19世紀の同時期に改革を始めた日中、30年後に大きな差が生まれた理由=中国

サーチナ / 2016年4月10日 10時33分
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中国と日本は19世紀のほぼ同時期に改革運動を開始した。日中ともに改革運動は西欧諸国との力の差を痛感したことがきっかけだ。中国では洋務運動が、日本では明治維新がそれに該当する。ほぼ同時期から始まった改革運動であるにもかかわらず、30年後には日本と当時の清の国力には大きな差が生まれた。(イメージ写真提供:(C)coward_lion/123RF.COM)
 中国と日本は19世紀のほぼ同時期に改革運動を開始した。日中ともに改革運動は西欧諸国との力の差を痛感したことがきっかけだ。中国では洋務運動が、日本では明治維新がそれに該当する。ほぼ同時期から始まった改革運動であるにもかかわらず、30年後には日本と当時の清の国力には大きな差が生まれた。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、当時の両国の改革の成否を分けたのは国家のトップ、つまり清皇帝と天皇陛下の統治者としての器の違いによるものと論じた。

 記事は、清の時代における洋務運動は日本の明治維新よりも早く始まったと指摘する一方、約30年後の日清戦争において両国の改革運動の成否が明らかになったと説明。清は日清戦争で敗れ、経済や民族の自尊心に大きなダメージを受けたと主張する一方、日本は賠償金を得てさらなる発展の力にすることができた。

 続けて、当時の両国の改革運動の明暗を分けた大きな原因の1つとして光緒帝と明治天皇の器の違いを指摘。光緒帝は自ら兵を指揮したが絶えず変化する前線の状況にふさわしい指揮がとれず、兵を苦しめたと主張する一方、明治天皇は自らが管理すべきものとすべきでないものを明確にし、軍の采配は軍人に任せ、口出ししなかったと論じた。

 さらに改革運動の際も光緒帝と明治天皇の器の違いがはっきり表われたことに記事は言及。光緒帝の政策は表面的には素晴らしかったが、人を改革へと動かす力を伴っておらず、光緒帝自身も手本を示さなかったと記事は指摘。しかし明治天皇は自ら率先して手本を示すことによって、明治維新を成功させる原動力になったと記事は論じた。

 それまでの秩序や体制を一気に転換させ、非常に短期間で日本を世界の強国に押し上げた明治維新は、革命という観点から見ても稀な成功事例と言える。表面上にことだけを西洋に倣っても、西洋諸国には追いつけないと考えた当時の人々が本質的な転換を求め、外国の優れた点を認めて積極的に取り入れたことが成功の秘訣だったと言えそうだ。

 一方の洋務運動はあくまでも中国の文化や制度を残そうとした点に本質的な転換ができなかったという一因が見て取れる。だが、アジア各国で行われた近代化革命はその多くが大きな成功を収めたとは言えない形で頓挫しており、洋務運動が成功を収めなかったとしても、それは決して奇異なことではなく、それだけ近代化革命は困難を極めるものだったと言える。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:(C)coward_lion/123RF.COM)

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