熊本地震 オール九州で救援活動を

 私たちが暮らす地域の下に活断層が通っていれば、いつ大地震に襲われても実は不思議ではない。そんな「常識」を改めて思い知らされる衝撃的な揺れだった。

 最大震度7という九州では観測史上最大の地震が14日、熊本県益城町と隣の熊本市を中心に起きた。繰り返し警戒が呼び掛けられる南海トラフ巨大地震への備えは大分、宮崎両県など九州東岸を中心に進んでいるが、今回は西岸が襲われた。

 大きな余震が1週間ほど続く可能性があるという。決して警戒を緩めることなく、救命・救助活動に努め、電気、水道、ガス、通信などライフラインの復旧を急ぎたい。被災者と被災地は何を求めているか。想像力を最大限に働かせて政府、自治体、警察、自衛隊など関係機関で連携するとともに、「オール九州」で息の長い支援をしていく必要がある。

 ▼震度7の衝撃と惨状

 目を疑った人も多かっただろう。名城・熊本城の屋根瓦が落ち、石垣が崩落した。木造の民家が押しつぶされ、高層マンションには亀裂が入った。九州自動車道の路面が陥没し、九州新幹線の回送車は脱線した。死者9人、負傷者は千人以上、熊本県で一時、最大4万4千人が避難した。

 九州では2000年に熊本地方を震源とする地震(最大震度5弱)のほか、05年の福岡沖地震(同6弱)、15年の大分県南部地震(同5強)などが起きた。今回の地震はそれらを上回った。

 震源の深さは11キロと浅い分、地上の被害は大きくなった。熊本県の北東‐南西方向に延びる「布田川(ふたがわ)・日奈久(ひなぐ)断層帯」が横ずれして起きたとみられる。全国には187断層がある。その一つが引き起こした。九州のほぼ全域で震度3~4クラス以上を観測した。まさに「九州島」が揺れた。

 発生が夜だったこともあり、着の身着のままで避難した人は少なくない。益城町役場前に避難した人たちは毛布にくるまり、余震のたびに悲鳴を上げた。その不安と恐怖は想像に余りある。

 空き地にブルーシートを敷き、朝を待った人たちもいる。震度7の衝撃を初めて経験し、「生きた心地がしなかった」「どうしたらいいのか分からない」と涙を流す人もいた。

 過去の大災害の教訓を踏まえ、熊本県や政府の動きは比較的早かったといえよう。

 午後9時26分の地震発生と同時に熊本県は災害対策本部を立ち上げ、首相官邸の危機管理センターには5分後の31分に官邸対策室が設置された。

 災害復旧に大きな力を発揮している陸上自衛隊も直ちに情報収集のため初動対応部隊を派遣したほか、現地では大鍋で炊飯して避難者に食料を配った。

 福岡、長崎、鹿児島など各県警もその日のうちに現地の応援に向かった。心強い「援軍」である。

 ▼想定外は起こり得る

 厚生労働省が即座に災害派遣医療チーム(DMAT)の派遣要請をしたのも、適切な処置だった。 DMATは05年、地域の救急医療だけでは対応できない大規模災害や事故などの現場に急行し、災害医療に携わることを目的に発足した。

 専門的な訓練を受けた医師や看護師らが救護に当たる。彼らがいち早く現地に駆けつけることは負傷した被災者にとって大きな安心材料になるだろう。

 ひとたび災害が起きればまずは大きく構えて、臨機応変に動いていく姿勢が大事だ。

 自治体や政府など行政の対応が問われるのはこれからである。

 脱線した九州新幹線、亀裂が入った九州自動車道をはじめ、交通基盤の復旧は救援活動を支えるためにも急ぐ必要がある。

 避難生活を強いられる住民の心のケア、家を失った人や工場の操業停止で不安を抱く人に対する経済的支援など、きめ細かな対応が求められる。

 いつ起きるかもしれない自然災害の恐ろしさと、不断の準備や心構えの大切さ。「2016年熊本地震」で教えられることは多い。やはり「想定外」は起こり得る‐と改めて学ぶ思いでもある。

 私たちの九州を激しく揺らした震災の復旧と復興には、九州全体の強固な連帯と粘り強い努力で取り組んでいきたい。


=2016/04/16付 西日本新聞朝刊=

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