話すのが、少し怖くなっていたときだった。
無理してでも、聞き上手になりたいときだった。
だれかの話を無理してでも全部受け止めたいと思っていたときだった。
あなたはね、と言われたのだった。
じぶんの意見を持ってるとは思うけど、じぶんの意見をきちっと返してくるから、それがわたしにはちょっとだけ辛い。
何を言ってもあなたはもっともっと知ってるから、こっちとしては負けた気になっちゃう、と。
何言っても、全部知っているんだろうなぁって、そんなふうに思ってしまう。
そんな痛々しく刺さり続けるトゲみたいな言葉がある日ぼくに刺さってしまい、どうやったら抜けるんだろうと考えては止め、考えては止め、を繰り返していた。
そんな、勝ちとか、負けとかじゃないでしょ。
と苦し紛れに言いたかったけど、そう返すことがもはや勝ち負けを作ってしまうんじゃないかと思って、いやけど勝ち負けなんか考えてないんだよと伝えないとそれはそれでなんだか勘違いさせてしまうよと思ってぐるぐるぐるぐる考えてるうちに、
どうしていいもんかわからなくなった。
ぼくとしては、会話が少しでも楽しくなればいいし、ぼく自身、そうやって話していると楽しかった。
けど、
それがその人にはちょっと窮屈に感じさせてしまっていたらしかった。
ぼくの場合、「一事が万事」になりやすい。
それからの日々は、全く別の人を目の前にしても、
面白い話が出てきて、あ、それさ、たしかさ、なんて話に乗っかろうとするじぶんが出そうになっては「あなたは返してくるから」という言葉が急に目の前を飛び出してきて、口をつぐんだ。
あ、と思っては口をつぐみ、
あ、と思ってはたまに話に乗っかっちゃって後悔して、
そのうち、話すのが怖くなってしまった。
やべ。
と思ったときは遅かった。
話に乗っからないように、話に乗っからないように、と思っていたのに、相手の切り出した話題についついベラベラと喋っていた。
初めて会った人やらそれほど会ったことのない人になら、我慢できたのに、常日頃からベラベラと話していた相手にはどうしても癖が抜けなかったわけだ。
やばいやばい。
嫌がられてる嫌がられてる。
そうやってちょっと静かにしようと決め込んだ。
「大地さんと話すと、いいですよね」
へ?
と真逆の言葉が飛んできて、驚いた。
大地さんと話してると、なんかラリーしてみたいだから。
そういうふうにこっちが話したことが返ってくる感じが欲しくて話すときありますもん」
その言葉が、ふいに刺さっていたトゲを抜いてくれる感じがして、ずいぶん体が楽になった気がした。
ラリーか。
ものは言い方1つでだいぶ変わるな。
*
他人の芝生は青く見えるとは、よく言ったもんで。
そりゃ何を言ってもうんうん言ってくれる人を求める人もいるんだろう。
書いたように、紙になれるひともいる。
けど、そうじゃない人もいる。
ラリーしてほしい人もいるのだ。
だったら今はぼくは、無理せずラリーできる人でも、いい。
人生をかっぽしよう
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