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普天間返還合意 政治が迷走させた20年

 振り返れば、あまりに長く不毛な時間が積み重なった。

     1996年4月12日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の全面返還に日米両政府が合意して20年。返還はいまだ実現せず、それどころか名護市辺野古への県内移設計画をめぐって国と沖縄県の対立は抜き差しならないものとなっている。

     返還合意は、沖縄で米兵3人による少女暴行事件が起き、反基地感情が高まったのがきっかけとなった。

     当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が「普天間の5〜7年以内の全面返還」を発表した。問題をこじらせたのは、県内に代替施設をつくる条件がついていたことだ。

     この20年、10人の首相、3人の米大統領、4人の知事、4人の名護市長が普天間問題にかかわってきた。

     冷戦後の国際情勢の変化はめまぐるしく、それを反映して在日米軍の位置づけも変化してきた。2000年代に入り、世界的な米軍再編が進み、沖縄の海兵隊も主力がグアムに移転する計画が日米で合意された。

     それにもかかわらず、普天間返還のためには、代わりに海兵隊の基地を辺野古につくるという国の結論だけは変わらない。

     当初、考えられていた代替施設は、1300メートルの滑走路を備えた海上ヘリポート案だった。さまざまな利害が絡み合い、沖合埋め立て案、沿岸部埋め立て案へと変わった。

     現在の計画は、辺野古沿岸部を埋め立てて1800メートルの滑走路2本をV字形に配置し、強襲揚陸艦が接岸できる軍港や航空機に弾薬を搭載するエリアなどを備えた施設だ。

     面積こそ普天間の半分以下に減るが、翁長雄志(おながたけし)知事は「100年使える新基地建設だ」と反発している。

     計画は二転三転し、その間に代替施設の規模が膨らんでいった。このようなやり方で地元に理解してほしいといっても難しい。

     政治家の責任はことのほか重い。

     歴代の自民党政権は、返還合意当時からの環境が変わったにもかかわらず、県内移設ありきで計画を進めてきた。また、民主党政権時の鳩山由紀夫首相は、成算のないまま「最低でも県外」と唱え、迷走の末、辺野古に回帰した。

     仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事は13年末、当選時の県外移設公約を事実上、覆す形で、辺野古埋め立てを承認した。

     国は、日米同盟の抑止力を維持し、普天間の危険性を除去するためには「辺野古移設が唯一の選択肢」と繰り返す。だが、沖縄から見れば、なぜ移設先が辺野古でなければならないのか、説得力がない。民主主義や地方自治にもとると映る。

     ここまで進まない計画はやはり無理がある。見直すしかない。

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