ノルウェーで集まった若者たちに銃を乱射して、77人を殺害した男がいたのを覚えているでしょうか。
事件概要
2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロ政府庁舎爆破事件とウトヤ島銃乱射事件が連続して発生した。
政府庁舎爆破事件により8人、銃乱射事件により69人がそれぞれ死亡しており、両事件で77人が死亡。ノルウェー国内において第二次世界大戦以降の最悪の惨事とされている。
ウィキペディアより
3月半ば頃、この事件の犯人で禁固21年の刑を言い渡されているアンネシュ・ブレイビク受刑者の裁判が開かれ、非人道的な扱いを受けていたことが明らかになりました。
受刑者の真摯な訴え
「過去5年、私が受けてきた動物のような扱いに比べれば、銃殺される方がまだ人道的だ」
CNNなどによると、受刑者は3月半ばに開かれた裁判で、衣服を脱いでの身体検査や頻繁に手錠をはめられること、電子レンジで温める食事、保温容器がなくすぐに冷めるコーヒーなどといった不満を並べ立てた。とりわけ、面会や手紙など外部との接触を制限されている状態は長期隔離状態であり、欧州連合の基本憲章違反だと訴えた。
産経ニュースより
ノルウェー刑務所の劣悪な環境
ノルウェー刑務所事情を知らない方も多いと思いますので、その一部を紹介したいと思います。
こんな小さいテレビを見させるなんて酷すぎますね。すぐにソニーの大型4Kテレビを全部屋に設置しなければいけません。
音楽を楽しむのは当然の権利です。この施設が24時間使えるものなのか早急に調べる必要があります、利用制限があるようなら人権侵害です。
見た目は清潔で快適な食堂ですが、外では普通に買えるスタバのキャラメルラテが飲めそうには見えません。フラペチーノに至っては絶望的でしょう。
ご覧頂けたでしょうか?これが受刑者が訴えを起こしている人権を軽視する国の実態です。
この記事では、受刑者に対する非人道的な人権侵害を告発し、いかに人権が重要かを訴えていきたいと思います。
国家による監禁
受刑者の訴えに対して国側は、寝室や勉強部屋など3室を与えテレビや新聞も見ることができると説明。インターネットにはつながっていないがパソコンもあり、DVDプレーヤーやプレイステーション、ランニングマシンに冷蔵庫といった機器もあるといった刑務所の環境を述べた。
産経ニュースより
ノルウェーは、部屋数が3つあるということを持ち出して監禁の事実を正当化しているようです。本来、刑務所と外を自由に行き来できるのでなければそれは監禁と同じです。国家が、監禁を行うなどということは言語道断です。
また、ゲームに関してもこの刑務所では古いタイプのプレステしか置いてないそうです。今すぐに最新のプレステ4やVRを導入しこの受刑者に楽しんで貰わなければそれは、明確な人権侵害と言えるでしょう。
思想の自由の侵害
そりあげた頭の受刑者は法廷場に入るとナチス式の敬礼をし、多数の命を奪ったことについての反省の弁は全くなかった。法廷では12歳でナチズムに傾倒したことや、「ヒトラーの教えだけが刑務所生活を生き抜く支えだ」などいった自説を長々と訴えた。
産経ニュースより
ナチズムに傾倒するのは当然、思想・信条の自由として認められるべきです。反省するかどうかも受刑者の自由で、裁判の中で反省の弁を期待するようなことは決してあってはならないことでしょう。
また、彼の意見表明に対しては『われわれは彼に耳を傾け、手遅れにならないうちに行動する必要がある』と共感の声が上がっているようです。自分の思想を表明し多くの人に共感してもらう機会も決して奪ってはいけません。
冤罪の可能性を無視
事件の生存者は「テロリストでも人権はある。裁判の機会を与えることは、彼ではなくわれわれにとっての勝利だ」と、ノルウェーがはぐくんできた寛容の精神を誇った。
産経ニュースより
どんな凶悪な犯罪者でも裁判を受けさせることが、寛容の精神だというのは大きな間違いで重要な視点を無視しています。
あらゆる事件から100%冤罪の可能性を排除することはできません。冤罪の可能性があるのにもかかわらず、刑事裁判が行なわれていること自体が大いに問題なのです。
事件を起こしたのは彼だと私たちが集団妄想に陥っている可能性もゼロではありません。
誤判の可能性
百歩譲って冤罪じゃなかったとしも誤判の可能性からも免れることはできません。1人は殺意を持って殺したが、残りの76人は誤って殺してしまったという可能性があのです。
警察からの自白の強要があった可能性も排除できません。
冤罪・誤判の可能性をはらんだ欠陥だらけの刑事裁判は無くしてしまわなければ、このような非人道的な人権侵害をなくすことは決してできないのです。
最後に
人権に国境はありません。人権擁護を掲げている団体はノルウェー大使館前に集合して、大規模なデモを行わなければいけません。
この受刑者を私財を投げ打ってでも救済する必要があります。人権というのは、何よりも尊いものだからです。
以上の内容は捨てて良し。
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ここからが本題です。
極刑は、死刑だと明確にしておかないといつかこんな主張があたり前になる時代がくるかもしれません。
制度や社会システムに完璧はありません。凶悪犯罪が無くなることも期待できないでしょう。
一旦与えられる罰を極端に制限してしまうと、後から厳罰が相応しいと思ってもその罰を与えることはできなくなります。
厳罰を無くすのではなくて、個別の事件に対する裁量をある程度残しておいて、その上でこのような特殊な事件に対処するということが良いように思います。
死刑は無くすべきだ思ってる人は、この例を見て考え直してください。
したっけ〜