「ゴーッ」足元で地下鉄が走るような音…本紙記者リポート
熊本県を襲った16日午前1時25分ごろの震度6強の地震。マグニチュード(M)7・3は阪神大震災と同じ規模だった。取材のため熊本市に入っていたスポーツ報知の高柳哲人記者が、余震が相次いだ熊本の夜をリポートする。
午前1時過ぎ、市内の繁華街のラーメン店で遅い夕食を取っていると、「ゴーッ」と足元で地下鉄が走るような音がした。「余震かな」と思った瞬間、激しい揺れが襲った。頭に浮かんだのは「余震ってこんなに強いのか?」。後で気象庁が「今回が本震とみられる」と発表したのを聞き、納得がいった。
ラーメン店では、隣の男性の丼が滑るようにテーブルから飛び出した。直後に店内の電気がすべて消え、店員の「すぐに外へ出てください!」という声が。近くのキャバクラ店で働いていると思われる若い女性たちは肩を寄せ合って震え、辺りからは非常ベルや避難を呼び掛ける緊急放送の声がむなしく響き続けた。その間も、20分後の震度6弱をはじめ余震は容赦なく続く。近くのホテルから逃げてきた男性は、泣きわめく息子に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせていた。
ホテルに戻り、従業員に懇願して部屋に行ってパソコンなどをカバンに詰め込むと、避難場所に指定されたバスターミナルへ。徒歩5分あまりの距離だが、周囲には「上を確認しながら歩いて」と子供に諭す母親や「シャレにならん」と繰り返す老人男性の声があった。
避難場所には、数百人が集まっていた。電車通りには車が止められ、観光客だけでなく安全な場所を求めて自宅から来た家族の姿も。ホテルから持参した毛布で体をくるんだ女性は「寒さ対策に、これだけは持ち出そうと思って…」。集団の避難客が多い中、一人でいる記者が珍しかったのか、中年男性からは「困った時はお互いさま」とペットボトルのお茶を手渡された。
余震の回数が減ったので午前5時過ぎにホテルへ。ただ、すぐに部屋には戻れず、停電で真っ暗なロビーのソファに座った。電気がついたのは約3時間後の午前8時だった。ほぼ一睡もできなかった。被災した地元住民の方々の苦労はどれほどだろう。襲って来る余震に自然への無力さに打ちのめされた。
◆阪神大震災(兵庫県南部地震)1995年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源に発生したマグニチュード7.3の地震。神戸市内などで最大震度7の揺れを記録し、家屋倒壊や火事などで死者6434人、全壊10万4906棟の被害を出し、避難者は最大約31万人に上った。2011年の東日本大震災発生前は戦後最大の自然災害だった。