読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

TOKYO ALONE

❌ニート・社畜→一億総フリーランス社会の可能性を模索するブログ

保育園問題を批判している人は単なるクレーマーな件

オピニオン 社会問題

スポンサーリンク

f:id:Kracpot:20160414174949p:image
 

保育園問題。待機児童問題と言ってもいいと思います。

 
日本死ねや保育園うるさいなどという匿名ならではの自由な発言がすごく潔く感じますよね。
 
テレビやマスメディアからは出てこない本音の部分を聞けるのは面白いです。
 
やや周回遅れの感がありますが、一応話題になったことに関しては自分の意見を残しておきたいと思います。
 
結論から言うと批判があまり的を得ておらず、問題の解決に1ミリも前進していないと感じています。
 

日本死ねは問題提起ではない

 
日本死ねで問題が明らかになったかのように言われることがあります。
 
もはや保育園が足りないという現実に対してそれを解決するための具体的な言説が求められている段階である
引用
 
自分の記憶では、待機児童の問題は大学の授業の中で取り上げられたことがあります。
 
もう、かなり前の話ですw
 
調べてみると国の調査が発表されたのは、20年前の話でした。
 
保育園の数、保育士の賃金、保育園設立に関わる地域デザイン的な問題、保育園の収益モデルの限界、認可に関わる既得権、東京一極集中による相対的な福祉の低下など解決できない課題が何年も前から指摘されています。
 
介護問題のようにずーと構造的な問題を抱えていて、ずーと解決の為に必要なことが何かが考えられ提案されています。
 
今具体的な言説が求められていると考えているのであれば、それは周回遅れも甚だしいでしょう。
 
単にその問題に対して多くの人が自分も含めて、無関心だっただけです。
 
保育園は福祉の問題だから、なんとなく国のせいかなと思うのはわからなくもありません。
 
そのせいか中には責任が全部国にあり、できることがあるのに放置してきたという立場の人たちがいるようです。
 
これは余りにも安易すぎるんじゃないでしょうか?
 
何が問題なのかは良く分っていないんだけど、とにかく国が悪いんだと決めつけても、構造的な問題を打ち破れることは決してありません。
 

お金で解決できるのはごく一部の問題

 
お金の問題があるのは間違いないと思います。
 
今回、緊急の対策が発表されました。
 
企業内保育所への助成広く 政府・与党、待機児童で緊急対策 : 日本経済新聞
 
保育園の数を増やしたり、保育士の給料をあげるというのは確かに一定の効果が見込めます。
 
あるいは、批判をしている人たちが私財を投げ打って取り組むことにも効果があるでしょう。
 
しかし、上にあげたような構造的な課題を解決せずに、政府に無理矢理支出させるのは一時凌ぎの為に、破綻の道を進めと言っているのと同義です。
 
それは、解決ではなくて結局は問題を先送りにして、自転車操業のようにいつか立ちゆかなくなる運命にあります。
 
今回の政府の決定に自分達の正しい要求が通った、私達の勝利だと思い込むのは大きな間違いでしょう。
 
構造的な問題は一切取り除かれていないからです。
 
東京一極集中の問題だけを取り上げても明らかですが、人が都心に集中すればそれだけ福祉の質は相対的に低下することになります。
 
その度に国がお金を出し続けていれば、いつか福祉が破綻する時がきます。その時、なんとなくで批判していた人たちの矛先は、今度は誰に向くんでしょうか?考えるだけで怖くなります。
 

批判ではなく改善の為の当事者になってあげてほしい

 
この件が話題になった時、政権批判大好き、批判家の人達のウヒョーいい材料見つけたぜというこえが聞こえてきました。
 
個人的にはそういう人たちが嫌いです。
 
批判そのものに上から目線が含まれてるように感じてしまうからです。
 
誰にとっても、憤りをぶつけるのはある種のカタルシスがあります。
 
だから、常日頃から批判するための根拠探しに余念がなくて、見つけられると何か嬉しそうに見えて、こっちまで幸せな気持ちになりますw
 
注目されると承認欲求も満たされて、自分は価値あることに取り組んでると錯覚することもできるでしょう。
 
大勢の人が共感してくれれば、自分は正義だと確信して、ヒーローだとさえ思ってる人たちもいるかもしれません。
 
しかし、現状その批判の声は問題を深刻化させるばかりで根本的な問題の解決にはなんの役にも立ってはいません。
 
この問題には、国として対処できるものとそうでない部分というのが明確にあります。
 
改善への道筋があって国家としてできることがあるのにしない。
 
そこで初めて批判が意味を持ってきます。
 
そして、それは同時に自分達にできることがあれば積極的に取り組むという姿勢も必要になるでしょう。
 
ひょっとしたらそれは、ビジネスかもしれないし、ボランティアかもしれないし、地域の人たちの連携かもしれません。
 
これはらの改善への道は、誰かを批判しなくても取り組めることです。
 
なんの取り組みも行わずに、批判だけしてるのは単なるクレーマーと同じです。
 
構造的な問題を無視して、自分の不満をぶつけたり、要求を通すことだけを目的にしている人たちは単なる害悪でしかありません。
 
当たり前のことだけど、解決できない問題には解決できないだけの理由があります。
 
誰が東京一極集中を食い止めるためのモデルを示すことができるでしょうか?
 
この一点だけでもとんでもない難問です。
 
問題に対する正しい認識と改善への道そして、批判がセットになっていればその批判の声には、是非参加したいと思いますが今のところそういった声は聞こえてきません。
 

最後に

 
正直言うと結婚もできなさそうな自分にとってはブログでもやってなければ関心を持つ機会すらなかった問題です。
 
個人的には熱量のある人たちの動きを期待してみていたいと思います。
 
それぞれが問題解決の為に立ち上がり、小規模保育園を設立したり、足りない資金に関しては子供の未来の為に投資を惜しまないという人たちが出てくる可能性がまだあるから。
 
したっけ〜