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【3】
モンスターの大群はゆっくりと、しかし確実にバルメルへと向かっていた。
黒い波となって進むそれを追い抜き、シンとリオンは平原を駆ける。モンスターの群れを追い越す時にシンの視界に投影されたマップは、モンスターのいる部分だけ隙間なく真っ赤だった。密集しすぎているのだろう。個体の判別も難しかった。
「それにしても、いつもこんな大群なのか?」
「どうだ、ろうな。規模に関する基準もあったと思うが、覚えていない。一度だけ参戦したときは、もう少し数が、少なかったと思ったがな」
リオンは当時の光景を思い出しながら記憶を探る。あの時は、倒しても倒してもわいてくるモンスターにただひたすら剣を打ち込んだだけだった。今回の『氾濫』はその時よりも大規模なように感じられる。屈強な兵が守りについていると分かっていても、リオンの足は自然と速度を上げようとする。
「気持ちはわかるが、飛ばしすぎだ」
息が上がってきているリオンを見て、シンは待ったをかける。いくらリオンが上級選定者といえども、体力は無限ではない。バルメルに到着する前に、ばてて動けなくなっては意味がない。
「あの丘の上でいったん休憩しよう。もう群れの先頭集団はとうに追い越してるんだ。少し休め」
「しかしっ! ……いや、すまない。シンの言うとおりだ」
まだいけると言おうとして、リオンも自分の状態に気付く。このままいけば、道半ばで力尽きると。
シンの言うとおり、かなりの速度で走り続けてきたので既にモンスターの集団はかなり後方にいた。『氾濫』では出現するモンスターにある程度の傾向があるらしく、今回はゴブリンやオークといった人型モンスターがメインとなっている。そのおかげか、進むペースは獣タイプやゴーレムタイプと違ってかなり遅い。シン達がバルメルについても数日の猶予が見込めるほどだ。
今はまだバルメルまで距離があるので、ペース配分を考えればここで休むのは理にかなっていた。
「城砦都市っていわれるくらいだ。もう何度も撃退しているんじゃないのか?」
休憩ついでにシンはバルメルのことについて聞く。『氾濫』を抑えるために作られた都市ならば、それ相応の装備なり部隊なりがいると思ったのだ。
「たしかにそうだが。常に少人数の犠牲ですんでいるというわけではないのだ。しかも、今はバルメルを守っている上級選定者3人のうち1人が不在でな」
「守りの要が不在って、いいのかよ」
「教会の方で何かあったようでな。ある人物の護衛をしなければならなくなったらしい。まったく、教会は何を考えているのか」
理解できないとばかりにリオンは眉を寄せる。リオンによると城砦都市は『氾濫』の防波堤としての役割を果たす代わりに、教会および周辺の国から上級選定者を派遣してもらっているらしい。どうしても数に劣るため、質で補おうという作戦のようだ。
ただ、今回はその一部が完全には機能していないという。これには各国から抗議が殺到しているのだそうだ。
(教会か。もしかして、あいつらか?)
教会、ある人物の護衛と聞いて、シンの脳裏に馬車を破壊していった騎士達の姿が浮かぶ。この世界ではレベルの高さと実際のステータスが食い違うことはざらだ。だが、やはり高レベルの人物というのが限られているのはわかる。あの時の騎士。とくに馬車を破壊した男のレベルは239。今のリオンよりも高かった。可能性の話でしかないが、もし真実なら騎士達を脅していた神官にはきっちりとした制裁を加える必要があるだろう。
「残り2人はどうなんだ? なんとか凌げそうか?」
「組み合わせは悪くない。残っているのは私と同じ魔剣士と魔導士。バルメルにいる上位冒険者達と協力すれば、アクシデントがないかぎり負けることはないだろう。問題は犠牲者の数だ」
魔導士の魔術スキルでどこまで敵を減らせるかがカギだな、とつぶやいてリオンは水を口にした。いくら選定者といえど延々とスキルを放ち続けられるわけではない。個人ではカバーできる範囲にも限界があるのだ。
「バルメルの戦力はどうなんだ? 冒険者ギルドにも選定者はいるんだろ?」
「たしかに派遣されている者達とは別に上級選定者に迫る実力者はいる。だが、そのほとんどが接近戦主体でな。広範囲を攻撃できる者が少ないのだ」
モンスターが少数ならまだしも、数百数千となるとどうしても取りこぼしが出てしまうのだろう。『氾濫』で出現するモンスターは低レベルなので、一般兵でも相手ができるのが救いだ。
「……さて、休憩はもう十分だ。そろそろ行こう」
しばらく休んだおかげで回復したようで、リオンが勢いよく立ちあがる。
「わかった。だが、それは俺が持つ」
そう言って、シンは地面に置かれていたムスペリムを背負う。筋力の高さからシンにはたいして負担にならないが、リオンには長時間背負って走るのは辛いだろうという判断だ。
「む、私とて自分の武器ぐらいは自分で――――」
「今はそんなこだわりより早く移動することの方が大事だろ。途中からへばってたぞ」
「う、それを言われると言い返せん……」
休憩を提案したのもそれが理由なので、リオンは反論できない。とはいえ、ここは先に進むことが先決とシンにムスペリムを託した。
「むむむっ」
「何唸ってるんだよ」
「急がねばならん、ならんのだが……くっ、この程度でへばるとは情けない」
「意外に負けず嫌いだな」
そんな話をしながらも2人は駆ける速度は落とさない。リオンもムスペリムの負担が減った分、話をするだけの余裕が生まれていた。戦いのときとは違った負担があるのだろう。50ケグム(1ケグムはおよそ1kg)以上の重さがあるムスペリムは長時間走る上でかなりの負担になっていたようだ。
日中はほとんど走り通し、日が落ちる前に野営の準備を済ませる。さすがに寝ずに何日も走り続けるのは体力があってもつらいので、簡易テントを組んで交代で見張りをしながら睡眠をとることにした。
「本当にいろいろと出てくるな。備えるにしても、これは用意周到すぎないか?」
「もともと旅の準備をしてたんだよ。そこに呼び出しがかかったから、これだけのものがあるわけだ。カード化しておけば、たいしてかさばらないしな」
「アイテムカードが使えるからこそか。わが国にも一人はほしいと思っているのだがな」
簡単な食事を済ませ、シンが片付けを終えるとリオンが話しかけてきた。さりげなくシンに近づきつつ、流し目を送ってくる。
シンがヴィルヘルムに聞いた話では、アイテムさえあればリオンや他の国所属の選定者がアイテムボックスを持つことは可能のはずだ。拡張キットのことを知らないのか、それ自体が貴重なのかシンにはわからないが、どちらにしろやれることはない。
「協力はせんぞ」
「ダメか?」
「ダメだ」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ。ええい! すり寄ってくんじゃねぇ!!」
前屈みになって近づいてくるリオンから距離をとる。さりげなく胸を強調してくるあたり、本当は自分の外見を自覚しているんじゃないかとシンは思った。女の魅力云々と落ち込んでいたのはどうした、と問いたくなる。
夜の闇の中、焚き火に照らされたリオンは昼間の快活な様子がなりを潜め、どこか怪しげな雰囲気を纏っていた。
「狼狽えてくれるくらいには、この身にも魅力があるか」
「わかっててやってたんじゃないのかよ。てか、そんなことしてる状況か?」
「今無理をしても意味がないというのはシンが言ったことだろう。ならば、動かずにいる時間を有効利用させてもらう」
「どこが有効だ、どこが」
「少なくとも私には有効な時間だよ。こうして遠慮なく話せることも含めてな」
どこかさびしげに笑いながら、リオンは居住まいを正す。
「遠慮なく、ねぇ。リオンにだって、そういう相手くらいいるだろ。ガドラスさんと話してるときとか、けっこう遠慮なかったと思うが」
「ガドラスは私の剣の師だからな。他の者よりは気楽ではある。とはいえ、やはりどこか王族に対する壁のようなものがあるのさ。その点、シンは本当に遠慮がない」
「それ、つまりは無礼ってだけじゃないか?」
「ずっとかしこまられていると、そんな相手と話したくなる時もあるのだ。慣れてはいるが、私個人の性にはあわん」
よく街に現れるというリオンだが、気軽に話しかけられるというものでもないのだろう。下手に知名度があるせいで、あまり身分にこだわらない冒険者もかしこまってしまうらしい。
「家族はどうなんだ? ああ、言いたくなきゃ言わなくていい。ところによってはいろいろと確執があったりもするらしいし」
「別に隠すようなことではない。そうだな。家族の団欒は……もうなくなって久しい。仲が悪いわけではないが、だからかな、代わりを求めているのかもしれん」
「王族はそんなもんか。まあ、話し相手くらいなら務めてやるよ。――――おい、なぜ引っ付く」
「王族とて誰かに頼りたくなる時もある。話を聞くついでに、少しくらいわがままを聞いてくれてもいいだろう?」
「城のやつらには見せられないな」
「周りには誰もいない。戦場以外で監視がないのは、久しぶりだよ」
「ったく、こいつは…………今だけだぞ」
ため息を一つついて、シンはリオンの抱きついている腕とは反対の腕で焚き火に枝を放る。引きはがそうと思えばたやすい。ただ、団欒がないという言葉がシンの腕から力を抜いた。
シンにとって家族とはとても大切なものだ。両親は健在で兄や妹との仲も良好。騒がしくも楽しい、帰るべき場所。そんな思いがある身としては、リオンの境遇に何も感じないわけにはいかなかった。体重を預けてくるリオンの穏やかな表情も、その一助となっている。
さらに言うなら、リオンが口にした監視がないという言葉。これが真実なら、リオンには本来なら常に監視がついているということがわかる。今くらいは気を抜く時間があってもいいだろうと、シンは思った。
「シンは温かいな」
「寒いか?」
「そういう意味じゃない」
わかってるよと心の中でつぶやいて、また一つ枝を火にくべる。パチリと枝の爆ぜる音が響く。シンもこの状況で意味をはきちがえるほど鈍感ではない。
これが本来のリオンなのか、シンには判断がつかない。普段の勇ましい王女様はどこへやらである。
「そろそろ寝ろ。明日も走り通しだ。疲れを残すな」
「むぅ、仕方ない。次の機会を待つことにするか」
「そういう考えは『氾濫』を凌ぎきってからにしろって」
シンの出したマントに包まるリオンに、形だけの忠告をする。リオンとてそこはわかっているのだろう。なんだかんだで、体はしっかり休めている。
聖地への転移、モンスター戦での敗北、『氾濫』に対する焦り。そういった様々な要因が合わさって、さっきまでの態度になって表れたのだろうとシンは考えていた。
月のない夜の闇は深い。
背後からはモンスターの群れ。頼れるのは己と同行者と、今は小さな焚き火だけ。力の強弱は関係なく、気持ちが縋れるものを求めてしまうのも無理はないとシンは思う。
なぜわかるかといえば、似たような経験がシンにもあるからだ。
好意が一欠片も感じられないのか? と問われると否定はできないのだが。
「やれやれ……」
一言つぶやいて、シンはまた1つ、焚き火に枯れ枝を放った。

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