中国に残った残留孤児の男性 自伝を出版
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70年余り前の終戦時の混乱で中国大陸で孤児になり、その後、大陸に残って中国の家族と暮らす道を選んだ日本人の男性が、波乱の人生を振り返った自伝を中国で出版しました。
出版されたのは「私の中国での75年」と題した自伝で、渡部宏一さん、中国名、王林起さん(80)が中国語で波乱の人生をつづりました。
渡部さんは山形県で生まれ、5歳の時に家族とともに当時の満州、今の黒竜江省林口郊外の開拓村に移り住みましたが、終戦の前後、父は軍に徴用されて行方不明に、母はソ連兵に殺され、兄弟とも離れ離れになりました。
しかし、中国人の養父母に救われ、学校に通わせてもらい、北京にある国有の電機メーカーに技術者として就職して生きてきました。1972年、日中の国交が正常化して以降、残留孤児の多くが日本に永住帰国しましたが、渡部さんは中国の家族と暮らす道を選びました。出版された自伝の表紙には養母とともに収まった写真が使われています。
10日午後、北京で出版を記念する式典が行われ、同級生や会社の元同僚、そして中国での家族など100人余りが集まり、出版を祝福しました。
渡部さんは「私の日本人の家族は全員亡くなりましたが、幸い中国の人たちに助けてもらって今まで暮らすことができ、本当に感謝しています。中国と日本の友好こそが大事であり、そのためにこの本が役立つとうれしいです」と話していました。
渡部さんは山形県で生まれ、5歳の時に家族とともに当時の満州、今の黒竜江省林口郊外の開拓村に移り住みましたが、終戦の前後、父は軍に徴用されて行方不明に、母はソ連兵に殺され、兄弟とも離れ離れになりました。
しかし、中国人の養父母に救われ、学校に通わせてもらい、北京にある国有の電機メーカーに技術者として就職して生きてきました。1972年、日中の国交が正常化して以降、残留孤児の多くが日本に永住帰国しましたが、渡部さんは中国の家族と暮らす道を選びました。出版された自伝の表紙には養母とともに収まった写真が使われています。
10日午後、北京で出版を記念する式典が行われ、同級生や会社の元同僚、そして中国での家族など100人余りが集まり、出版を祝福しました。
渡部さんは「私の日本人の家族は全員亡くなりましたが、幸い中国の人たちに助けてもらって今まで暮らすことができ、本当に感謝しています。中国と日本の友好こそが大事であり、そのためにこの本が役立つとうれしいです」と話していました。