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ベゾスは金融界でソフト開発

ハイテク業界で大きな成功を収めた人たちは、25歳のときにいったい何をしていたのだろうか。

彼らの多くは、すでに1億円企業を設立していたり、そうした企業と取引をしたりしていた。だがなかには、この世界で少しでも影響力のある人物になりたいと夢を描いているだけの若者もいた。

簡単に言えば、彼らが何をしていたかは人によってさまざまに異なっている。つまり、成功への道は1つではないのだ。

このことを理解してもらうために、彼らが25歳のときに何をしようとしていたのか、当時の様子をまとめてみた。

スティーブ・ジョブズ:自分の会社を上場し、億万長者に

アップル・コンピュータ(当時)は、1980年12月に株式公開を果たした時点で120億ドルの市場価値を達成。共同創設者たちは超大金持ちになった。ジョブズはその3人のうち1人で、当時25歳だった。

彼はそのとき、お金に自分の人生を振り回されることが決してないようにしようと誓ったと、後に伝記作家のウォルター・アイザックソンに対して語っている。

ラリー・エリソン:プログラマーとして雑用をこなす日々

後にオラクルを立ち上げて億万長者になったエリソンは、大学を中退した後、22歳のときにカリフォルニア州バークレーに移り、大学で学んだ知識を活かして独学でコンピュターを学び始めた。

そして、ファイアーマンズ・ファンド、ウェルズ・ファーゴ、アンペックスといった企業でちょっとした技術職に就いた後、最終的にアムダールに辿り着いた。そこで彼は、IBM互換メインフレームシステムの仕事に初めて携わることになる。

ジェフ・ベゾス:金融業界で割のいい仕事に従事

後にアマゾンを立ち上げてCEOに就任したベゾスは、24歳のときにバンカーズ・トラストで働き、金融機関向けの革新的なソフトウェアを開発していたと、『Jeff Bezos: The Founder of Amazon.com』(アン・バイヤーズ著)には書かれている。

その2年後、ベゾスは同社で最年少の副社長に就任した。

イーロン・マスク:自身初のインターネット企業を経営

25歳になる前にスタンフォード大学の博士課程を中退したマスクは、ドットコムブームに乗って初のインターネット企業ジップ2を立ち上げ、企業要覧や企業地図のサービスを手がけていたと、『イーロン・マスク 未来を創る男』(アシュリー・バンス著)には書かれている。

その4年後、コンパックが彼の会社を3億700万ドルで買収。マスクはその金を使って、自身で2番目の会社となるペイパルを立ち上げた。

シュミットはプログラマーの下積み時代

マリッサ・メイヤー:グーグル20人目の従業員となり、入社1年目を過ごす

メイヤーは24歳のとき、グーグル20番目の従業員かつ同社初の女性エンジニアとなった。そして、13年間同社に在籍した後、現在の職務であるヤフーのCEOに就任した。

当時のグーグルは、今のような豪華なキャンパスを持っていなかった。メイヤーは「ブイメーカーズ」サイトのインタビューで次のように語っている。

「面接を受けたのは1999年4月で、グーグルは当時社員7名の会社だった。会社に着いた私が面接を受けたのは卓球台で、それが会議用テーブルも兼ねていた。それに、この日はちょうどベンチャー投資家から出資してもらおうとしていたときだったため、ラリーとセルゲイは私の面接を終えた後、オフィスの全員を連れて出かけなければならなかった」

当時は、オフィスにいる全員から面接を受けなければならなかった。メイヤーは、面接の続きを受けるために翌日も戻ってこなければならなかったという。

マーク・ザッカーバーグ:フェイスブックが初めて黒字を計上し、3億人のユーザーを獲得

ザッカーバーグは25歳になるまでの5年間、フェイスブックで仕事に明け暮れていた。そして、25歳になった2009年、Facebookは初めての黒字を計上し、3億人のユーザーを獲得した。彼はこのことを非常に喜んだが、これはまだ始まりにすぎないとして、Facebookに次のように投稿している。

「私たちは今回のことを、すべての人をつなぎたいという目標に向けた始まりにすぎないと考えています」

翌年、彼は『タイム』誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

アルファベット会長エリック・シュミット:コンピューター科学に関する知識と経験を蓄積

カリフォルニア大学バークレー校で大学院生として6年を過ごしたシュミットは、コンピューターのネットワーク化と分散ソフトウェア開発の管理に取り組み、27歳までに修士号と博士号を取得した。

彼はその夏、有名なゼロックスのパロアルト研究所で働き、われわれも知っているコンピューター・ワークステーションの開発を手伝っていた。そこで彼はサン・マイクロシステムズの創業者と出会い、初めて企業に就職することになった。

プログラマーであった下積み時代について、彼はこう述べている。「夜のほうがコンピューターが速く動いたので、夜には誰も寝る者はいなかった」

シェリル・サンドバーグ:後にメンターとなるローレンス・サマーズと出会い、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得

1991年にハーバード大学経済学部を首席で卒業したサンドバーグは、世界銀行に就職。彼女の指導教授でメンターでもあったサマーズ(後に財務長官に就任)の下で働き始めた。その後1993年にハーバードに戻り、1995年に25歳でMBAを取得した。

その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーで働き始めたが、1996年から2001年までは、ビル・クリントン政権で財務長官となったサマーズの補佐役となった。

2001年にグーグルに移籍。2007年にフェイスブックの最高財務責任者となった。彼女はハーバード・ビジネス・スクールで2015年に行った卒業式祝賀スピーチにおいて、同校での経験がインターネットの可能性を見出すのに役立ったと語っている。

「今みなさんがいる場所に私が座っていたのは、それほど前のことではありませんが、その間に世界はすさまじい変化を遂げました。私が属していたセクションBでは、ハーバード・ビジネス・スクール初のオンラインクラスを立ち上げようとしていました。

私たちは、AOLのチャットルームとダイヤルアップサービス(わからなければみなさんのご両親に聞いてください)を使わねばなりませんでした。また、スクリーンネームを配布する必要もありました。なぜなら、実名をインターネットに晒すことなど考えられなかったからです。

しかし、インターネットはクラッシュ続きでした。当時の世界は、オンラインで1度に90人の人がコミュニケーションを取れるようにはなっていなかったのです。しかし私たちは、短い間ではあっても未来を垣間見ました。テクノロジーによって私たちが何者であるかがわかり、同僚や家族や友人とリアルにつながることができる未来です」

ナデラは24歳でマイクロソフト入社

ビル・ゲイツ:人生初の大きな取引を成功させる

ゲイツは、ハーバード大学を中退した後、21歳でポール・アレンとともにマイクロソフトを立ち上げたが、ゲイツに初めて大きなチャンスがやってきたのは、IBMと巧妙な契約を結んだときだった。

1980年、IBMは次に発売するコンピューター向けのオペレーティングシステムが必要になったため、マイクロソフトにOSの開発を委託した。しかし、当時25歳のゲイツはOSを開発するのではなく「CP/M-86」と呼ばれるOSのライセンス供与を受けることに決めた。

彼はその後方針を変え、CP/M86のクローンである「QDOS」を購入して、どの会社にもライセンス供給できるようにした。このOSが「MS-DOS」として知られ、広く普及することになる。

ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン:グーグルを立ち上げる

ブリンとペイジは、ともに25歳だった1998年にグーグルを立ち上げた。2人が出会ったのはその数年前。スタンフォード大学で行われたオリエンテーションのときだ。

最初に受けた出資は、サン・マイクロシステムズの共同創設者アンディ・ベクトルシャイムからで、額は10万ドルだったが、ここで問題が起こった。小切手がグーグルに振り出されたのだが、グーグルはまだ法人化されていなかったのだ。そのため、2人はその小切手を換金するために必要な書類を提出しなければならなかった。

エバン・シュピーゲル:現在25歳で、資産21億ドル

シュピーゲルは21歳のとき、「スナップチャット」のアイデアをスタンフォード大学のクラスで売り込んだが、受けはあまり良くなかった。最初の売り込みから3カ月後、彼は「ピカブー」という名でアプリをリリースし、後に名前をスナップチャットに変えた。

それ以来、スナップチャットはとてつもない勢いで広まり、シュピーゲルは21億ドルの資産を保有することになった。彼は現在25歳だ。

マイケル・デル:自分の会社を上場したばかり

マイケル・デルは19歳のとき、大学の寮で「PC’s Limited」という名の企業を立ち上げ、コンピューターの部品を売り始めた。

その1年後、デルは学校を辞めてPC’s Limitedの事業に集中することに決め、後に社名をデル・コンピュータ(当時)に改めた。デル・コンピュータは1988年に上場し、23歳のデルは3000万ドルの資金を調達した。

ジャック・ドーシー:「ライブジャーナル」で「ツイッター」のアイデアを披露

ドーシーは20歳のとき、ディスパッチ・マネジメント・サービス社をハッキングした。同社は、グレッグ・キッドが設立したタクシー配車サービスだった。キッドはドーシーの能力に感銘を受け、ドーシーを勧誘。彼はニューヨーク市立大学を中退して同社に入社することになった。

4年後、彼はライブジャーナルに参加して「Stat.us」のコンセプトを披露。これが後に「Twit.tr」になった。

サトヤ・ナデラ:マイクロソフトに入社

ナデラは22歳のとき、インドのハイデラーバードから米国に移住。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校でコンピューター科学の修士号を取得した。

ナデラはその後、サン・マイクロシステムズで短期間働いてから、24歳のときにマイクロソフトに入社。それ以来、彼は同社にとどまっている。

原文はこちら(英語)。

(原文筆者:Jacquelyn Smith、翻訳:佐藤卓/ガリレオ、写真:EdStock/iStock)

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This article was produced in conjuction with IBM.