原爆犠牲の米兵遺族と広島男性の交流描いた映画上映会

原爆犠牲の米兵遺族と広島男性の交流描いた映画上映会
k10010476861_201604130443_201604130444.mp4
広島に投下された原爆で亡くなった捕虜のアメリカ兵を調査してきた広島市の男性と、アメリカ兵の遺族との交流を追った映画がアメリカ人の監督によって製作され、12日夜、都内で関係者を招いて上映会が開かれました。
この映画は広島市に住む被爆者森重昭さんが、広島に投下された原爆で当時、捕虜として収容されていたアメリカ兵12人が死亡していたことを調べ、その事実をアメリカに住む遺族たちに伝えてきたドキュメンタリーです。
映画では、森さんがアメリカに手紙を何度も送って遺族を捜し出し、国籍に関係なく犠牲者を追悼したいという思いを伝えたことや、広島を訪れた遺族が森さんと対面する様子などが記録されています。
アメリカでは、原爆でアメリカ兵が死亡していたことはほとんど知られておらず、12日夜、上映会であいさつしたアメリカ人のフレシェット監督は、森さんの取り組みに感動し、この映画を作る決意をしたと語りました。
上映のあとにはゲストとして招かれた森さんが紹介され、集まった200人余りから大きな拍手を送られていました。
森さんは「長年、1人でやってきた調査のことを思い出し、涙が出てきました。きょう多くの人に見てもらえて夢のように感じました」と話していました。
ことし2月に完成した、この映画はアメリカでも上映される予定で、フレシェット監督は、この映画を通してアメリカ国民にも核兵器の悲惨さを伝えたいとしています。

追悼平和祈念館に米兵12人登録

広島市の平和公園にある国の追悼平和祈念館には、原爆で亡くなった人の名前と遺影が登録され、一般に公開されています。この中には原爆が投下された際に広島市内で捕虜として収容されていたアメリカ兵も登録されています。
祈念館への登録には遺族からの申請が必要で、その手続きに尽力したのが被爆者の1人で、長年、原爆で死亡したアメリカ兵の調査を続けてきた広島市に住む森重昭さんです。
森さんは「原爆の悲劇に国籍は関係ない」として、アメリカにいる遺族を捜しあて、申請書を書いてもらったり、遺影を送ってもらったりしました。その結果、平成16年に初めてアメリカ兵の名前と遺影が登録されて以降、祈念館には、これまでにアメリカ兵12人が登録されました。
原爆で死亡したアメリカ兵の存在を巡っては、アメリカ政府が80年代前半まで公式に発表しなかったことなどからアメリカ国民の間ではほとんど知られておらず、森さんによりますと、遺族の中には森さんが連絡を取るまで被爆して死亡したことを知らなかった人もいたということです。

「何が起きたか忘れないこと重要」

この映画を製作したバリー・フレシェット監督が都内でNHKのインタビューに応じ、「アメリカでは原爆で12人のアメリカ兵の捕虜が亡くなったことはほとんど知られていない。残された遺族たちのために長い時間をかけてアメリカ兵に何が起きたのかを明らかにしてきた森重昭さんに光を当てることが製作のきっかけになった」と話しました。
また、フレシェット監督は映画の重要なシーンとして、森さんとアメリカ兵の遺族が初めて会う場面を取り上げ、「森さんは実際に遺族と会えるとは考えていなくて緊張していたが、異なる文化、グループの人たちが1つになった場面だった」と話しました。
そのうえで、「みずからも被爆者でありながら広島に原爆を落としたアメリカのために活動を続けてきた森さんを通して、戦争を2度と繰り返さないためにも実際に何が起きたかを理解し、忘れないことが重要だと伝えたい」と述べ、広島の被爆の実態を後生に伝える重要性を指摘しました。