特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
こんにちは。
本日のブログのテーマは「青春の一冊」。
今、僕の手元に一冊の本が置いてあります。
辻仁成「クラウディ」
ページをめくるとそこには著者のサイン。
このサインをもらうためだけに起こした行動が
良くも悪くも現在の自分の原点であるというお話です。
以前もブログで書きましたが、僕は中学生の頃に
辻のバンド「ECHOES」の事を知って、その楽曲に
のめりこんでいました。CDを聞き、本を読み、
辻が司会をしていたあるTV番組を見ては憧れを募らせ
「この人とお話してみたいな」と
漠然と思っていたある日。
そのいつも見ていた番組の終了後、
ほんの10秒前後、あるテロップが流れたのです。
「番組で劇団員募集」
世間は当時、夢の遊民社や第三舞台などの
小劇団ブームメントが巻き起こっていたことから番組でも
劇団を作り、実際に舞台公演をやっちゃおうと企画。
その劇団員を視聴者から募集するという話でした。
当時の僕は中学生だったこともあって
その小劇団ブームは良く分かっていませんでしたが
「おもしろそう」という気持ちと
「司会の辻さんもオーディションに来るだろうから
サインだけ貰って帰ろう」という思いで番組にハガキで応募。
数週間後にオーディションのお知らせが届きました。
日付は今でも忘れない1990年8月25日。
そしてそのオーディションに
僕は最年少で通ってしまったのです。
オーディション会場には司会の辻さんと桑田靖子さん
劇団の団長を務めることとなった
コメディアンの草分け的な存在、内藤陳さんと
その人たちの前で自己アピールを行う事に。
多くのプロの役者や芸能界志望の若者を含め
140人程いたでしょうか。その中で中学生がただ1人だけ。
アウェーもアウェーな環境でした。
最初は辻さんにサインもらって帰ろうと思っていたので
オーディション休憩中に声をかけて本を手渡して
サインをゲット。快く応じてくれた辻さんは
軽く「頑張ってね」と僕に声援を送ってくれました。
自分で言うのもどうかと思いますけど
僕はバカなので、その声援をもらった瞬間に
サイン貰ったので帰ろう→ぜってぇ合格するぞという
スイッチオン。幸い舞台に立つのは最後の方だったので
戦略を練る時間がありました。舞台を見ていると
多くの人は「自分の名前を元気に喋り、熱意をアピール」の
形式がほとんど。だったらその形式を逆にとろうと考えたのです。
んでもって、僕の出番。僕はわざとおどおどした態度で
周囲を見回しながら10秒ほど黙っていました。
そして、マイク越しに小声で「見つめないで…」と
呟いた瞬間、140人が爆笑したのです。
正直、もらった!と思いました。
後は勢いにまかせて適当なことを
ワーワー話して拍手を受けてオーディション終了。
番組的にも受験を控えた中学生が
メンバーにいるのはおもしろい!と思った事もあって
晴れてオーディション合格。指導を受けながら
翌年2月に銀座小劇場で舞台に出場したのでした。
そういう意味で僕はWAHAHAの喰さん、内藤陳さんの
弟子であるといってもいいのかなとも思うけど、
問題児だったから弟子を名乗るのはやめておこう。
「たまたま縁のあったガキ」ていどに抑えておこう。
だけどお二人に教わった事やいわれたことは
おぼろげながらも覚えています。
先日、当時の劇団メンバー(兄弟子?)で
現在WAHAHAに所属する人の公演をみた時に
喰さんにお会いできてお元気そうで何よりでした。
高校生の頃には内藤陳さんに会いにいくため
演劇を観にいったあと、新宿のゴールデン街にある
陳さんの店に何度か足を運んだ事もありました。
決まって陳さんには僕に麦茶を出した後で
「子どもが来るところじゃねぇ!!」と文句いわれたっけ。
なので20歳を過ぎて店に行った時に初めて水割りを
出してもらったことがほんと嬉しかったなぁ。
…あの日から25年。
あの時、辻さんに手渡した本は今思うと
受験で憂鬱だった僕におもしろくて不思議な世界を
見せてくれたチケットでした。そしてその半券を
僕は今でも、手放さずに持っています。
舞台役者になることもなく、会社員となった今でも
中学の頃に体感で学んだ表現の楽しさを忘れられずに、
僕は今もそのチケットの半券を握り締めて
演劇などの脚本を書き続けています。
続けていても芽は出ないかもしれない。
或いは25年前みたく、ふとしたきっかけで
書いた作品が誰かの目に留まって注目を集め
脚本家として売れちゃうかも知れない。
いい年して、子どもじみたことを、と
このブログを読んだ人は呆れているかもしれません。
僕を「中二病」と笑う人も多いことでしょう。
だけど「希望」に溢れる「かも知れない」の人生を
僕は生きていきたいと思います。妻と娘に
迷惑をかけない範囲で。
夢を掘りながら大人として生きるっていうのもシンドイけどね。
本日の僕の昔語りはこの辺で!!
そこに僕はいた改版 [ 辻仁成 ] |
※明日はお客さんのLAN接続トラブル解消で名古屋出張。
25年前、確かにそこに僕はいた。明日、名古屋に僕はいる。