あがり症なのに人前で話さなければならない時
私は人と話すことは基本的に大変好みません。
しかし、話さざるを得ない状況は自己紹介なんなりで生活のさまざまな場面についてまわります。
人をジャガイモとでも思えば大丈夫などと聞きますが、やっぱり、人は人だと思います。
ハンパないあがり症であったワタクシ
私はとある年まで、大変なあがり症で人と話すだけで顔は赤くはなるは、声は震えるは、もうそれはそれは人と話すのがツラくてたまりませんでした。
声がつっかかるので、笑われることもしばしば。
それで更に声が小さくなってしまうのでした。
もう、しゃべることを諦めるのでした。
話をしたところで、どうやら私のいうことはトンチンカンらしく、こちらは真面目に話しているつもりなのに、まあよく笑われたものです。
ここまで来ると、言葉を発することが苦痛で仕方がなくなってしまいます。
転機
けれどね、なんとかなる日がやってきました。
とある事実に気がついたからです。
『だいたい、人は人の話をまともに聞いてないし、そもそもたいして見てもいない』
これに気がついたのです。
これに気がつかずに、超真面目にきちんとして話そうとして、緊張しちゃってたんですね。
私の数少ない経験上の中では、話したことを真面目に聞いている人は2割もいればいい方です。
あとは、適当に聞き流しているか、まったく別のマイワールドに入っていらっしゃいます。
適当に聞き流しながらお喋りする人が6割くらいかな。
マイワールド系は2割くらい。
そこまで人の話聞いてます?
ところで、校長先生の話をまともに聞いている人は一体何人いるでしょうか?
そんなにいないのではないでしょうか?
顔とか服とかじっくり監察してますか?
私は余程のイケメンや美人や好きな人でない限り、そこまでじっくり見ませんよ。(だから、みんなそもそも私の話などに興味はないと思われる)
友達の話も自分の興味のない話はまともに聞いていますか?
顔や服装をすぐにイラストで書けるくらい覚えていますか?
少なくとも私は興味がなければ聞いていないし、覚えていません。(大好きな友達は除く)
思い込みをうっちゃてみた
だからね、「どうせそこまでだれも見てないし~。聞いてないし~。」とね、開き直ったのです。
『きちんとしたよい人間だと思われようとすること』をやめたというか、まあ諦めたのです。(みんなに嫌われないなんて、無理無理!)
そしたら、あら不思議!
人と話す時や人前で話す時に、目の前にいる人たちに対してあまり気を使うことの必要性を感じなくなったのです。(あなたたちどうせ聞いてないでしょ?見てないでしょ?とね。)
それから、私は聴衆側の心理で考えるように意識するようになりました。
『人の話はわかりやすくて、みじかけりゃそれが一番ありがたい』とね。
以来、結構結婚式のスピーチなども、あまり苦にはならなくなりました。
みなさん、そこまで暇じゃないでしょ?
スピーチなんて次の日までわざわざ覚えてる人いないし、結婚式のビデオだって、一回観たら、もう観ないでしょ?(覚えてる人は真面目な人かそのスピーチをした人を気に入っている人くらいです。または暇な方)
大概の人の頭の中は忙しいので、私が失態なぞしたところで、すぐに上書きされてしまいます。
自分さえ忘れてしまえば、だれが思い出したところで、「そんなこと、あった?ごめん覚えてない。」と言えます。
めんどくさい方
たまにしつこくからかうひとには、真顔で「ごめん、全然覚えてないだけど、あなたよく覚えてるね~。」でスルーするといいかも。
そういう方は、話を盛り上げてご自分が目立ちたいだけのことが多いので、「そんなこと、あったんだ~。でも、やっぱり思い出せない。ごめんね~。」でだいたい引き下がります。
まあ、からかいを利用して、「ごめん。何番目の私がやったかわかんない笑笑」 などと、話題の注目をかっさらっていくという高等テクニックもあります。
今でもお話は苦手です
今でも、人と話すのは余程親しい人としか話したくありません。
でも、まあ親しくなくても相手の話に相づちだけで、かなり長く時間を稼げるようにはなれました。
おそらく、何を話そうかよりも、どう相づちを打つかを考えると、お話の苦手な方には有効かと思われます。
まずは、家族で練習するといいですよ。
意外と家族って知っているようで知らないおもしろい話をたくさん隠し持っていたりしますから。
追伸 顔がりんごのように真っ赤に赤面するくらいのあがり症の私でしたが、今では、お陰さまで随分とたくましくふてぶてしくなれました。
ん?少しふてぶてしくなりすぎたかもしれませんね笑