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「作用反作用」集団力動
「徳川家康」「織田信長」「豊臣秀吉」「武田信玄」「真田幸村」などの戦国武
将の物語はTV放映が始まってから、毎年、NHK・民法で放映されてきている
。ここ10年は幕末から明治を主人公とした物語が放映されている。
どうして、このような「現象」が続いているのか、日本人だから、主人公が面白
いから、等々の理由は個人レベルの感想である。
「現象」として見た場合、「個人と個人」・「個人と集団」・「集団と集団」の
働き作用、「作用反作用」の働き、「正」「反」「合」の弁証法等を、「人間に
教えるためにもたらされている現象」として見る事ができる。(俯瞰的眼差し)
個人的には、こうした現象は「仏」の意思の現われではないかと感じている。
「戦国時代」の様相は、ギリシャ時代の都市国家、部族間闘争、宗教間紛争等の
歴史的な流れの中でいつの世でももたらされてきた現象である。「正」「反」
「合」が常に紛争となって現れている。現在でも地球上で繰り広げられている
現象である。「人間観」(自分観)「人間感覚」(自分感覚)の愚考文明の生態
である。
日本の「戦国時代」で見られる現象は、敵対する者同士の「同時代的」な「現象
」であり、集団で見ると「眷属集団」による「時代創造」ということができる。
お互いが、その時、その場を選んでこの世に出現してきたということなのだ。集
団には個人の所属があり、それぞれのドラマが織りなされている。「生命現象」
である。
人類の文明は「作用反作用」により「合」を得ながら成長発展をしてきた。全て
その時々の人間の都合である。
民衆という個人を権力に利用し、社会システムを作り、統治してきた。民衆はリ
ーダーの「いいなり」にならざるをえなかった。権力とは、人々を束ねるために
もたらされている「智慧」でもある。「悪」と働くか、「善」として作用するか
、それは「どちらでもある」「善悪不二」だからだ。
動物社会の例⇒女王蜂と働き蜂、女王蟻と働き蟻、縄張り争い、群行動とパワー
ゲーム等々を見れば人間も動物であることが見えて来る。
地球上の国々と言われる「集団」に見られている現象なのだ。「善のエネルギー
」が顕現するには5千年の時間が必要だったのだ。「気づき」の時が訪れている。
「権力闘争」は、集団である以上、必ず生じる、束ねるリーダーに「智慧」「慈
悲」がないと動物的反応となり、建設と破壊を繰り返す愚考となる。江戸時代中
期から末期にかけて日本各地で発生した「一揆」等は反権力闘争だったが力で押
さえらてきた。幕末と言う大きなうなりの中で明治という新たな時代が始まった
のだ。
「作用反作用」は集団現象でも起きているのだ。「智慧」による統治するリーダ
ーの出現がおとずれようとしている。
日蓮大聖人と鎌倉幕府・鎌倉仏教等も同時代的なドラマであり現象だったのだ。
異なる分野だがヨーロッパのクラッシク音楽・宮廷音楽を演じたベートンベン・
シューベツト、モーツアルト等は「同時代的現象」である。
身近な例を上げるならば、漫画家が集った「トキワ荘(東京都豊島区南長崎三丁
目」には手塚治虫始め寺田ヒロオ、藤子不二雄(藤子不二雄A、藤子・F・不二雄
)、鈴木伸一、つのだじろう、石森章太郎、赤塚不二夫、園山俊二等が集った。
このような集団も「同時代的現象」なのである。
創価に所属する個人・共産党・自民党・民進党等々、今、生きている私たちは「
同時代的現象」の現われなのである。
創価の権力闘争、「池田先生と執行部」という対立図式も「同時代的現象」なの
だ。「智慧」「慈悲」を顕現させることができる者がいるか、いないか、どうで
もいいのか、問われている。
地球上のあらゆる生命現象も「同時代的現象」なのである。だから戸田先生は「
地球民族主義」を提唱したのである。このことを、さらに俯瞰するならば「宇宙
生命主義」とでも言えよう。
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