物事、理詰めがすべてではありません。
やる気に依存したスタイルというのは聞こえはいいですが、現実性は皆無です。
人間、何かをやるには理由を欲しがるもので、理由がないと継続させることは不可能。
物事を続けるという場合には、何かしらの大義名分が欠かせません。
全体としての方針はポジティブ思考で問題ないのですが、戦術レベルにおいてはさまざまな小技が求められます。
純粋なやる気やモチベーションだけで突破しようというのではうまくいかないでしょう。
コンプレックス、理由作りなど、燃料となるものがなければ途中でだらけてしまい、結果に結びつかないということにつながります。
理論武装は意外と重要
コンプレックスやデメリットによって自分を追い込むのも有効ですが、理論武装という手段も見逃せません。
大義名分によって理由作りをしてしまい、それによって「取り組まなければならない」「自分のやっていることはいいことだ」という思考回路を作る。
これが意外と便利だったりします。
ブログにしろ何にしろ、計画を立てるのは楽です。
しかし続けるということに関しては予想外にむずかしく、外乱の影響がこれでもかとばかりにおよんできます。
疲労、急な用事、他者の意見など、ノイズの要因はさまざま。
それらが徒党を組んで、こちらの努力を潰しにくるのです。
邪魔物からいかにして自分のものを守るか。
ノイズのなかでも精神的な要因は大きいです。
他者の意見や怠け心によって軌道がずれてしまうことは多く、その対策ができると心強い。
そこで理論武装によって自分の道を正当化してしまえば、意外と影響を受けにくいものです。
精神論もまだまだ現役
理論武装やコンプレックスによる動機付けは精神的なもの。
しかしその精神的なものもいまだに使えるのです。
現代では科学技術が発達し、パラダイムも変化してきています。
そのなかで精神論は「古臭いもの」として忌み嫌われていますが、効果が高いのも事実。
いくら情報化がすすんでいるとはいえ、事にあたるのは人間である以上、一定以上の効果はあります。
精神力を無視することはできません。
もしあなたが継続力で悩んでいるのであれば、「自分は何のためにこれをやっているのか」ということを考えてみてください。
それによってやっていることに正当性が生まれ、やる気が出てくることでしょう。
自分のやっていることに肯定的になれないうちは、何をやったとしてもパフォーマンスは悪いまま。大義名分というのはパフォーマンス向上のヒントを与えてくれるのです。
ただし、大義名分での動機付けには哲学というものが大きく関わってきます。
最近の例でいえば、クラウドワークスの「リライト」。
パクリが悪いとわかっていながらも、それを正当化してしまう。
これでは哲学性が疑われますし、大義名分の効果も大きくはありません。
自分の感性や考え方より後に、大義名分というものがあるのです。