2016年4月12日(火)

人工知能に棋士が負けても悲観しなくていい

茂木 健一郎:世界一の発想法

PRESIDENT 2016年4月18日号

著者
茂木 健一郎 もぎ・けんいちろう
脳科学者

茂木 健一郎1962年、東京都生まれ。東京大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学博士専攻博士課程修了。理学博士。第4回小林秀雄賞を受賞した『脳と仮想』(新潮社)のほか、著書多数。

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茂木 健一郎 写真=AFLO
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グーグルが開発した人工知能のAlphaGoが、囲碁のトップ棋士を次々と破っていくニュースは、多くの人に衝撃を与えている。

今年3月、世界最強棋士イ・セドル九段が人工知能AlphaGoと勝負、1勝4敗した。(写真=AFLO)

囲碁は、将棋やチェスに比べると格段に複雑だから、人工知能が追いつくとしてもまだ先だと思われていたのが、この結果。

多くの人が、人間の存在意義は何か、これからの時代には、人間は何をしていけばいいのか、と悩み始めている。

私自身、さまざまな方から、「そのうち、人工知能にすべてとって代わられちゃうんでしょう?」と真顔で相談されることが、多くなってきた。

しかし、そこまで深刻に考える必要もないのではないかと思う。そのことは、今回のAlphaGoの快進撃の意味を考えると、見えてくる。

もともと、チェスや将棋、囲碁は、世界的に見ると「スポーツ」の一部だと見なされている。日本では、身体を動かすサッカーや野球、陸上といった競技だけが「スポーツ」だというイメージが強いが、頭脳を使うスポーツもあるのである。

スポーツとして囲碁などのボードゲームを見ると、人工知能が発達して、人間が負けるようになっても、実はその意義は変わらない。

「走る」ということには、かつては実際的な意味があった。例えば、伝令の役割を担う人が、速く走れるということには価値があった。

マラトンでのペルシャの大軍相手の闘いに勝利したことを伝えるために、マラトンから約40キロ離れたアテナイまで伝令が走り続け、勝利を伝えた後に息絶えたという故事は、速く走ることがかつて持っていた意味を象徴する。

時が流れ、今では、速く走るということ自体の意味はなくなった。自動車や列車、飛行機といった文明の利器を前に、速く走れる人が伝令になる、という需要は皆無である。

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