共同通信(京都新聞朝刊より補完)
普天間返還合意、12日で20年
政府と沖縄、溝埋まらず
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に日米両政府が合意して12日で20年を迎えた。移設先を巡り、名護市辺野古が「唯一の解決策」として本体工事に着手した政府と、県外移設を求める県の対立は激化し、一時は法廷闘争に突入。和解を経て工事は現在中断し、双方の協議は続いているが、溝が埋まる見通しは立っていない。
返還は1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が発表した。当時は「5~7年以内」に実現するとされた。政府は99年に辺野古移設を閣議決定したが、計画は遅々として進まなかった。
急展開したのは、仲井真弘多前知事が辺野古沿岸部の埋め立てを承認した2013年12月だ。その後の知事選で初当選した翁長雄志知事が取り消し、政府と県が訴訟でお互いを訴える事態に発展したが、16年3月に「円満解決」に向けた協議推進などを内容とする和解が成立した。【以下略】
http://this.kiji.is/92304824910069765 この記事には最後まで鳩山の文字はなく、解説記事には次の一文があるのみ。
「最低でも県外」の移設を掲げて09年に政権に就いた民主党も、最終的に辺野古案へ回帰。沖縄県民は、期待と現実のはざまで翻弄されてきた。
記事の中に掲載されている年表はこれ。