日頃は少子高齢化問題について憂慮している俺もさすがに堪忍袋の緒が切れて、保育園に苦情を言いに行った。
保育園の入り口に掲げられた「フジロックフェスティバル2013」の看板をくぐって、敷地の中へ。
足を踏み込んだ瞬間、鼓膜とみぞおちを低く重い金属音がついた。
悲しげでメロディアスな演奏が俺の皮膚にまとわりつき、全身をねぶる。なんだこれは。
周囲のオーディエンスは恍惚とした表情でステージ上の一転をなかば崇めるように、なかば畏れるように見つめている。
会場三千の瞳が注がれている先で山嶺のようにそびえ立っていたのは、丸刈りで筋肉質の巨漢。
ナイン・インチ・ネイルズが日本にやってきたのだ。
このフェスのために。
この夜のために。
おれたちのために。
知らず、涙があふれていた。忘我の涙だ。
保育園に来た目的も、その動機となった怒りも、少子高齢化社会のひずみも、すべてふっとんでいた。
今この瞬間。
今この瞬間しかない。
俺たちは今ここで、全身全霊でレズナーの奏でる現在の粒子を浴びている。全身全霊で悦んでいる。
夢の様な四十分間が過ぎたのち、隣に経っていた古参風の園児が俺のすねをポン、と叩いてウィンクを飛ばした。
「楽しんだかい、兄ちゃん?
これが保育園の、
これがフェスってもんよ。
音楽ってのはな、
現場にやってきたやつにしかわかんねえヴァイヴスってのがある。
四畳一間の寂しい部屋でヘッドホンつけてセンズリこいてるだけじゃ決して手にはらねえサウンドがな。
俺たちは、この感動を共有するために保育園に来てるんだ。
身分も、出自も、人種も、年齢も関係ねえ。境界なんか存在しねえ。
ジョン・レノンの理想を現実を知らない戯れ言だと笑った人間を呼びつけて、これを見せてやりたいね。
兄ちゃんなら、わかるんじゃねえか?」
「わかる……」俺は三歳児に跪くような体勢をとり、泣きはらしながら彼の名札をみた。「わかるよ……たけのり……」
たけのりは莞爾とした笑みを浮かべ、俺の方を叩き、
次のライブも楽しんでくんな」
と告げると、そのまま風のように去っていった。
どこからか、スクリレックスのエッジの聞いたビートが響いてくる――