特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
中学校の教室。黒板を向く僕たちの後ろには、学級文庫という名の本棚がひっそりと立っていた。誰が選んだのかは知らないが、教室ごとに異なるラインナップが並んでいる。その中の一冊が今回話す「青春の一冊」である堺屋太一著の豊臣秀長であった。
青春の一冊と言うには爽やかさに欠けるものではあるが、その作品は間違いなく僕の青春の中に刻まれたものであった。現在この作品は手元になく、内容の確認ができないため、記憶を頼りに感想を書いていきたいと思う。いま読み返しても面白いことは間違いなく、また新たな発見も出てくるだろうが、青春当時の感想を書いていくにはいいと思ったためこの手法で記していこうと思う。
豊臣秀長とは?
豊臣という名を聞いて、日本人なら誰もが思い浮かべる人物が居るだろう。そう、世紀の大出世人であり日本をその手中に収めた天下人、豊臣秀吉。その弟に当たるのがこの豊臣秀長という人物だ。
兄に引っぱられる形で最終的に彼は天下人の傍に立つことができたわけだが、そもそも彼の活躍なくては秀吉は天下人に成りえなかっただろう。
武士ではなく農民からスタートした秀吉には譜代の家臣などという高尚なものはありはしない。故に彼は血縁を頼って味方を作ろうとした。その時誘われたことで秀長は天下の補佐官としての道を歩み始めたのだ。
秀長にとって、兄からの誘いはまさに寝耳に水だったことだろう。連絡が取れないあの時代、長く行方不明でありながら生きてたことも驚愕だったはずなのに、まさか兄は大名である織田信長におもねることで見事武士となっていたのだ。
しかし大変なのがここからなのだ。いくら武士となっていてもまだまだ下っ端。しかも兄は信長におもねるため無理難題だろうが簡単に引き受けてしまう。行動力逞しき兄に付いていく苦労人なのがこの秀長。秀吉という大出世ロードを死ぬことなく付いていけた段階でかなりの大物なのだろうが、彼の凄いところを掻い摘んで紹介していく。
戦は基本無敗
彼が生きてきた時代は血で血を洗う戦国時代。その中でも特に戦が多かったであろう織田軍勢に所属していた秀長は、当然戦に出陣している。むしろ下っ端なのでよく戦に駆り出され、数多の戦場を経験していくこととなる。
彼は兄が天下人となった後、床の上で人生に終止符を打った。それはつまり、戦場や戦のせいで死ぬことが多かったあの時代で、彼は見事生き残り平和な世を見届けたということになる。
彼が生き残った理由は唯一つ。戦に負けなかったからだ。
もしかしたら小規模戦闘などでは負けているのかもしれないが、著書では確か無敗だったと記載されていた。
これには3つの可能性が考えられる。
- 戦がべらぼうに強かった。
- 負け戦はしない主義だった。
- 運が太かった。
1なら文句なしで凄い人。戦で勝つってのがある種ステータスみたいなものだとしたら、彼は文句付けようがないぐらい凄い人。
2も同様。負け戦をしなかったということは、戦場が有利か不利かかぎ分ける能力に長けていたということ。一度も戦をしなかったというのなら問題アリだが、彼はちゃっかりと結果を持ち帰っている。この場合もある種の戦の天才と言えるだろう。
3の場合も当然凄い。説明などできない部分で勝つ。そもそも農民から天下人の片腕になるなど、相当な運が無ければだめだろう。
言っておくが、決して常勝の将などではない。ただ負けないだけである。勝つこともあれば引き分けることもある。ただ負けることだけはなかった男なのだ。
しかし『勝敗は戦の常』、『勝負は時の運』などという言葉があるぐらい、何が起こるか分からないのが戦場である。その中で敗北という最悪を引いてこないということは、かなり貴重な能力であったように思える。
戦で類まれな安定感を発揮した男、それが秀長であったのだ。
あぁ中間管理職
彼は秀吉という男の補佐官である。後の天下人の補佐官と言えば聞こえはいいが、要するに中間管理職に当たる。秀吉も織田軍勢の中ではある意味中間管理職と言えたが、彼はとにかく手柄を立てることにご執心だった。
当時の織田軍は兵士と農民を完全に分離した兵農分離を進めていた。それによって田畑による制限がなくなり、年がら年中戦える軍隊へと変貌した。言うならば農民のアルバイトではなく、兵士として雇用したのだ。
つまりこの瞬間、足軽といった兵士たちは織田家という会社の勤め人になったのだ。従業員である。
命を落としかねない兵士になるとは如何なものかと思うが、給金や飯に惹かれて命懸けの職業に就いたのである。
しかし今川を倒し名を挙げたとはいえ、織田家は美濃も手に入れられず未だ裕福とは言い難い状況。
金に困る織田家(社長一家)と足軽たち(従業員)。そうなるとどうなるか?
当然、中間管理職にしわ寄せが来る。
死が身近に現代の法律なぞロクに存在しない世界。大名たちに言えない問題は全て秀長に向かった。無茶振りである。
だがそんな無茶であっても彼はその優しい人柄から対処していったのだ。忍耐の人である。
その後兄が出世していくにつれて彼の身分も必然的に上がっていくが、彼の立ち位置は変わらない。
時に上司の指示を受けて大軍勢を率いて戦をしたり、部下の面倒を見たり、まさに補佐官として八面六臂な活躍を見せたのである。
彼のこの姿勢は兄が天下人になった後でも続いてくことになる。
兄が根っからの楽天お祭り気質であるとしたら、弟の秀長は根っからの苦労人気質なのであった。
そんな彼の努力や人柄を認めている人も大勢いたのですがね。
兄が出世していくにつれて出世していった秀長。彼はその過酷な労働環境の中で、内政についても学んでいく。
農民上がりの彼がまったくのお門違いの能力を身に着けるというのは、とてつもない労力が必要なことだったでしょう。
変わりゆく状況に対応するため、必要な能力を身に着けていく資質というものも、現代社会に生きる企業戦士たちが見習うべきところなのかもしれません。
でも時には非情になる
彼は戦でも負けに繋がるようなことはしないし、無駄死にになるようなことはさせない。人柄も立派であるため、慕う者が多いことは前項で述べた。
しかし彼もやはり天下に最も近付いた男の一人。優しいだけではダメなのは当然である。
僕が作品で一番記憶に残っているのは場面が、これを如実に表している。
その場面とは、織田信長が本能寺で打ち取られたときのこと。中国攻めをしていた豊臣軍にはまさに青天の霹靂の報告だったことだろう。この驚愕の報告を聞いて冷静だった男が二人居た。
一人は豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛。信長の訃報を聞き、彼は秀吉様に『貴方様の時代が来ました』と告げた。精神を乱すことなく事実のみを抽出し、最善の策を提供するという、まさに軍師の鑑といえる発言であろう。
もう一人は勿論この方、豊臣秀長である。彼はこの官兵衛の発言を聞き、『このような状況で主君に出世を進める様な男は信頼が置けぬ』と判断した。これをきっかけに黒田官兵衛は冷遇されていくこととなったのである。
基本的には優しい男なれど、組織のトップ集団に属する男は、不利益になる可能性に対しては冷酷に成る必要があるということだ。
間違っても、自分のことを棚に上げた判断などとは言うなよ。
優しさと冷酷さを絶妙なバランスで持ち合わせることが、補佐官には重要なのかもしれない。
過労死にはお気を付けを
遂に天下人となり、晴れて平和な時代が訪れた。しかし偉くなるということは中間管理職にとっては仕事が増えるのと同義。若いころから頑張ってきたせいか、彼は兄より先に他界した。まず間違いなく過労死であろう。バカみたいに攻め続けた秀吉と、その兄に引きずられながら数多の仕事を熟し続けた男。ストレスがマッハであったことは間違いない。
いくら有能であり、仕事をこなせると言っても、用法容量は守らなくてはいけない。
豊臣秀長という男の総論
農民という極めて低い立ち位置から、天下を動かす大人物にへと変貌した化け物。前に出ることはなく、あくまで一歩引いた姿勢で兄を立てる出来た弟。補佐官としては極上であることは間違いない。人を動かす立ち位置の人間に必要な優しさと冷酷さを持て余した無敗の男。
後世の人には知られず、大変な時間が経ってやっと日の目を浴びた天下人の片腕。内政・軍事・人心掌握など、有能であることは疑いようのない働きをする、生涯無敗の補佐官。
中二病をこじらせた僕にとって、彼はまさに憧れの大人物だったのだ。
やっぱりいいよな。こう、主役じゃなく補佐官とか、歴史の陰に埋もれた所とか。マジサイコ―。
渋い系中二病再発間違いなしの作品ですので、ぜひとも読んでほしい。
中二病患者たちよ!憧れるならこの男で決まりだ!
今の、そしてかつての中二病患者たちよ。これを読むのだ!
価格:1,188円 |