【家を拾うまで帰れま10】も5日目にはいった。四国カルスト天狗高原から水質日本一の清流仁淀川を経由して高知市内にはいり、昨日は大阪在住の女性Yさんから「ヒビノケイコさんのご自宅で談話会をやるので、もしよかったらさかつめさんも来てください」と連絡をいただき、嶺北地方に足を運んだ。待ち合わせ時刻におよそ90分遅れで到着したYさんはゴリゴリのロリータ衣装に身を包まれていて、私は「今日はやばくなるだろうな」と思った。
二時間遅れで談話会ははじまり、前半は意味のわからない表面的な世間話が繰り広げられた。私は「世間話に付き合わされるために呼ばれたのか」と露骨に不愉快になってしまい、また、Yさんが私に語りかける口調がタメ口であることにも軽い違和感を覚えていた。このままだとうんこみたいな時間が流れてしまうと思った私は、まず、Yさんに「なんでタメ口なのかわかりません」と告げた。告げた途端に、Yさんと場の空気が凍結した。
人間の声には二種類ある。
人間の声には、多分、頭から出ている声と腹から出ている声の二種類がある。頭から出ている声には、話すひと自身の実感や感動や熱量が何も込められていない無機質なものになる。だから、聞いていても何も響くものがない。何も響くものがないばかりか、そんな声ばかりを聞いていると「耳が腐る」とさえ私は思う。反面、腹から出てくる声には、そのひと自身の実感や感動や熱量が強く込められているために、聞いている側にも確実に響いてくるものがある。正直な気持ちで自分の気持ちを話すとき、それは、内容を問わずひとのこころを動かすものになると私は思う。そして、それこそ会話の醍醐味【ライブの感覚】だと私は思っている。
我慢の限界を迎えた私は「あなたたちの会話のすべては腹ではなくて頭から出ている気がして、話を聞いていても、何も響いてくるものがありません。Yさんの言葉も、ゴスロリ衣装を通じて自分以外の何者かの仮面を被って話されているような気がするので、あなたの実態が何もわからない。実態がわからないひととは、私は、コミュニケーションをとることはできません」的なことを伝えた。他にも幾つかの違和感を連続して伝えると、あれだけ軽妙なトーンで会話を続けていたYさんは完全に黙り込み、そして、Yさんの瞳からは涙が流れた。
ゴスロリ少女が少女になった。
しばらくした後に、Yさんは「昔付き合っていた彼氏とも、何も自分を出せていないっていう感じがすごいしていてこのままだとほんとうに彼氏に殺されてしまうんじゃないかとか、逆に、自分が自分を止められなくなってしまっていつか実際に誰かを殺してしまう日が来てしまうんじゃないだろうかとか感じていた時があって、その時はほんとうにものすごいつらくて、でも、あれは彼氏の問題ではなくて自分で自分を殺してしまいかけていた自分の気持ちの問題なんだなって後から気付いたことがありました」と話した。
私は、Yさんのこの言葉は「腹から出ている」と感じた。やっと、ここで、自分はYさんと会話を交わすことができているような気持ちがして嬉しかった。さっきまではふわふわした頼りないタメ口で話していた彼女も、いま、確かな口調で自分の実感を話している。その姿は、さっきまでのゴスロリ少女とは明らかに別人の少女がいた。ゴスロリ少女の仮面をカチ割った先には、野に咲く可憐な花のような、ひとりの少女がいた。
次の予定があったために、私は「そろそろ帰ります」と告げた。すると、談話会に参加していたメンバーは皆、会場の外まで出て来て私達を見送ってくれた。Yさんや、Yさんの友達のMさんも一緒になって「今日はお会い出来て嬉しかったです」と、最後に握手を求めてくれた。私は、なんだかとても嬉しくなってしまった。そして、握手を求めてくれた彼女たちを見て、私は「かわいい」と思った。そこにいるのはメンヘラでもない、コミュ障でもない、ゴスロリでもない、確かに輝く可憐な美少女がいた。
『代表的日本人』
今回の「わたり文庫無料郵送の一冊」は、私が心の底から愛する魂の一冊・内村鑑三著作『代表的日本人』です。新渡戸稲造「武士道」、岡倉天心「茶の本」と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作です。先日足を運んだ愛媛県の大洲市には、中江藤樹先生の思想が現在も息づいていた。ご希望される方は、何かしらの方々で坂爪圭吾までご連絡ください。御当選(?)された方には、24時間以内に折り返しご連絡いたします。
【参考HP】わたり食堂・わたり文庫
殺してあげることが、優しさ。
良い言葉「他人を斬る時は、返り血を浴びる事を覚悟しなければダメだ」 https://t.co/521qtEjCSc
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月9日
私の生き方を見て「ペイフォワード【恩送り】みたいですね」と言ってくれるひとが頻繁にいる。多分、家を持たず、金も持たず、定職を持たないままに俗世を渡り歩いている姿を見て、そんな風に思ってくれるのだろう。しかし、自分自身としては恩送りをしているつもりもないし、恩送りという考え方を広めたいとも思わない。そんなことを昨夜会った女性と話していたら、彼女は「私には、坂爪さんはペイフォワードみたいには思えません。むしろ、真逆だと思いますよ」と話してくれた。
彼女曰く「私にとって、愛と暴力は切っても切れない関係性にあるものだと思っています。坂爪さんが持っている優しさの魅力は、斬り合うことの中に、自分の存在を賭けて目の前の相手と斬り合ってくれることの中にあると思います。悲しむひとを励ますことだけではなく、弱ったひとを慰めることだけではなく、それは、ぶつかり合うことを通じてゴスロリ少女が少女になったように、お互いに『斬り合う』ことの中にあるものだと思います」
仁淀川が流れる中津渓谷の急流の中で、軽い生命の危機を覚えながら川遊びをした。一歩足を踏み間違えたら死ぬかもしれないという恐怖の裏側には、自分は生きているのだという確かな生命の実感がある。死ぬかもしれないという恐怖の際に、私は、生きていることの実感を見出していきたいのかもしれない。古い自分には何度でも死んでもらわないと、次に行くことはできないのだ。死ぬことを怯まず、傷つくことを恐れず、返り血を浴びることを厭わず、その先にある生命の実感【よろこび】に向かって邁進したいのだと思う。
このひととなら幸せになれるかもしれないというつながりよりも、このひととなら別に不幸になっても構わないと思えるつながりの方が、多分、強い。幸も不幸もなんでも来い【別に不幸になっても構わない】と思っているその時に、もしかしたら、その人は幸せのど真ん中にいるのかもしれない。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月11日
生もよし。死もよし。 pic.twitter.com/JDrC81SOIR
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年4月12日
人生は続く。
静岡県熱海市伊豆山302
坂爪圭吾 KeigoSakatsume
TEL 07055527106 LINE ibaya
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