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個人を超える「自分自身を超える」1

 投稿者:アルベア  投稿日:2016年 4月 2日(土)04時54分31秒
  通報 編集済
  個人を超える「自分自身を超える」1

「二項対立」「相対的現象・現実」は常に「正」「反」の「作用反作用」という

現象をもたらせている。相互に敵対、対立する現象である。人類の歴史はこの対

立構造により文明を創造してきた。このような対立を「止揚」しようと様々な宗

教が生まれた。しかし、かえって対立を招いてしまった。「人間観」「人間感覚

」ゆえに「反転」した現象がもたらされたのである。「生命現象」「生命感覚」

が「わからなかった」からである。

「法華経の智慧」の連載が始まった時も、池田先生は語られています。

「自分が、また社会が「どこへ」「何のために」進めばよいのか。それを教えて

くれる智慧を求めている。

あるいは、戦乱の旧ユーゴ諸国で。

あるいは、飽食の先進国の社会で。

あるいは、混乱の旧・社会主義国で。

あるいは、貧困と戦う第三世界で。

「経済の成長」を至上命令にしてきた現代にあって、より大切なのは、「『人間

』が根本」、つまり「人間の成長」ではないのかと気づき始めています。」

小説「人間革命」の「戦争ほど残酷なものはない」から始まる時代状況は今日に

も当てはまる現象である。

「二項対立」「相対的現象・現実」から「絶対的現象・現実」へ反転が起きない

限り続く人類文明の宿命なのである。この宿命転換の方法が、一人一人の「絶対

的現象・現実」による意識の「反転」なのだ。

「智慧」による「慈悲」の自得が求められているのである。思い込み・信じ込み

の時代を終わらせる時期にある。

世界で見られている様々な人間の現象は、疲弊を生み、閉塞状況をもたらせてい

る。日本国内でも同様である。

「智慧」「慈悲」の顕現なき時代である。疲弊・閉塞から何とか抜け出そうと、

もがき、苦しむ社会である。

人間に活をもたらすリーダーの不在、活をもたらす方法の教育無き現象が日々起

きているのである。

一人の「二項対立」「相対的現象・現実」から「絶対的現象・現実」へ反転は、

10万人に匹敵する、ややもすると100万人以上に匹敵する。「生命現象」の原理

・法則だからである。一人の「覚醒」「自覚」「悟り」がもたらす「慈悲」の顕

現だからである。

先生の著作は「民衆」という「生命現象」を「人間の」眼差しから展開されてい

るものであるが、本来は、個人が個人を超えた世界である「絶対的現象・現実」

への促しをしているのである。ただ読み手が「気づけない」「わからない」だけ

なのだ。

閲覧する方々、一人一人には100万人を救う仏の力があるのだ。「大願」とは、

個人を超えた人類救済の目的なのだ。個人にもたらされている今の諸々の現象、

病気・経済苦・心の病等々は、全て「大願」を起こすことにより消えるのだ。自

分自身の人生が反転し「仏の使い」としての「智慧」と「慈悲」がもたらされる

のだ。

せっかく人間に生まれてきたのだから「悟り」無き日々を終わらせ「大願」を抱

く、方向転換をすることだ。

「俯瞰的眼差し」から見えて来る世界は、日蓮大聖人の「末法万年広宣流布」と

いう未来記の世界である。

この感動・歓喜を自分自身で体感・体験することなのだ。

「信じる」「信じない」という「人間的な感覚」ではない、「生命感覚」なのだ

。体感・体験という「生命現象」による「了解」なのだ。

「相対的現象・現実」は「理解する世界」⇒「理」 知的理解であり現実は変わ

らない。

「絶対的現象・現実」は「了解する世界」⇒「事」 体感・体験であり現実がか

わる。

★いつも閲覧有難うございます。お知らせです。

4月4日(月)より4月8日(金)まで投稿を、お休みいたします。
 
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