【タイ】豊かさが消滅を導いた悲しい王朝「アユタヤ」の姿を見る旅
タイのアユタヤ歴史公園にはアユタヤ王朝の数多くの建造物が現存していますが、一体どんなところだったのか想像できますか?本日は「王宮跡 古都アユタヤ」について写真と動画を交えてご紹介します。
王宮跡 古都アユタヤとは?
※写真は、ワット・チャイワッタナーラーム
アユタヤ歴史公園には、アユタヤ王朝の遺跡が多く残された公園で、周辺にある遺跡とともに「遺跡群」として「古都アユタヤ」の名前で世界遺産に登録されています。アユタヤ王朝は、現在のタイ中部アユタヤを中心に展開していたタイ族による王朝で、創設者は「ラーマーティボーディー1世(ウートーン王)」。王統は一つではなく、5つの王家にわかれていました。
アユタヤ歴史公園には、アユタヤ王朝の遺跡が多く残された公園で、周辺にある遺跡とともに「遺跡群」として「古都アユタヤ」の名前で世界遺産に登録されています。アユタヤ王朝は、現在のタイ中部アユタヤを中心に展開していたタイ族による王朝で、創設者は「ラーマーティボーディー1世(ウートーン王)」。王統は一つではなく、5つの王家にわかれていました。
王宮跡を含むアユタヤー遺跡群は、チャオプラヤー川とその支流のパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中しています。当時、敵からの防御の為に王宮中心部の回りに運河を掘った為、中州に集中する形になったものだと考えられています。
公園内には寺院跡、王宮遺跡が9つある
主な(観光対象)建造物は、ワット・プラシーサンペット、ワット・ローカヤスターラームなどの寺院跡、王宮跡です。公園内には、王宮、ワット・プラシーサンペット、ウィハーン・プラモンコンボーピット、ワット・ウォーラチェーターラーム、ワット・ローカヤスター、ワット・ラーチャブーラナ、ワット・マハータート、ワット・プララーム、ワット・ウボーソットの9つの遺跡があります。
富の象徴である数々の寺院
中心都市であるアユタヤは、流れが穏やかなチャオプラヤー川に位置しており、貿易には適した地形でした。王はその独占貿易で莫大な利益を得たため、数々の寺院(ワット)を作り出したと言われています。この遺跡群は、当時この地を治めていた王の「富の象徴」なのです。
アユタヤ王朝の消滅
アユタヤの建造物の多くが、世界的にみて比較的新しい年代の建造物なのに、ほとんどの建造物が煉瓦のみになっているのはなぜでしょう?
史実によると、貿易で巨額の富を得て栄えていたアユタヤ王朝は、1767年、ミャンマーに攻撃を受けて消滅・・・その際に、アユタヤ市内の建造物や石像も徹底的に破壊されてしまい、ほとんどの寺院は廃寺になり、立派だった王宮も台座のみを残す姿となった、ということです。
史実によると、貿易で巨額の富を得て栄えていたアユタヤ王朝は、1767年、ミャンマーに攻撃を受けて消滅・・・その際に、アユタヤ市内の建造物や石像も徹底的に破壊されてしまい、ほとんどの寺院は廃寺になり、立派だった王宮も台座のみを残す姿となった、ということです。
木の根で覆われた仏頭
ワット・マハータートにある仏頭は、木の根で覆われていることで有名。ワット・マハータートについては以下参照。
ラーマーティボーディー1世による建立と伝えられるが、『アユタヤ王朝年代記』は、1374年のパグワ王(ボーロマラーチャー1世)による建立と伝える。この後、寺院が完成したのはラーメースワン王の治世となる。この後、中央の仏塔はソンタム王の時代に崩れ、プラーサートトーン王によって修復されたが、ラーマ5世(チュラーロンコーン)の時代に再び壊れた。寺院の建築は、中央にロッブリー様式の大きな仏塔があり、その回りを小さな仏塔が囲み、その回りを回廊が囲んでおり、礼拝堂と仏堂が東西にあったと推測されている。 wikipedia
寺院(ワット)だけど寺院じゃない
写真は、ワット・プラシーサンペット。ここアユタヤにある遺跡群の名称にはワット(寺)とされている物がありますが、実際は寺院ではないそうです。名称は「御吉祥活仏寺院」程度の意味だそうで、この地は王専用の仏教儀式の場とされていた、などの伝説があるんですって。伝説って・・・と思いますが、発見されたときには、すでに墓泥棒に荒らされた後・・・様々なものがなくなっており、詳しい記述がある資料も少ないようですね。
ちなみに、ワット・プラシーサンペットの遺跡は、大きな被害を受けた仏塔遺跡とは違い、ほぼアユタヤ時代のままの姿だそうですよ。
ちなみに、ワット・プラシーサンペットの遺跡は、大きな被害を受けた仏塔遺跡とは違い、ほぼアユタヤ時代のままの姿だそうですよ。
アユタヤが滅んだもう1つの理由
ミャンマーに攻撃され消滅したアユタヤですが、この時代が破滅へ向かった理由は、戦争ではないようです。アユタヤ時代の初期は王も民衆も仏陀を崇め仏陀を信じ、一丸となり敵と戦ってきたのですが、後世になると富を得た王はより権力を得るために、自分を神(仏陀)と同様に崇めるように民衆に伝えていたようで・・・そのため権力を得るどころか民衆の心が離れていき、結果として国は自ら衰え滅びた、という見解もあるようです。写真は、ワット・ローカヤスターラームの涅槃仏・・・「調子に乗って、なにしてんだか・・・」という声が聞こえてきそうです・・・
さあ、旅に出かけよう!
今回は、タイにある「王宮跡 古都アユタヤ」をご紹介してまいりました。細かいことを言えば「遺跡群」という事でそれぞれの建造物にそれぞれの歴史があるのですが・・・今回は主に「アユタヤ時代」に関して、ざっくりとお話しさせて頂きました。なんとなく、どんなところか伝わりましたでしょうか?実はこの公園外にも多くの遺跡が現存します。詳しい歴史を何も知らなくとも、一目見れば圧倒されること間違いなし!タイを訪れた際には、多くの遺跡が現存する「アユタヤ」にお立ち寄りください。