子どもの学びは、もっと多様であっていい。フリースクールなどの学習も義務教育として認める道を、なぜ閉ざすのか。

 学校以外の学びを議論してきた超党派の議員連盟の立法チームが法案を練り直し、今国会への提出を目指している。

 当初検討していたのは、保護者が「個別学習計画」をつくって教育委員会の認定を受け、それにそって学べば義務教育を修了したと認める仕組みだった。

 ところが「学校に行かないことを安易に容認するのか」と反対が強く、見送られた。

 戦前から70年余り続く「学校一本やり」の仕組みは変わりそうにない。

 残念な結果である。

 議論の出発点を振り返ろう。

 学校を30日以上休んだ小中学生は、20年近く年間10万人を超えたままだ。

 学校は教育の中心的な役割を果たすべきだが、全ての子に最善とは限らない。一律に学校に戻そうとする今の制度に限界があるからこそ、議員立法を目指したのではなかったか。

 法案の内容はフリースクールの学びの支援から、不登校対策へと大きく変わった。

 法案は、不登校の子どもの学校以外での「多様な学習活動の重要性」にふれ、「休養の必要性」に言及している。

 多様な学びの大切さが法律で認められるという意味では、一歩前進といえる。子どもや保護者の支えになるだろう。

 しかし他の条文は、いままで通りの政策が並んでいる。

 行政と民間が連携を進め、国や自治体が、不登校の子の通う公立の「教育支援センター」や特別なカリキュラムの学校を整備するといった中身だ。

 実際の施策が現状追認にとどまるなら、わざわざ新たな法をつくる意義は薄れる。

 法案は、子どもの意見表明権の確保を求めた「子どもの権利条約」を掲げている。

 だが、子どもを権利の主体とし、学校や教委に対して意見を述べるといった条文はない。

 不登校法案にかじを切るなら、文科省が30年以上重ねてきた不登校の対策を総点検し、何が問題だったのかを考える姿勢が欠かせない。

 いま考えるべきは、フリースクールであれ、不登校問題であれ、子どもにとって学ぶことの意味は何かであり、それがなぜ学校でなければいけないのか、という問いである。

 議員連盟は法案の成立ありきで急いでいないか。

 子どもの現実を見つめ、腰を落ち着けた議論を求めたい。