MAY . J さんは、『上手く歌おうとする事』を一度忘れてみたらいいのではないかな
May . Jさんって、歌が上手いのになかなか受け入れられにくいようですね。
カラオケでもすごい高得点出してらっしゃいましたのに。
本当に歌が上手い方なのに。
不思議なことです。
最近、よくカラオケの採点マシンを使った歌番組などを見ます。
こちらもまた不思議なことに、私が素敵だなと思った方よりも、あまり魅力を感じない方が点数が高く出て、勝つこともしばしば。
う~ん。
私の歌の好みはどうやらカラオケの採点マシンとはツボが異なるようです。
で、この違和感をまたまた空想にて考察してみました。
しばし、考えて出た答え。
『カラオケの点数が高い人は、多分歌い方がほぼまじめすぎる。』
ある意味、楽譜を忠実に守って歌っていらっしゃるのではないかと。
そうしなければ、マシンは点数を出してくれませんから。
これじゃ、誰が歌っても同じになっちゃいませんか?
没個性というか。
面白みが欠けるといいますか。
まあ、カラオケ番組ならそれでいいと思います。
でもね、歌手として表現者になると話はちがうと思います。
『自分なりの解釈を入れて歌うリスクをもつ覚悟』が必要なのではないかと。
表現者なら、自分なりの解釈を加えて歌っていいのではないでしょうか?
いや、自分の世界観を足掻いて、楽譜の枠を少しくらい越えてでも、やってみる必要もあるのでは?
私は歌から、歌を作った人のメッセージだけでなく、歌う人本人のメッセージも受け取りたいと考えています。
楽譜はある意味、頭の中の世界観を表現するための道具なのではないのではないでしょうか?
歌って、ただの音符の記号や文字の羅列を表現するものではないのではないかと考えます。
それに、楽譜を書いた人も、書いた歌が売れないよりも売れてたくさんの人に聞いてもらえた方がやっぱりうれしいと思います。
MAY . Jさんの歌からはご自分の意志が見えづらい。(ついでに、歌を作った人の思いが見えにくい)
聴いていてなんだか、『楽譜としかコミュニケーションしてない感覚』に陥ります。
ただ、MAY . Jさんが強烈に真面目なのは伝わってきます。
ちょっと遊び心などを加えてみたらいいんではないかなあ。
まだ、歌い方の型を決めてしまうにはもったいない。
いろんな歌い方に挑戦してみたら、元々歌がお上手なのですから、興味深い歌手になられるような気はします。
『上手く歌う事』を一旦横に置いて、楽譜の前で、その曲のどこが自分の好きなところを探して、どうやってそれを伝えたいのかに丁寧に時間を割いて分析してみると、おそらく「ココはこう歌いたい!」って部分がもっともっとたくさん出てくるのではないでしょうか?
歌がとても上手いの方だけに、なんだかもったいないな~。と思うのです。