愛聴している武田邦彦さんのPodcast番組の「遅れず」という回はとくに考えさせられました。音声とスクリプトはこちらです▼
時間厳守はなんのため?
武田先生は、【時間に遅れない、何があっても言い訳をしない】と決めてずっと実践されているとのこと。そのために約束の時間に1~2時間の余裕を見ているそうです。交通渋滞や電車の遅延も言い訳しない徹底ぶりです。そうすることで「自分の気持ちがラク」「人からの信頼を得られる」そして、「過ぎていく時に透明感がある」とおっしゃっていました。
私は武田先生のように1~2時間前行動はしていませんが、わりと余裕を持って行動する方です。それはギリギリ時間で行動することが自分にとってストレスだからです。でもこれを他人に求めると疲れますね。
他人の時間軸に振り回されない
私の友人に必ず時間に遅れる人がいます。5分や10分ではなく、30分~1時間単位。時には2時間。彼女は「遅れる人」なんですね。直らない。ただ、自分の時間を彼女の時間軸で振り回されないようにだけは注意しています。彼女のためにイライラしたり、時間を無駄にはしない。遅刻魔の彼女ですが、それを補って余りある魅力のある女性なのです。そんな彼女が好きなので「待たされている」という被害者意識を持ちたくないのです。
例えば待ち合わせ場所を工夫するとか、時間厳守のイベントは誘わないとか。スマホやiPadがあれば、彼女が 遅れた分、私は仕事や雑用を済ませることもできる。「いつ彼女がくるかわからない」というタイムリミットがあるだけに、集中して質の高い時間になっている。少しの工夫で時間を自分軸にすることができますね。
透明感のある時間
でも一方彼女はその間、待ち合わせ時間を気にしながら、遅れる旨を私にテキストしたり、遅れた理由を考えたり、とバタバタと時間に追われているわけです。
武田先生のおっしゃる「時間の透明度」ってこういうことなんだなぁと思うのです。
「人生は小さな損得を考えると大きなものを失う」
「自分の頭脳を護身に使うと人生そのものを失う気がする」
これは身につまされます。生きていく中で、他人にも自分にも言い訳をしてしまうことが多々ある。その時の後味の悪さ…。
「言い訳をしない」と決めたら、行動が変わります。どちらの行動も結局かける労力は変わらないと武田先生はおっしゃっています。その通りだと思います。大きな違いは自分軸で動くか、他人軸に振り回されるか。自分軸であればあるほど時間の透明度が増すのだろうと思います。
「言い訳しない」行動を選んで行きたいと思いました。
関連トラコミュ