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 連続ドラマを書いていると、どうしても視聴者の意見が知りたくなる。なるべくネットは使わないようにしているので、反響はプロデューサーに聞く。

 が、たまに気になって自分の目で確かめることも。「真田丸」が始まって三カ月経ったこともあり、ちょっとだけ覗(のぞ)いてみた。

 そこで僕が何を見たか、感じたか、ここでは触れない。今回は、ネットを使ってドラマの感想を語り合う人たちの、僕から見るとちょっと不思議な「言葉づかい」について。

 「小ネタ」というフレーズを結構見かけた。どうやら、僕の作品は「小ネタ」が多いらしい。自分の感覚でいうと、ネタというのは、漫才やコントなど、芸人さんの「持ちネタ」のことで、「小ネタ」というのは、その「ネタ」を成立させている要素。漫才コンビのナイツさんに、僕について二人で語り合う「ネタ」があるが、ここに出てくる僕の名前にひっかけた「三谷前期」や、僕の初めての連ドラのタイトルをもじった「振り返ればやくみつる」といった言葉遊びが「小ネタ」。僕は今までそう解釈していた。

 だが、「真田丸」に何度も登場する、北条氏政が汁飯を食べるシーン。あれも今は「小ネタ」といわれている。物語に関係なく、視聴者を楽しませる細かい仕掛け、それが「小ネタ」のようだ。僕は氏政の汁飯も、人物描写のひとつとして書いているつもり。それを「ネタ」扱い、しかも「小ネタ」とされるのは、どうも違和感がある。

 「つっこみどころ」。これも以前の使い方とは変わってきている。僕らの世代では、「つっこみどころ満載」といえば、「目立つ粗(あら)がいっぱいある」という意味だった。台本の問題点を視聴者が「つっこむ」。だが最近はネガティブな意味で使わない人が増えてきている。「つっこみどころ」とは「おもしろポイント」のことのようだ。「小日向文世さん演じる豊臣秀吉の髭(ひげ)もつっこみどころの一つ」とあったら、それは髭の形が面白いということなのだ。

 僕は決して、「最近の若いモンは言葉の使い方が間違っている」と、嘆いているわけではない。そんなことをしたら、本当の老人である。言葉は変わり続けるものだと、僕は思っている。むしろ書くことを生業としている自分としては、そういうことにもっと敏感でなければならない。今さら驚いていては駄目なのである。今後、取材で「今回も小ネタだらけでつっこみどころ満載ですね」と若いライターさんに聞かれたら、「そうなんですよ!」と笑って返そう。

 ついでですが、「コメディー」をイコール「パロディー」だと思っている若い方たちの存在にも、びっくり。「パロディー」は「コメディー」を成立させる手段のひとつであり、決してすべてではない。僕をパロディー作家だと信じる人たちは、「真田丸」で堺雅人さん演じる真田信繁が、堺さんの当たり役「半沢直樹」の決め台詞(ぜりふ)「倍返しだ!」をいつか叫ぶはずだ、と確信している。三谷ならそれくらいやるだろう、と。誓ってもいい。僕は絶対にそういうことはやりません。

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