橋本首相とモンデール駐日米大使(ともに当時)が、沖縄県の米軍普天間飛行場返還で合意して、きょうで20年になる。

 「普天間は5年ないし7年以内に全面返還される」。橋本氏は当時そう発表した。だが、返還は今も実現していない。

 返還時期は10年前に2014年に延期され、13年には「22年度またはその後」に。計画は次々と後退を続けている。

 なぜ返還は実現しないのか。沖縄の民意を顧みない政府の姿勢に、最大の原因がある。その象徴が「辺野古移設が唯一の解決策」という硬直した姿勢だ。

 その前提に立つ限り、「辺野古移設はNO」という県民からの理解が得られる見通しは立たない。普天間返還はむしろ遠のくと言わざるを得ない。

 この20年、歴代政権は基地の重圧を訴える県民の声より、米国との関係を重視してきた。

 15年使用期限や軍民共用化などの条件で「辺野古沖案」を当時の知事と合意し、閣議決定までしながら、突然、県の頭越しに日米両政府が「V字滑走路」案を決めたことが一例だ。

 「最低でも県外」と言いながら、米国や日本国内を説得する力を欠いた民主党政権の迷走も忘れるわけにはいかない。

 この20年で、移設案は巨大化していった。当初はヘリポート新設程度とも見られていたが、いまや港の機能や弾薬搭載エリアも備えた新鋭基地に姿を変えた。県は「新基地建設だ」と指摘している。

 04年には普天間に近い沖縄国際大に米軍ヘリが墜落し、事故も現実になった。オスプレイによる騒音被害も絶えない。

 安倍首相は「普天間の危険性の除去が最優先」と強調している。ならば、13年末に仲井真弘多(ひろかず)・前知事が「普天間の5年以内の運用停止」を要求したことを思い出すべきだ。首相は努力を約束したはずである。

 民意の支持を欠いた基地の建設・運用が、円滑に進むはずがない。政府は民意から目をそらさず、目の前の危険性の除去に全力をあげねばならない。

 まずは普天間の航空機を県外や国外の基地に分散移転し、できる限り普天間を使わないよう米政府に働きかけることが急務である。

 安倍政権には普天間所属の空中給油機を岩国基地(山口県)に移転させた実績がある。これをさらに前に進めるのだ。

 そのうえで辺野古移設を白紙に戻し、代替策を探るべきだ。

 事故が起きてからでは遅い。20年の節目に、日米両政府は改めて肝に銘じる必要がある。