが、もし私が死んだら、ここの読者は、私は日本政府に殺害されたものとして、私の考えを世界に広めて欲しい。
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