About Buddhism
仏教について
核家族化や、お寺との関わりが薄くなっている現代、葬儀を執り行うのは初めての経験というご遺族様は多いのではないでしょうか。
そんな中、ご遺族様、葬儀社、寺、双方のコミュニケーションがとれていないことでトラブルになるケースが増えています。
実際に起こったトラブルを例に、ご遺族様、葬儀社、寺の言い分を「例」としてまとめてみました。
トラブルになる前に、不安なこと、わからないことは事前に相談してみてはいかがでしょうか?
会社経営をしていた父の葬儀で、戒名(布施)を500万円請求されました。呼んでもいないのに、お坊さんは4人も来ました。高過ぎませんか? 亡くなってまもなくのことでありドタバタしていたので、納得がいかないものの言われた通りに払いました。けれども最近、戒名はもっと安くてもつけてもらえることを知り、後悔しています。
会社経営をされていたということで、葬儀が社葬の性格を持ったものとしておこなわれたのかもしれません。会社も隆盛だったのではないでしょうか? 寺の側も、隆盛を誇っている会社経営者の葬儀であるのなら「会社の状況に恥ずかしくない対応をしなくてはいけない」と判断した可能性があります。いずれにしても、日頃からの寺と檀家との関係が希薄になっていたために、お互いの認識にズレが生じてしまったと思われます。
寺、あるいは葬儀社とのコミュニケーションがとれていなかったケースだと思います。会社をあげた葬儀であれば、戒名料などは1000万円を超えるようなケースも希にはあるのが実態です。500万円だから高いと即座に決めつけられるものでもないです。
父の知人にお坊さんがおり、「なくなったら彼に葬儀をしてほしい」というのが父の希望でした。その通りしたのですが、実家の寺とは宗派が異なるようで、納骨の際に、寺の住職から「この戒名では、寺の墓に入れられない」と言われました。同じ仏教なのに、こんなことってあるんですか?親しく付き合っていた僧侶に供養してもらったほうが父も浮かばれるように思います。
昔から比較的よくある事例です。同じ宗派の僧侶であったらまだしも、異なる宗派の場合はこじれるケースが多いのが実情です。戒名は宗派によってスタイルが異なります。それは戒名がそれぞれの祖師や一門の教えを反映したものであるからです(例外もあり)。とはいっても、事前に実家の寺に伝えておけば、ここまでこじれることはなく解決策が見い出せた可能性が高いと思います。
知人の僧侶が、故人に代々つきあっている寺があることを知っていれば、トラブル防止のために連絡を入れてもおかしくなかったケースです。ただ、宗派が異なるとなかなか連絡をとりにくいという実態もあります。
寺と檀家、父の友人の僧侶の3者間でのコミュニケーション不足がトラブルの一因になっていることは間違いなく、寺側も反省しなくてはいけない点があるように思います。
父は生前に戒名をもらっていました。しかし、葬式の時にそれを伝えると、「この戒名ではだめで、改めてつけないといけません」と言われ、50万円布施を払わされました。仏弟子の証としていただくのが戒名だとすれば、おかしくありませんか? 納得がいきません。
正式な戒名ではなかったとか、違う宗派の戒名だったといったケースが考えられます。生前戒名をもらっていたことを寺が知らなかったために、話がこじれた可能性もあります。
ただ、生前に戒名をもらうことは悪いことではありません。実際の葬儀のときは、儀式の大きさに合わせた布施を払っていただくといいと思います。最近は「子供に負担をかけたくない」といって、生前に戒名をもらい、葬儀の際の布施(戒名料)を事前に寺に払ってしまう人も増えています。寺と確認の文書を交わすなど、実際の葬儀のときにトラブルとならないよう予防措置をとっておくことも大事です。
母の葬式の時に、戒名料(布施)を住職に相談したところ「お気持ちで」と言われました。普段から寺との付き合いもないし、今後も深い付き合いはしないつもりだったので5万円を払いました。
けれども住職は「もっと包むものだ。常識というものがないのか」とご立腹の様子でした。私が1日働いても稼ぎは1万円もありません。お坊さんの1日の労働収入として5万円は破格だと思うのです。
この僧侶はもっと説明をしていなかったですか? 戒名料や布施は僧侶の日当ではありません。もし、生活が苦しいのであれば戒名料や布施を受け取らずに葬儀をすることもあると思います。
一方で、寺の維持にはある程度のお金が必要で、それは檀家の皆さんからの戒名料や布施などで成り立っています。寺と付き合いがある檀家は、盆や彼岸の読経などさまざまな場面での布施によって寺の維持を支えてくれています。寺にしてみると、普段付き合いのない人は、葬儀の際に普段の維持費も含めた布施をしてもらわないと、檀家の間で不公平が生じてしまうという考えになるのです。
「お気持ちで」と言われて困ってしまう遺族は多くいます。担当の葬儀社に相談してもらえば、その地域の平均的な戒名料などを伝えることができることがあります。
本当は葬儀社が間に入るなんておかしいのですが、僧侶には教義上や寺院経営上からはじき出された額というものがあるし、遺族は戒名や布施を消費行為としてみがちです。そのギャップが、お互いを不愉快にしてしまうことはよくあります。豪邸に住み、いい車に乗っていながら、戒名料をちょっとしか出さなくてトラブルになった例もあります。
祖母の葬儀のときに故人の遺志通り、「戒名はいらないので、葬式だけやってほしい」と伝えたところ、住職に「そんなことはあり得ない」と激怒されました。戒名がなくても困ることはないと思います。
「出家して仏門に入って修行する」という意味があるのが戒名であり、そのための儀式が葬儀です。教義上は戒名がなければ単なる「お別れ会」になってしまいます。あとで戒名をつけることが分かっているといった特別な事情がない限り、戒名なしの葬儀に抵抗感を持つ僧侶は多いと思います。
遺族側から同様の希望を伝えられることがときどきあります。その時は、戒名の意味を丁寧に説明するとみなさん納得してくれます。生前の名前と変わってしまう点に抵抗感を持つ人も多いようで、希望があれば戒名のなかに生前の名前の文字を入れることもよくあります。
父の戒名のことですが、つけてもらったものが気に入らないのです。「温」という文字が入っているのですが、父にふさわしいのは「厳」や「篤」といった文字なのですが・・・。生前ほとんど付き合いのないお坊さんが、私たちからしっかりと話を聞きもせずに戒名をつけるからこういうことになるのです。白木の位牌に、勝手に考えた戒名を書いて突然持ってこられても困りますし、拒否できる時間もありませんでした。高いお金を払っているので遺族の希望を伝えて作り直してもらうことを考えています。その際にクーリング・オフは効くのですか?
寺の側にも反省すべきところがたくさんありそうです。お寺とよく話し合ってみることが大切だと思います。
戒名は、故人の人なりや生きざま、功績などが浮かび上がってくるものであって欲しいと思います。その戒名を見て、故人と付き合いのなかった人でも、故人の生涯をしのぶことができるといいです。
戒名料や布施は宗教行為であって、消費行為とは区別されているためクーリング・オフの適用にはなりません。クーリング・オフは、特定商取引法など消費行為について定めた法律を根拠にしています。
ただ、多くの人に戒名が「商品」として認識されている実態があるので、近い将来に消費問題として社会問題化しないかという危惧を個人的には持っています。
自分で戒名をつけようと思います。ゴルフが好きなので「芝球王者居士」。寺の住職からは、「何をふざけたことを言っているのか。だめだ」という話でした。柔軟性がないように思います。あの世で私がゴルフ三昧の生活を送るのを邪魔しないでください。真面目に考えていたものを頭ごなしに否定されたので、こちらも気分が悪いです。
最期まで自分らしさを大切にしようとする終活ブームの存在もあってか、自分で戒名をつけたいと希望する人は増えているようです。しかし、俗名もそうですが、自分で自分の名前を付けることはできません。戒名は、死後に仏の弟子として歩んでいくときの名前で、「受戒」という儀式をすることによって与えられます。この儀式ができるのが僧侶なのです。また、戒名には使っていい文字と使ってはいけない文字があります。柔軟性がないといわれようが、僧侶として譲ってはいけない一線なのですから仕方ありません。
一方で、自分や故人らしい戒名にするために、僧侶に希望を伝えることは可能です。寺との関係を密にしてもらうことが一番大切なことのように思います。
編集協力:終活読本「ソナエ」
COPYRIGHT 1997-2016
JAPAN BUDDHIST FEDERATION ALL RIGHT RESERVED.