投稿者:SaySaySay
投稿日:2016年 3月31日(木)10時12分27秒
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陽光様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/42738
http://6027.teacup.com/situation/bbs/42761
「「査問」というものをどうも受けたらしい」に、思わず笑ってしまいました。(悪い意味ではありません。当然、陽光さんをバカにする意味でもありません。)
なるほど、敵は姑息に曖昧にやってくるのですね。「紛然として」、紛らわしく、分かりにくく。
昨夏、「(2014年11月の)教義変更を池田先生は了承されているのか?」と質問した(身内に議員がいる)幹部(その時は「そうじゃないかなぁ」と答えていた)にこの前、夜道ですれ違って、挨拶だけした時に、向こうは何かゴチャゴチャ言っていた(よく聞こえなかった)が、あの時、私も査問されていたのかも知れませんねぇ~。(笑い)
「今回の闘いの難しさは、こちらでは全くの無知な人が多く、新会員や信心の浅い人達には、なかなか真実を切り出すことができません。学会は励ましの団体と先生は言われています。彼らの信心のやる気をそぐ訳にもいかないし、かといって、真実は知って欲しいし、悩むところです」には、全く同感です。全くその通りです。
むしろ、日本の方が、根が深く、暗鬱な国民性?(司馬遼太郎『この国のかたち 1』15 若衆と械闘)もあり、晴れ晴れとしない、「いつも鉛色の空の下に暮らしている」(『ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛』安富歩・本條晴一郎)気分でいるだけ、難しいような気がします。
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