監禁された女子中学生に「なぜ逃げなかったのか」と問う人々の決定的な間違い
逃げられなかった「理由」を問うてはいけない!
誘拐監禁されていた女子中学生が2年ぶりに保護されました。途端にわき起こった「なぜ逃げられなかったのか」を検証する報道。「大声を出せば逃げられたのでは」「窓を破ればいい」「ネットも使えたようなのになぜ」等々、テレビのコメンターがしたり顔で疑問を口にしていました。
「もっと早く保護できていれば」と、失われた2年を悔やむ気持ちもあるのでしょう。しかし、なぜ逃げなかったのかという問いは、「その気になれば逃げられたはずだ」と、被害者を非難するニュアンスを含みます。テレビ番組で、犯罪ジャーナリストの小川泰平氏がコメンテーターに対し「監禁されてない方はそう言います」「監禁されたことのない方は簡単にそうおっしゃるんです」と疑問を退けたのには、内心拍手喝采しました。
逃げなかったのではなく、逃げられなかった。
逃げられなかったのは、怖かったから。
想像してみてください。加害者は監禁当時21歳です。大人の私たちから見ると社会経験も乏しい学生サンかもしれませんが、当時13歳の中学1年生からすれば「オッサン」。知的にも体力的にも、とてもかなわない大人に見えたことでしょう。
「なぜ逃げなかったのか」……これは、性犯罪やDVの被害者にも、無邪気に無神経に投げかけられる質問です。「逃げられたはずなのに逃げなかった。本当は、逃げたくなかったのでは」と、挙げ句、合意があった、自己責任だとされてしまうことも少なくありません。
逃げられなかった理由を問うことは、暴力に晒された被害者の落ち度を問う「加害者の肩を持つ発言」だということを、いったいどれだけの人が自覚して口にしているでしょうか。
暴力にあったときの自分の心を守る無意識の反応
私たちは、危機に陥ったとき「闘争(fight)」または「逃走(flight)」しようと試みます。しかし、闘うことも逃げることもできないとさとると「凍結(freeze)」が起こります。心を固く凍らせて、苦痛を回避しようとするのです。
レイプされている自分を上から見ていた、といった話をする被害者は少なくありません。心を体から切り離してその場を生き延びようとする無意識の反応を「解離」と言います。解離を起こした被害者は、一見従順そうに見えるかもしれません。解離は、私たちが大きな苦痛から自分の心を守るためのシステムなのです。
自分で自分を守れないという「絶望」と加害者による「洗脳」
暴力により相手の意のままにされたという経験は「絶望」をもたらし、自己評価を下げさせられます。そこへ畳みかけるように加害者は「洗脳」を行います。「お前は逃げられない」「誰もお前を助けてくれない」「お前は俺といなければ生きていけない」等々。それでも逃げだそうとすると、さらに酷い暴力が振るわれます。
自分は自分を守れない。自分は暴力に屈してしまうダメな人間だ。繰り返し与えられる恐怖によって、そう思わされてしまうと、被害者はもはや逃げだそうとはしなくなります。それを「学習性無力感」と言います。絶望に満ちた生活を送る苦痛を少しでもやわらげるために、加害者に好意を持とうと努力する被害者さえいます。無力感や絶望感でできた「見えない檻」の中に入れてしまえば、暴力を振るわなくても、四六時中監視しなくても、被害者は逃げ出せなくなるのです。
「なぜ逃げ出すことができたのか」と問うべき
暴力がもたらす恐怖は並大抵のものではありません。誘拐にしろDVにしろ、監禁状態が長く続けば続くほど、自己評価が下がり、無力感に支配されていきますので、「逃げられないのが普通」だと考えた方がいいでしょう。
しかし、彼女は逃げたのです。170円と自分を証明するための生徒手帳を持って。慎重にシミュレーションもしてきたのでしょう。だからこそ、チャンスを生かすことができた。
たったひとりで、誰の支えもなく、彼女は生き延びてきたのです。逃げ出してきたのです。ローティーンの女の子が、2年ものあいだ男の支配下に置かれながら、なぜ逃げ出すことができたのでしょうか。
「なぜ逃げ出すことができたのですか」
問うならば、こちらでしょう。私たちは彼女から学ぶことがたくさんあるはずです。
福田 由紀子
1969年生まれ。女性支援を専門とする臨床心理士、認定フェミニストカウンセラー、All About「子育て」ガイド。女性のエンパワーメント(力を取り戻す/力をつける)支援をライフワークとしている。DV、虐待、性暴...
福田 由紀子のプロフィール