「ありがとうございます、……ボクはもう、大丈夫ですから」
ひとしきり泣いた後、クロードがワシの背から離れた。
クロードの涙で服が湿り、少し生暖かい。
「本当に大丈夫か?」
「はい。えへへ……」
指で涙を拭いながらも、何とか笑顔を浮かべるクロードが痛々しい。
クロードの髪を撫でると、心地よさそうに目を細めた。
それにしてもえらい目に会ってしまったな。
何とかケインとグレイン、二人を倒したのはいいが、このダンジョンを完全に破壊してしまった。
アゼリアに怒られるかもしれないな。
何か言ってきたら面倒くさいので念話を拒絶しておこう。
逃げたグレインの件で忙しいだろうし、こちらに構っている暇はないかもしれないが、念の為だ。
「ゼフ君……?」
「あ、あぁ、何でもない。さて皆が心配するし、さっさと帰るか」
「はい……っとと……」
歩こうとして足元をふらつかせるクロードの腰をとっさに支えた。
「あ、あはは……すみません……」
やはりまだ精神的なショックから立ち直ってはいないのだろう。
無理もないか。あれだけの事があったのだ。
クロードの腰を抱え、そのまま抱きつかせるよう身体を持ち上げた。
「ひゃ……ぜ、ゼフ君っ!?」
「無理をするなと言っているだろう。たまには甘えても構わないのだぞ」
「でも今さっきボク……ゼフ君に十分甘えて……」
「いいからそのままにしてろ」
「……はい……」
小さく返事をして俯いてしまう。
ここらの魔物は雑魚ばかりだし、このままでも何とかなるだろう。
その後、事あるごとに自分で歩くと言ってワシから逃げようとしていたが、ワシがその手を緩めることはなかった。
クロードも途中で諦めてしまったのか、赤い顔で俯いたまま、無言でワシに抱かれていたのである。
「そろそろ下ろしてやろうか?」
「うぅ……もう大丈夫だって言ってるのに……」
宿の手前の森でクロードを下ろすと、まだ少しふらついているようだ。
これ以上は人目もあるし、さすがに少し可哀想だろう。
宿に入ろうとすると、ワシが開けるより先に扉が開いた。
中から飛び出してきたのは、ミリィだ。
「あ! ゼフ、クロードっ!」
「ミリィさん!?」
「起きたら二人ともいなかったから、探しちゃったじゃないの~! 念話も届かなかったしさぁ」
恐らく今までクロードを抱きかかえていたからだろう。
今までもスクリーンポイントを使っているクロードには、念話が届きにくかったのである。
「他の皆はまだ寝ているのか?」
「えと……うん、夜遅くまでシルシュの看病をしていたから疲れちゃってたみたい」
「それはミリィさんもじゃないですか」
「うん……だから眠くて……あふ……」
そう言って大きくあくびをするミリィは、眠そうに目を擦っている。
「シルシュは多分もう大丈夫。獣人の回復力ってすごいよね~かなり深い傷だったのに、もう大分回復したみたいで今はおとなしく寝ているわ。それより二人して朝早くにどこか行ってたの?」
「あー……」
屈託のない顔で、聞きにくい事を聞くミリィ。
参ったな、何と答えたらいいものか。
「……ボクが話します。せめてそれくらいは」
悩むワシの前に、クロードが一歩踏み出して今まであった事を語り始める。
自分の家の事、兄の事、グレインの事、そして二人と戦い、殺してしまった事を……。
まるで懺悔をするように、たどたどしいクロードの話を、ミリィは真剣な顔で聞いていた。
「……それで、ボクは……っ」
「――――うん、大変だったね、クロード」
そう言ってミリィは優しくクロードを抱き締める。
ミリィの小さな胸の中で、涙に震えるクロード。
こいつも中々、リーダーとして様になってきたではないか。
感嘆の息を吐いていると、ミリィがクロードを抱えたままワシに手招きをしている。
何か用だろうか、そう思いミリィの傍に行くと、思い切り頬をひっぱられた。
「な、なにごふぉだ!」
「それはこっちのせ・り・ふよ~っ!」
そのまま頬をぐにぐにされつつ、ミリィは更にワシに顔を近づけてくる。
目をとがらせて歯を剥き出しにするミリィ、何に怒っているというのだ。
「ゼフっ! あんたは副リーダーなんだから、クロードが無茶したら止めないとダメでしょうっ!」
「ふぉ、ふぉうはいっへもしふぁたがなふぁったのだ!」
「言い訳無用っ! それに私にっ! 私たちに黙ってそんな事しちゃダメじゃないっ! 勝手な行動はやめろっていつも言っているのはゼフでしょう!?」
「う……」
確かにそうだった。
しかしあんな修羅場にミリィたちを連れていくわけには……。
黙り込んでいると、ミリィがワシの頬を持っていた手を放す。
そしてワシの頭を掴み、クロードと同じように自分の胸に抱き寄せてきた。
顔に小さな膨らみが当たり、そこからミリィの身体が震えているのが感じ取れる。
心配、しているのであろう。
「ばか、私たちの事、もっと信用しなさいよね」
「……すまん」
ワシがミリィに黙って抱き寄せられているのを、クロードが複雑そうな顔で見ていたのであった。
しばらくそうしていたであろうか、眩暈と共に疲労と眠気が波のように押し寄せてくる。
どうやらワシの気力に限界が訪れたようだ。
一晩中シルシュに回復魔導をかけ続け、更に今しがた激戦を繰り広げてきたのだ。
そのままミリィに体重を預け、足元から崩れ落ちてしまった。
「ゼフっ!? 大丈夫っ!? ゼフってば!」
「しっかりしてください、ゼフ君っ!」
二人の声を遠くに感じながら、ワシの意識が暗闇に飲まれていく。
必死にワシの身体を揺する二人に、心配するなと声をかける事すら叶わず、ワシはそのまま意識を失った。
暗闇の中、ケインがクロードを睨み付け、憎しみに歪んだ顔で罵倒を繰り返している。
罵倒の内容は、ケインが死ぬ前に吐いた、呪いの言葉であった。
「クロード、お前は必ず仲間を裏切る! 大切な仲間とやらをな!」
「ボクは……そんなことは絶対にしないっ! 誰も裏切ったりなんかしないっ!」
必死に反論するクロードを、ケインは冷笑を浮かべながら見下ろしている。
「は……どうかな? 確かに今はそうかもしれないな。今はな」
「ずっとです! ボクは誰も……」
クロードはそれ以上何も言い返せず、目に涙を溜めて俯いた。
そんなクロードを嘲るように嗤うケインは、その視線をワシへと移した。
「お前もそう思うだろう、ゼフよ」
ケインの言葉と共に、ワシの脳裏に未来で見た光景が写し出される。
ワシをフレイムオブフレイムから失墜させたきっかけとなった、スカウトスコープのスクロール。
ミリィの父親が遺したそれを、魔導師協会に持ち込んだ未来のクロードの姿。
連続でフラッシュバックするその光景に、ワシはごくりと息を飲んだ。
「なぁゼフ、クロードは絶対にお前を、仲間を裏切る。お前はそれを知っているハズだ」
「……そんなわけはない。ワシはクロードを信じている」
「くく、その割に青い顔をしているぞ……」
「黙れ……っ!」
「くくはははは! ははははっ!」
ワシの言葉を無視するように、ケインは高笑いをしながらその姿を失っていく。
「くそったれが……」
吐き捨てるようにそう言った後、無言で俯くクロードの傍に寄る。
声をかけようとすると、虚ろな目をしたクロードがその手に剣を握っていた。
ぽたぽたと、剣から落ちているのは血だ。
見るとクロードの足元は血で真っ赤に染まっており、血溜まりの中にはワシの見知った少女が横たわっている。
――――それは胸を貫かれ、血を流すミリィであった。
「~~っ!?」
思わず飛び起きると、辺りは真っ暗であった。
あのまま夜まで寝ていたのであろう。
余程疲れていたのか。
「はぁ……はぁ……くそっ、ケインめ……」
嫌な汗をかいてしまったのか、服がべとべとで気持ちが悪い。
ケインの奴があんな事を言うから、変な夢を見てしまったではないか。
クロードがミリィを殺すなど、絶対ありはしないというのに……。
痛む頭を押さえながら、辺りを見渡すと皆、疲れているのかぐっすりと眠っている。
ふと、ミリィとクロードの姿が見当たらない事に気づいた。
どくん、と心臓が嫌な音で鳴り、また汗が背筋を伝う。
まさか、いやしかし……心配になり、二人を探そうと立ち上がろうとするとまだ身体が言う事を聞かない。
というか腰の辺りが重い。
どうも何かにまとわりつかれているようだ。
……というかこれは……。
布団をめくると、ミリィとクロードがワシを挟むように布団に潜り込んでいた。
隣の空だった布団は、二人のものだったのだろう。
それにしても二人して、何という寝相の悪さだ。
「ん……ゼフぅ……」
「ゼフ君……」
「ははは……」
寝言でワシの名を呟く二人は、眠っているにもかかわらず仲良くその手を握っている。
仲の良さげな二人の様子に、つい笑みが漏れてしまう。
仮に、仮にだが二人が争うような事があれば、絶対にワシが止めてみせる。
そう決意したワシは、二人の肩に腕を回して強く抱き寄せた。
二人とも少し苦しそうな顔をしつつも、ワシのなすがままにその身を委ねるのであった。
