2016年4月17日05時00分
■苦と快、セックスの「不合理」
舞台は、架空の現代日本。そこでは、人工授精が通常の生殖方法となり、セックスをして子を産むことは昔の野蛮な習俗だとされている。夫婦間のセックスは「近親相姦(そうかん)」として禁じられ、夫婦外に恋人をもつことが普通だ。だがその恋人ともセックスをする者は稀(まれ)である。主人公の女性はセックスで産まれ、それを母に語り聞かされたことを重荷にしている。そんな設定での日常の心の動きが、静かな筆致で描かれていく。終盤の大胆な展開は伏せておこう。
性愛・生殖を扱うSFとしての出来は措(お)き、評者は、この「異様」な世界のごく自然な描写が、現代日本の不安を表しているのではないかと興味深く思う。それは、「苦」と「快」との不合理な結びつきをめぐる不安である。
本書はセックスなしで済む世界を描くことで、我々が今セックスに何を求めているのかを逆に考えさせる。
セクシュアリティの理論家レオ・ベルサーニには、「セックスには大きな秘密がある、ほとんどの人はそれが嫌いだということだ」と始まる論文がある。なぜか。セックスとは「自己破壊」を快楽に転化することだからだ。強烈な刺激のただなかで茫然自失(ぼうぜんじしつ)となることを進んで求める。マゾヒズムこそが性の、いや人間の根本原理であるという。
しかし、心身の問題に深く悩まされている人々は、マゾヒズムの「余裕」など断固として認めないかもしれない。否定性は否定性だ、それが肯定性になるとは不合理だ、と。社会の不合理を減らす努力は必要だが、それはまた、苦から快への不合理な転化という「昔ながら」の語り方の肩身を狭くする。苦と快を結びつけることは、たんに反社会的なことになりつつあるとすら感じられる。
自己破壊としてのセックスを擁護しようにも、控えめに言うしかないのかもしれない。本書を閉じて評者は、苦と快の結びつきに関わる諸可能性を今どう受け止め直すか、熟考せねばならないと思った。
千葉雅也(哲学者)
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河出書房新社・1728円=4刷2万部 「リアリティーがある」という読者も多いという。「性交なき生殖の世界がすでに今の現実だと感じている人は多いのでは」と担当編集者。
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