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閑話 グラムの動揺
グラムの街は喧噪に包まれている。
冒険者組合の職員が慌ただしく走り回り、道端ではグラム市民や冒険者達が興奮気味に話に花を咲かせている。
街がまるで年に一度の祭りのような賑わいを見せる一方で、上位ギルドの幹部達と思しき者達が難しい顔で《終焉の迷宮》へと向かっている。
そういうエルフの青年――アハル・サミュエルも上位ギルド白狼の幹部の一人として、ギルマスから確認の命を受け《終焉の迷宮》の入口と向かっている最中だ。
この嵐のような騒ぎの内容はおよそ《終焉の迷宮》の第四の試練が5年ぶりに攻略されたことだ。
31階層以上は水の支配する階層。歩くだけでHPやMPを奪われる蛭共の楽園。レベル10以上でないと1時間ともたず死に至る。
レベル10以上の冒険者は上位ギルドでもそこまで多いわけではない。下位ギルドならなおさらだ。このことが約5年間も《終焉の迷宮》の攻略が進まなかった理由。
アハル達が今回この《終焉の迷宮》に入った理由もこの31階層以下の性質を探るため。実際にこの調査は成功し、レベル17以上ならこの蛭に血を吸われても身体がやや重くなる程度で支障がない事が判明した。
ギルドの総力を結集し、本格的に攻略に乗り出そうと思った矢先での凶報だ。ギルマスはじめ、白狼の幹部たちは皆苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
もっとも、今アハルの頭を占拠しているのは《終焉の迷宮》第四の試練の攻略者ではなく、迷宮地下でワイバーンからアハル達を助けた3人のパーティーだ。
彼らと出会ったのは迷宮地下27階層。
31階層の調査の任務を終え、地上へ戻る道すがら木の木陰で休憩をしていたアハル達は突如空から降ってきたワイバーンというイレギュラーに襲われたのだ。
ワイバーンは他の竜達から竜と見なされていないほど竜族の中では地位も低く力も弱い。されどそれは最強種たる竜の中での話。アハル達一般の冒険者達にとっては竜以外の何者でもない。
アハル達の剣と魔法はワイバーンの鋼のような皮膚に弾かれダメージは与えられない。いつかMPが切れ、魔法による防御壁が消失しアハル達パーティは全滅するのは目に見えていた。
そこでアハルは前衛達を犠牲にした。全員無駄死にするよりは一人でも生存者を増やす。その判断故だ。
仲間を犠牲するのには心は痛んだが、上位ギルド白狼の幹部となったときにこの判断をする日が来ることは覚悟していた。
後衛の防御壁が消えると、あっけなく戦況はワイバーンの方に傾く。ワイバーンが軽く撫でただけで、前衛のヒューマンの冒険者――ダンは蔓の壁に叩きつけられ瀕死の重傷を負う。
次の尻尾の攻撃は何とか防ぎきったものの間髪入れずのワイバーンの左腕がアハルを襲い後方に弾かれる。何とか態勢を崩さないことには成功したがあまりの衝撃で手足がしびれて身動きが取れない。
そして、口腔内に灼熱の火花――。
ブレスだ!
死を覚悟したときワイバーンの身体が不自然に硬直する。その巨体が不可視な何かによって拘束されていると気付いた瞬間、ワイバーンの頭と心臓はいくつもの赤い矢によって粉砕された。
唖然として矢が放たれた方を振り返ると長い黄金の髪を靡かせた彫刻のように美しいエルフが、弓を降ろしたところだった。
「あ~、ボクが倒したかったのに!」
彼女の妹だろうか。金髪の長髪のエルフと顔がそっくりなショートカットのエルフの美少女が頬を膨らませるが、姉らしきエルフに頭を撫でられ大人しくなる。
黒髪の見るからにひ弱そうな少年がアハルの傍まで近づいてくる。
その黒髪の少年に視線を集中し観察する。ヒューマンの中でもぱっとしない顔立ちをしていた。別にヒューマンの中でも特に不細工というわけでもない。ただ顔のすべてのパーツが気持ち悪いくらいに特徴がないのだ。
黒髪の少年は無言で赤色の液体の入った小瓶を1本アハルに渡し、エルフ達二人を引き連れ迷宮の奥へと姿を消した。
渡された小瓶を見つめて暫し茫然としていたが、戦闘不能に追い込まれたダンの事を思い出し、慌てて駆け寄る。
ダンの右腕と左足はワイバーンの一撃でポッキリと折れていて使い物にはならない。これはもう当分戦闘どころではないだろう。それどころか下手をすれば後遺症が残る。そうなればダンは冒険者としてお仕舞いだ。
途轍もない焦燥がアハルの全身を駆け巡る。
アハルは他のエルフと同様ヒューマンは大っ嫌いだ。憎んでいると言っても過言ではない。しかし白狼のメンバーだけは例外。彼らは共に背中を預けて戦った大切な家族。こんなところで失うわけにはいかない。
アハルは少年に渡された小瓶を握りしめる。
このタイミングでアハルに渡したのだ。この赤い液体は回復薬なのだろう。少なくともアハル達を害する飲み物ではないはずだ。なぜなら仮に害する意図があるなら、あのままアハル達を見捨てれば良いだけ。黒髪の少年が毒を渡すメリットがない。
それにアハル達にはダンを直すだけの回復薬は持ち合わせていない。ダンから苦痛すらとってやることすらできないだろう。少しでもダンが楽になる可能性があるなら、それにすがるしかない。もうアハルに選択肢などないのだ。
ダンの上半身を起こし、赤い色の液体を口に含ませ無理に飲ませる。
直後目を疑うべき現象が展開される。
ダンの骨まで見えていた左足と拉げていた右腕がまるで傷自体が幻であったかのように治っていく。たった十数秒でダンから苦悶の表情が消え穏やかな寝息を立て始めた。
「あ、ありえん……」
傍で見ていたドワーフの青年ロスが驚愕を顔一面に張り付けていた。
ロスは40を超えた髭面の中年男性の外見だが、これでもれっきとした24。アハルよりも年下だ。
ドワーフは回復薬製造や鍛冶の技術を生まれながらにもつ種族。伝説級の武具や魔法道具を見て興奮することはあっても、驚くことはない。
そのロスの顔を引き攣らせている様子からして常識では考えられない事態ということなのだろう。
「ロス。さっきの回復薬、なんだかわかるか?」
アハルが空の瓶をロスの眼前に持ち上げる。
「知らんよ。折れた腕や足を瞬時に直す回復薬など神話の中だけの話じゃ」
アハルも同感だった。このグラムは冒険者の聖地だけあり回復薬製造技術だけではあのドワーフ国――ドォルブにさえ匹敵すると言っても過言ではない。
そのグラムのどの高級魔法道具屋にもこのような馬鹿げた回復薬など置かれてはいない。
これはまさしく神話の体現と言っても過言ではない。
その奇跡の回復薬をアハル達見ず知らずの冒険者に分け与える。この事実は黒髪の少年達にとってあの奇跡の回復薬がさほどの重要性を持たない事を暗に示している。普通に考えれば自身で製造できるのだろう。
それに小瓶。こんな透明の瓶などアハルは今までの人生で一度も見たことはない。特殊な魔法道具で作られているのは間違いあるまい。
兎も角、あの回復薬が製造し得るものだとすれば世界の回復薬の常識が根本から覆る。それに少年達はワイバーンを一撃で屠れるほどの強さを持つ。白狼のギルドに加入する資格は十分すぎるほどある。
地上に戻り次第、黒髪の少年達を白狼のギルドメンバーに迎えるべきだとアハルは主張したが、他の幹部達は及び腰だ。
少年からもらった回復薬はダンに使い切り一本も残っていない。アハルが彼らの立場でもこんな荒唐無稽な話を信じられたかは疑問が残る。
しかし、上位ギルドは優秀な冒険者が出現するといかなる手を使っても獲得しようと動き出す。あれほどの力だ。黒髪の少年達が上位ギルドに認識されるのもさほど遠い話ではあるまい。このまま手を拱いていたら他の上位ギルドに確実に先を越される。
あの強力無比な戦力と神話の体現ともいえる回復薬の製造法。この2つが揃えばその上位ギルドはこのグラムでの地位を不動なものとするのは間違いあるまい。
何より黒髪の少年達は今後のこのグラムの勢力図を塗り替えるほどの存在になり得る。そう確信にも似た予感がするのだ。
どうやら目的地についたようだ。思考を中断し《終焉の迷宮》がある冒険者組合が管理する建物に入り、人混みを掻き分け石版に視線を向ける。
石版には次のように刻まれいた。
『《終焉の迷宮》第4の試練攻略。
ギルド名:スピリットフォーレスト。
キョウヤ・クスノキ、ステラ・ランバート、アリス・ランバート』
(スピリットフォーレスト? 知らん名だ。しかも三人? まさか――)
アハルの脳裏には黒髪の少年達の姿が浮かぶ。このアハルの予想は後に、あっさり証明される。
この日、グラムという町は後の最強ギルド《妖精の森》の名を初めて認識したのだ。
お読みいただきありがとうございます。今日はもう1話投稿します。
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