塩にまつわる言葉

塩にまつわる言葉

生活体験の中から生まれ、語り継がれてきた“言葉”。
人々の食をはぐくむ“塩”の恵みは、様々な言葉の中にも生きています。塩にまつわる故事やことわざの多さは、塩の大切さ、身近さの表れでもあり、日本のみならず、海外においても同様です。


【あ行】

青菜に塩(あおなにしお)

(青菜に塩をかけると、葉や茎に含まれた水分が外に吸い出され、しおれてしまうことから)急に元気をなくしてしょげるさま。

痛む上に塩を塗る(いたむうえにしおをぬる) 傷口に塩(きずぐちにしお)

(痛い傷口の上に塩を塗れば、しみて一層痛くなることから)悪いことの上に、さらに悪いことが起こって辛さが増すことのたとえ。

一番うまくて、まずいもの

「故老諸談」によると、かの徳川家康はある日、側室に「この世で一番うまいものは何か?」と尋ねたという。側室は「それは塩です。山海の珍味も塩の味付け次第。また、一番まずいものも塩です。どんなにうまいものでも塩味が過ぎると食べられなくなります。」と答え一座のものはその才智に感じ入ったということである。(日本専売公社管理調整本部広報課『塩の話あれこれ』)


【か行】

河童に塩を誂える(かっぱにしおをあつらえる)

(海でとれる塩を、川に住む河童に注文することから)見当違いの注文をするたとえ。

切り身に塩(きりみにしお) 切り目に塩(きりめにしお)

災難の上に、さらに手痛い災難を受けるたとえ。


【さ行】

塩売っても手を嘗める(しおうってもてをなめる)

(塩売りが手についた塩を無駄にするのを惜しんでなめることから)①商人が商い物を少しも無駄にしまいとすること、あるいは②つまらないことにまで気を使ってけちけちすることのたとえ。

塩が浸む(しおがしむ)

世の中の苦労を体験すること。

塩辛食おうとて水を飲む

(塩辛を食べるとのどが渇くだろうと、前もって水を飲んでおくことから)手まわしがよすぎて、かえって効き目がなかったり、間が抜けていたりすることのたとえ。手まわしのよいのも事と場合によるということ。

塩たらず

塩はほどよい量を使わないと食べ物の持ち味を引き出せない。塩が足りないと間のぬけた味になってしまう。これが転じて、人がのろのろしていること、能力が低いことを表す。また、「塩気がぬけた人」とは、もうろくした人を示す。

塩にて淵を埋む如し(しおにてふちをうずむごとし) 淵に塩(ふちにしお)

(無謀にも塩で深い水たまりを埋めようとすることから)全く不可能なこと、してもしがいのないことのことのたとえ。また、次から次へと消えてしまって、たまることないさま。

塩も味噌もたくさんな人

(日本人の食生活にとって、塩や味噌はなくてはならない大切なものであるところから)確実な人を表す言葉。ヨーロッパにも似たことわざに「塩の豊かな人」があり、この場合もすぐれた人、教養のある人を表現するときに用いる。

しおらしい

控え目で、慎み深く、可愛らしいこと。封建時代、塩が手に入りにくかった百姓の女たちはたびたび、出陣する武士が持つ塩包みに目をつけて言い寄った。しかし彼女たちの態度はいかにも恥ずかしそうで、塩欲しさの素人の言い寄りとすぐに見破ることができた。「しおらしい」とは、"この塩が欲しいんだなと察しがついていた"が転じた言葉。

塩を売れば手が辛くなる(しおをうればてがからくなる)

(塩売りの手が辛くなるように)職業上の習慣が身について、第二の天性のようになることのたとえ。

塩を踏む(しおをふむ)

世の中に出て苦労を重ねる。


【た行】

地の塩

塩が食物の腐るのを防ぐことから、少数派であっても批判的精神を持って生きる人をたとえていう。

敵に塩を送る

敵対する相手が困っている時に助けの手をさしのべることのたとえ。敵の窮地を救うこと。戦国時代、今の山梨県と長野県周辺に領地を持つ武田信玄は、塩を輸送している道を閉ざされ、塩の欠乏に苦しんでいた。そこで、海に近い上杉謙信は、敵の信玄を攻める最大のチャンスにあえて戦をせず、逆に塩を送って助けたという。この戦国美談が後世に語り継がれ、ことわざとなった。

手塩にかける

自ら世話をしていつくしみ育てるの意。自分の手で塩をふり時間をかけて漬け込む漬物や、掌いっぱいに塩をつけて握りしめるおむすびのように、昔から手に塩をつけて丹念にものを作る行為には、愛情が込められている。

手前味噌で塩が辛い(てまえみそでしおがからい)

(自分がつくった味噌だと塩辛くても本人だけはおいしいと思っているということから)自慢ばかりするので聞き苦しいことのたとえ。自分の作った味噌なら、たとえ塩辛くてもおいしいと感じることから、自分のやったことなら、何でも良いと思うこと。自分の都合のいいように解釈すること。「我田引水」と同じ意味。


【な行】

蛞蝓に塩(なめくじにしお)

(なめくじに塩をかけると縮むことから)すっかり元気がなくなることのたとえ。また、苦手なものの前に出て萎縮してしまうことのたとえ。

熟れてのちは薄塩(なれてのちはうすじお)

漬物はまず濃い塩で漬けておいて、よく漬かったら薄塩で漬け直すのがよく、人との交際も同じで、互いに馴れてからは少し淡白なくらいにしたほうがうまくいくということ。なお、交際は始める時には最初から甘い顔を見せない方がよいという意にとる説もある。

ねずみが塩を引く ねずみが塩を嘗める

(1)(ねずみが一度に持っていく塩の量はわずかだが、度重なると大量になることか)些細なことでも何回も繰り返すと大変なことになるということ。また、大量にあったものが少しずつ減っていって最後にはなくなってしまうたとえ。
(2)(ねずみが塩を持っていく様子から)びくびくしながらこっそりと行う様のたとえ。


【は行】

蛭に塩(ひるにしお)

(ひるは塩をかけられると縮んで死んでしまうことから)忌み嫌う苦手なものに直面して縮こまることのたとえ。また、弱って足腰が立たなくなることのたとえ。

米塩の資(べいえんのし)

米と塩は、生きていくうえで、食生活に於いて不可欠であることから、生計を立てるための費用、生活費のことをいう。


【ま行】

味噌に入れた塩はよそへは行かぬ (みそにいれたしおはよそへはいかぬ)

(味噌をつくるときに加えた塩はやがて見分けられなくなるが、味を調えるために役立っているの意から)他人のために手助けしたことは、その場で無駄なことのように思われるが、後になってみると結局は自分のためになっているものであるという教え。


【その他】

塩梅(あんばい)<中国>

ほどあい。かげん。宋の時代の成書に「塩多ければ鹹、梅多ければ酸、両者半ばすれば塩梅なり」という一節があり、この塩梅が発展して、物事の調和を表すようになった。

サラリー(ラテン語)

サラリーの語源は、ラテン語の「Salarium(塩の)」。最初は、塩を買うために兵士に与えられたお金を示す言葉であり、その"塩のお金"が後に、兵士に限らず一般の俸給や給料を言い表すようになった。なお、兵士たちの給料として塩が与えられたという説もある。

サラダ(ラテン語)

サラダの語源は、ラテン語の「サル(Sal) 」で塩のこと。ヨーロッパでは、古くから生野菜に塩をかけて食べる習慣があったようで、サラダは本来、塩で調理したものという意味だが、いつしかサラダという料理そのものを指すようになった。

塩は食肴の将、酒は百薬の長(中国)

前漢書の『食貨志』にある言葉。塩は、ほかのものの味を引き出し、うま味を増すこの世で最高の食べ物。酒は、適度に飲めばどんな薬よりも効き目がある一番の薬、という意味。

( 出典:旺文社『成語林』、三省堂『大辞林』)