先日、こんな記事を見かけたのでぼくも一応は富士通だったので自分の体験談を話したいと思います。
anond.hatelabo.jp tnaoto.hatenablog.com
- 富士通入社
- 約800人の富士通本社の同期と新人研修
- 配属は希望と違う運用部門
- 配属後は楽しかった
- なぜぼくが富士通をやめたのか?
- わりと円満退社
- ただ1つもめたことがありました
- 富士通に入社してよかった点
- まとめ
富士通入社
富士通は富士通でもぼくは本社ではなく、関連会社でした。一般でいう、子会社のようなものです。給与体系は富士通本社と全く同じということを主張していました。
富士通の入社は学校推薦だったのでわりとスムーズだった気がします。3度ほど面接を重ねて合格することができました。ただ、2回目の面接で圧迫面接がありこれは落ちた、と不安な一晩を過ごしました。
約800人の富士通本社の同期と新人研修
入社してすぐに千葉の幕張システムラボラトリというところで新人研修がありました。富士通本社の同期800人と大規模な新人研修が約5カ月続きました。少なくとも田舎者のぼくには大規模でした。
富士通って同期同士の結婚とかが多くて、新人研修でカップル成立も多いと聞いたので楽しみでしたが、何もありませんでした。(笑)
本社の同期はギラギラしていてとても刺激的な毎日でした。
配属は希望と違う運用部門
配属面談でぼくは開発を希望しました。が、見事落選し、運用部門へ回されました。いきなり挫折を味わいました。。。
絶対ぼくが一番プログラミングできるのに、と変な自信をもっていました。
運用といえば夜に何か問題が起きたら対応しないといけないし、楽しさなんてこれっぽっちもないだろうくらいで思っていたので、最悪でした。
配属後は楽しかった
配属後は仕事どうこうはともかく、グループの人たちが楽しい人ばかりで本当に楽しかったです。嫌だなと思うこともありましたが、残業もほとんどなかったし幸せな毎日でした。
なぜぼくが富士通をやめたのか?
まずは3年を待たずして退職しました。
退職にはいくつか理由があります。
- 富士通本社の同期に感じたギラギラ感がなかった
- 海外留学に興味を持ち始めた
- 休日に対応させられるのがすごく嫌だった
- 出世をすればするほど忙しそうだった
グループの人たちは楽しくて好きでしたが、仕事が楽しいと思ったことは一度もありませんでした。仕事以外のときに仕事の勉強したときなんて一度もありませんでした。そして、休日の障害対応がものすごく嫌でした。
休日なのに携帯を持っていると、それが気になって楽しめないんです。
そしてきっかけは海外留学に興味を持った時から退職を意識し始めて、結局接骨院の先生を目指すこととなりました。
わりと円満退社
そうこうしてやめることを上司に告げてからはとても円満な退社でした。
ただ1つもめたことがありました
ぼくの教育担当はどうせやめるなら有給消化しちゃいなよ、と言われました。当然の権利と思い、上司に相談しました。
「2カ月働いて残り1カ月有給消化してやめさせてほしい。」と告げました。
すると、人事部に連れてかれたのです。
人事の方が「なめてるのか、お前は?」的な態度をとってきたのです。その方とても優しい方だと思ってたのですが、大間違いでした。いっぺんに嫌いになりました。
「グループの人もいいって言ってるし何が悪いんですか?」と問うと、
「人としてどうなんだ?申し訳ないと思わないのか?」と言われました。
将来、富山で開業を考えていたのでここで印象を悪くするのもよくないなと、その当時逃げ姿勢のぼくは自分の意見を取り下げて謝りました。
今思うと、苦い思い出だな~
富士通に入社してよかった点
最後に良かったことも述べておきます。
やはり給料はよかった。
同級生に比べても頭1つ抜き出てました。しかもやめる数カ月前に昇給があったときは自分の想像以上にあがり、やめていいのか?と一瞬だけ思いました。(笑)
ちなみに富士通をやめて後悔したことは一度もありません。
残業は1分単位で出る
サービス残業は一切なかったです。しいて言えば休憩時間に少し働いたかなくらい。サービス残業は一切なく、平均の残業時間も10時間前後でした。
ただ、先輩社員で残業100時間をかなりオーバーしていてタイムカードを押してから働いている人は数名いました。
あと、課長が悲惨であえて課長にならない人も多かったです。課長になると残業代がつかないのですがおそろしく残業がある人が多かったです。
まとめ
わりとふつ~な感じでしたが、わたしの富士通での体験記でした。就職を考えている方、転職や退職を考えている方の参考になればと思います。
おわり。