上下左右に揺れて崩れる家屋。歩行者らが身をすくめる市街地。激震が襲った現場の恐怖は想像するに余りある。

 東日本大震災を思い起こした人や、稼働中の九州電力川内(せんだい)原発を心配した人も多かったのではないか。

 熊本県熊本地方を震源とする地震が九州を襲った。同県益城町(ましきまち)では最大の揺れを表す「震度7」を観測した。

 熊本城では天守閣の瓦が落ち、石垣が崩れ、国の重要文化財「長塀」が約100メートルにわたって倒れた。

 大震災から5年がたち、東北など被災地を除いて、地震への警戒が少しずつゆるみ始めたように思える昨今だ。

 そこに、当時以来の震度7が今度は九州で観測された。

 日本列島に暮らす以上、どこにいても地震と無縁ではいられない。遠方の災難であっても、「明日は我が身」と考えることが何より重要だ。

 被災地に救援と復旧の手を差し伸べるとともに、大地の警告に耳を傾け、地震への備えを周到に進めよう。

 ■まず救援に全力を

 今回の熊本地震では、昨夕までの集計で9人が亡くなった。そのほとんどは、倒壊した建物の下敷きになったとみられる。

 自衛隊や緊急消防援助隊などが現地入りし、救援活動をしている。二次災害に気をつけながら、まずは被災者の捜索と救助に全力を挙げたい。

 大きな余震が何度も起きているのが今回の特徴だ。

 気象庁は、今後1週間は最大で震度6弱程度の余震の恐れがあるとしている。弱い木造建築なら倒れることもある。土砂崩れが起きる危険もある。住民は当面、単独行動は避け、傷ついた建物や急傾斜地には不用意に近づかないようにしたい。

 一時は4万人以上が避難し、なお多くの人びとが公民館や学校などに身を寄せている。屋外に段ボールなどを敷いて座り込む姿もあった。

 朝晩はまだ冷え込む。雨も心配だ。被災者の体調管理にも十分注意を払ってほしい。

 ■活断層が起こす激震

 気象庁が最大震度を「7」とした1949年以降、震度7を記録したのは今回が4回目だ。

 1995年1月の阪神・淡路大震災(マグニチュード〈M〉7・3)、2004年10月の新潟県中越地震(M6・8)、11年3月の東日本大震災(M9・0)、そして今回の熊本地震(M6・5)だ。

 地震の規模(エネルギー)はMが0・2大きいと約2倍、2大きいと1千倍になる。

 四つのうち、東日本大震災だけが巨大なプレート(岩板)の動きによる海溝型地震で、阪神大震災の約360倍ものエネルギーを一気に放出した。

 残りの三つは、地殻内の断層が起こす活断層型地震だ。海溝型に比べるとエネルギーが小さく、激しく揺れる範囲は限られるが、震源が浅いため、真上付近では大きな被害を出す。

 今回の震源は、国の地震調査委員会がいずれも「主要活断層帯」と位置づける布田川(ふたがわ)断層帯と日奈久(ひなぐ)断層帯にほど近い。

 委員会は両断層帯について、一部が動けばM6・8~7・5程度、全体が一度に動けば7・5~8・2程度の地震を起こす恐れがあるとの予想を公表していた。30年以内に起きる確率も活断層型としては比較的高いとしていた。

 熊本地震は予想より規模が小さかったが、阪神大震災の約16分の1のエネルギーでも震度7を引き起こし、人命が失われることがあることを示した。

 日本列島は至る所に活断層がひしめいている。専門家の間では「東日本大震災を機に日本は地震の活動期に入った」「未知の活断層もある」といった見方もある。活断層帯の近くはもちろん、そうでない地域でも細心の備えをすることが肝要だ。

 ■平時からの備えこそ

 九州は大地震の恐れが低くないのに、警戒がやや薄いと見られてきた。

 益城町の教育委員会は、東日本大震災の半年後に地震学者を講演に招き、最悪M8の直下型地震がありえることや、家屋の耐震化が安全上、最も有効と町民らに訴えていた。だが耐震化は約7割にとどまり、県全体に比べて進んではいなかった。

 東京都は昨年、災害への対処法をまとめた防災ブックを約670万の全世帯に配った。

 身のまわりの事前点検から、「古い建物ではあわてて1階に下りない」などの注意点や、生活再建に役立つポイントなどを例示。過去に重宝した食品包装用ラップを備蓄品リストに加えたり、レジ袋でおむつを作る方法もイラストで示したりと、具体的な内容で評判になった。

 同じ震度7でも被災地域が広いと、救助・救援活動は一気に難しくなる。大きな地震であるほど、平時からの個々の住民と各世帯の備えが対応を左右することも胸に刻んでおきたい。